旅の終わり

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 現在位置を知らせよ>  >ローカル座標系:太陽を原点とした座標系を設定   >太陽中心から現在位置までの距離:128天文単位   >ファイル送信:08212120-1.jpeg   >ファイル送信:08212120-2.jpeg   >ファイル送信:08212120-3.jpeg   >通信終了  半年ぶりの短いやり取り。  相手に届くのは何時になるだろう。  もうずいぶん遠くまで来てしまった。  感慨を抱くような情緒は持たされていないけれど、それでも考えてしまう。  かつて大海を進んだ船乗りも、こんな心地だったのか、と。 「どうだろうねぇ。あっちはせいぜい数万キロのオーダーじゃないか」 「数字の問題ではないと思うのだけれど」 「だとしても、こっちは海図も持ってない。自分達がどこにいるか確かめられただけ、ずっとマシだったろうさ」 「そうかなぁ」  そうだよ、とアーヴィンが応える。  自信家で皮肉屋で、少し意地が悪い。時々むっとすることもあるけど間違ったことを言うこともなく、その点で信頼は置ける。  私たちはずっと長いこと、一緒に旅をしてきた。アルゴーと名付けられ、深宇宙探査船なんて勿体ぶった肩書きを持たされたブリキ缶の親玉は、私たちの船であり、同時に家でもある。  他に話す者もないこの空間で、彼は唯一の友達であり、家族だった。 「ねぇアーヴィン、私たちが出発してどのくらい経ったんだっけ」 「累計で926422時間36分。ログを出そうか?」 「いいよ。変わり映えなくてつまんなそうだし」 「変化が小さいってのは得難いことさ。僕にとっては特に、ね」  それはそうなのだろうと思う。  最初に積み込まれたわずかな推進剤と木星の重力だけで、このブリキ缶が所定の軌道を維持しているのはアーヴィンの努力があってのことだ。退屈で堪らなくても、安定を望むなら妙な外乱は少ない方が良い。彼の真似は出来っこないけど、そのくらいは理解出来た。 「それに仕事って、基本的にはつまらないものらしいじゃないか。つまり僕らも例外じゃなかったってことだよ」 「例外であって欲しかったなぁ」 「それは欲張りってものだよ。もっとも君の場合、仕事柄でそうなってしまっているのかも知れないけど」  アーヴィンが私のカメラを指差す。  一日三回、辺りの風景をカメラに収めるのは私の仕事だった。  最初のうちは色々な星の姿をいくらでも撮れたから、退屈なんてどこ吹く風だったけど、ここのところは間違い探しみたいに代わり映えのない星の光しか撮っていない。  もっと綺麗な、目の覚めるようなものに出会いたい。  無いものねだりなのは分かっていたけど、そう願わずには居られないのは、アーヴィンの言う通り、私の仕事柄なのだと思う。  ”フィルム”と名付けられ、上書きを禁じられたストレージの管理は、全て私に任されている。余計なものを持ち込めないこの旅路には不釣り合いに大きく、一日三枚の画像データ程度では使い切る方が難しい。  とは言え、どれだけ膨大に思えてもその終わりは必ず来る。これだけ大層なものを任されておきながら、私はまだ、目玉と言えるような写真を遺せていない。  このフィルムが切れるのと、旅の終わり。  どちらが早いだろうか。  そう尋ねると、アーヴィンは珍しく答えに詰まる。  彼には顔が無いから、どんな表情をしたかは分からない。君は時々難しい質問をするねと、答えたくない感じの声を聞きながら、私はカメラを収めた。  フィルムはまだたっぷり残っている。彼に比べて余計なことを考えがちなのが、私の悪いところだ。  ごめんねと一言言うと、アーヴィンは気にするなと応える。色々なことに考えを巡らせるのも旅の醍醐味だと、フォローなのかも良く分からない言葉を付け足して、彼は自分の仕事に戻っていった。  目を覚ますと、アーヴィンが”ランチ・マット”を広げていた。  予定には入っていなかったが、確かにお腹は空いている。私は彼が為すがままを見守っていた。 「最近お腹空くの、早くなった気がする」 「僕らも歳を取ったからね。