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プロローグ
「僕と恋人になってほしい。」
にこにこと……人によっては、キラキラと……って表現するのであろう何の害もなさそうな笑顔で放たれた台詞に、私は呆気に取られる。
何ならぽかんと口を開けて、間抜け面をしているに違いない。
はっと我に返って、きょろきょろと辺りを見回す。
この台詞を放たれているのは私ではないはず。
近くに見合う女子がいるはず。
でも、誰もいない。
うん。知ってた。
ここは私が、毎日活動している陸上部の練習場所で、ちょっと前に練習は終わりになって解散になって、私だけ少し居残り練習や片付けで残っていて、だから、最後の一人になっていたのは、うん、自覚してた。
もう一度目の前の人に視線を戻す。
この人、知ってる。
同じ学年の経営学部の目立つ人だ。
女子たちがきゃあきゃあ言っているいわゆるイケメンって奴だ。
背も顔面偏差値も高くて、悪い噂はきかないけれど、決して特定の彼女を作らない……らしい。
少なくとも同じ大学内に彼女はいないという噂だ。
私はそういう情報に疎すぎて、ついこの間、彼と同じ講義をたまたま取っていた時に、女子たちの浮き足だった様子に首を傾げていたら、友達の恵麻が教えてくれてようやく知ったところだった。
名前も聞いたけど……覚えていない。
「そもそもどなたでしょう?」
あまりに反応に困って、出てきた言葉はこれ。失礼だけど、これ。
「あぁ。まずは自己紹介しなくちゃね。
経営学部2年の天野智風です。」
彼はそんな私の言葉にも動じず、さらっと名乗ってくれる。
「あ、私は……。」
礼儀のように名乗り返そうとした私の言葉を遮り、彼は口を開いた。
「教育学部2年の山瀬凪さん。
僕だって、名前も知らない人に恋人になって欲しいなんて言わないよ。」
……名前以外は知らないのでは?
何で名前を知ってるのかなとも思うけど。
「……人違いでは? と言いたいけど、その名前は間違いなく私ですね。」
何とも言いようがなく、意味のない言葉が続く。
「そうだよ。君に言っているんだ。恋人になって欲しいって。
でも……そうだなぁ。
君は僕の名前すら知らなかったわけだよね。
その状況で、はい、とは言えないよね。」
彼はちょっと考えるように視線を上に向けて微かに首を傾げた。
「じゃ、あ、さ。」
次の瞬間、彼は私の瞳をまっすぐに捉え、そしてやっぱり害のなさそうな笑顔で言った。
「契約上の、恋人になる、っていうのはどう?」
まったく意味がわからないんだけど?
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