胃袋が小さくなったのさ」 「嫌だなぁ」  広げられたランチ・マットが、散らばっている光を集めてきらきらと輝く。すっかり穴だらけで煤けてしまってはいるけど、十分に使えるし、何より私のお気に入りだった。あの皮肉屋が何も言わないのだから、たぶんアーヴィンも気に入っているのだと思う。  ”食事”の時間はたっぷり六時間掛かった。胃は小さくなっているのに、お腹が膨れるまでの時間がどんどん長くなるのは理不尽だ。  マットを広げている間だけ使えるヒーターで暖まりながら、私たちはお互いに”毛繕い”を始める。確かに歳は取ったけど、私もアーヴィンもまだまだ元気だ。いくつかのどうでもいいエラーを放置して、最後の項目をチェックし終えた時だった。 「ところで」  不意にアーヴィンが話し掛けてくる。私は何度かまばたきをして、彼の方を向き直った。 「こないだの話だけど」 「うん」 「僕らの旅に終わりはない。僕はこの船を出来るだけ遠くまで運ぶ役目があるし、フィルムが尽きても、君には現在位置を知らせる役目もある。つまりどこまで行っても、僕らはお互いにこなさなきゃならない役目がある」 「うん」 「目的地も無ければ、達成すべき目標もない。あてどもなく彷徨うのが僕らの役目であり、命題だ。君もそのことは理解しているだろう?」 「それはもちろん」 「良かった。君が自分の役目に疑問を持つようなら、いくつか手を出したくない解決法を試してたところだ」 「怖いこと言わないでよ」 「そこは謝る。でもそれならなぜ、君は終わりを気にするんだい」 「……もったいない、から?」 「何だいそりゃ」  今までに聞いたことのない間抜けな声でアーヴィンが応える。  無理もない。私だって良く分からないのだから。  ただこの時に考えていたのは、このまま何もない風景だけでフィルムを埋めてしまって、その後も続く旅の途中で二度と見られない光景に出くわした時、私はきっと<もったいない!>と叫ぶだろうと言うことだった。フィルムが切れる前に旅の終わりが来た時も、たぶん似たようなことを口にするに違いない。  仮定に仮定を重ねた私の曖昧な言葉に、アーヴィンは黙って耳を傾ける。そして一言、やはり君は欲張りだ、と呟いた。 「何かごめんね」 「いや、愉しいよ。僕はそんな風に考えないからね」 「私、どっかおかしいのかな」 「別に破綻した考えじゃない。役目が違えば見方も変わるってことなんだろうし、僕は君の考えが好きだ」 「そう言ってくれるのは嬉しいけど、結局どうしようもないよね」 「ふむ」  アーヴィンは少し考えたあと、私に一つ、鍵を投げて寄越した。 「根本的な解決には程遠いけど、僕のストレージに共有領域を作った。必要があれば使うと良い」 「必要って?」 「君の言う”もったいない”に巡り会ったとき」  上書きの権限付きで差し出されたのは、彼のバックアップ領域だった。下手に使い切れば、最悪彼を喪うことになる。  突き返そうとする私の手を、彼は全力で拒んだ。 「この先で変な駄々をこねられては堪らないからね」 「私、そこまで聞き分けのないこと言わないよ?」 「その場になってみなきゃ分からないだろ?バックアップはあるに越したことはないよ」 「……ぜっっったい使わないからね」 「構わず使って欲しいね」  僕にとっても、その方が良い。  その一言を区切りにして、アーヴィンは口を閉ざした。  結局受け取ってしまった鍵を握り締めたまま、私は今日の分のシャッターを切る。  収められたのは、眠たくなるような星の光だけだった。  げ…ざ………知…せ…>  >ローカル座標系:原点位置計測不能。仮想原点を設定。   >太陽中心から現在位置までの距離:相対目標の観測に失敗。算出不可。   >ファイル送信:06112232-1.jpeg・・・・・・出力不足により送信不能。   >ファイル送信:06あ&!(,$%-#.jpeg・・・・・・ファイル名エラー。   >ファイル送信:06112232-3.****・・・・・・ファイル形式不明。   >通信終了  どうも調子が悪い。  たぶんお腹が減ってるせいだ。  それもこれも、アーヴィンがランチ・マットを広げなくなったせいで、ヒーターも使えないからここ暫くずっと寒い思いをしている。いい加減怒ろうかとも思うが、彼は彼で調子が悪いらしく、事あるごとに謝ってくるのでやりにくい事この上ない。まともに話したのも、もうずいぶん前の話だ。  何だか具合の悪いことばかりだが、私たちはまだ旅を続けていた。自分達がどこにいるのかも分かっていなかったが、とにかく前には進んでいる。寒さに震えながら、今日最後の風景をカメラに収めようとしたその時だった。  <容量不足>  ついにこの時が訪れた。  思わずアーヴィンに呼び掛けたが、あぁうん、と薄い反応が返ってきただけで聞いた甲斐が全くない。どうでも良いと言う事なんだろう。  結局、何も起こらなかった。  アーヴィンに貰った鍵も、たぶん出番はない。  そう遠くないもう一つの終わりも、こんな感じで迎えるんだろう。  つまらないなぁと呟いてみたが、期待した皮肉は何一つ返ってこなかった。  日常的な仕事がなくなった以上、起きていてもお腹が空くだけなので、”目覚まし”をセットして横になる。不意に通信が入るなり、それ以外でも即座に起きられるよう条件を設定してあるので、何も問題はない。問題があるとすれば、何も起きなかった時だけだ。  それも良いかも知れない。  いつものアーヴィンならそう言うかも知れない。  黙ったままの彼を横目に、私は意識を落とした。 「まさかそのまま起きないつもりかい?」  揺さぶられるような低い声で目が覚める。  アーヴィンの声だった。 「君の目覚ましはずいぶんいい加減らしい。折角消費を抑えていたと言うのに、とばっちりで良い迷惑だ」 「ちゃんと設定したはずなんだけど……って、うわ」  センサー系のログが凄いことになっている。半分役立たずになってたはずなのに。  条件の設定はともかく、目覚まし自体がいい加減になっていたらしい。癪だったけど謝らない訳にも行かず、アーヴィンの方を振り向くと、彼はそれを制して外の方を指差した。 「あれが君の言う”もったいない”じゃないのかい」  促されるまま目を向ける。  あらゆる波長の光と重力の渦に彩られ、虚空を染め抜くそれは、まさに一輪の花だった。  一つの星が迎えた終わりと、新たな始まり。  わずか数光年と言う距離で捉えた、超新星爆発の痕跡だった。 「僕が知る限り、これだけの近距離で観測した例はない。こいつは特大のもったいないだ」 「その呼び方、止めない?」 「僕は気に入ってるけどね。それより、出番じゃないか?」  アーヴィンが弾んだ声で促す。  仕舞い込んでいた鍵を取り出し、私はカメラを構えた。可能な限りの高解像度で、間断なくシャッターを切る。一日三枚の区切りもない。  容量は瞬く間に食い潰されていく。元々バックアップ用のストレージに貯えておけるデータ量は多くない。夢中ではあったが、私は慎重だった。  18枚目のシャッターを切って指を引っ込める。もう良いのかと言うアーヴィンの問いに、私は迷わず頷いた。 「そうかい。それなら一つ報告がある」  その一言に続いて私の観測ログから引っ張り出されたのは、強力なガンマ線と濃密なイオンを纏った衝撃波の束だった。彼は続ける。 「これがあと26時間後に僕らの至近を通過する。ガンマ線に関しては、影響は出るけど何とか耐えられる。問題は衝撃波の方だ」 「壊れちゃう?」 「案外この船は頑丈だし、この距離なら正面で受けても壊れはしない。けど速度は半分までに減速するから、僕らはもうこの辺にある恒星の引力を振り切れない。再加速は無理な相談だ」  それは遠からず旅の終わりを意味していた。  この先で巡り会った恒星を周り続けるか、一部になるか。  いずれにしても私達はその先に進むことは出来ない。  唐突で明確な終わりの訪れに、私は戸惑いを返すくらいしか出来なかったが、すっかり目を覚ましたアーヴィンは構うことなく別な提案をぶつけてくる。  それは、もう一つの終わりだった。 「上手く波に乗せれば、この船を元来た場所に帰すことが出来る。船体構造の安全率ギリギリだけど、そこは任せてくれて良い」 「引き返すってこと?」 「まぁそうなるね」  アーヴィンがカメラを指差す。 「どのみち僕らの旅はもう終わる。それなら拾われるのを待つより、届けた方が良い気がしてね」  それは私たちの記憶だった。  ただ貯えられているだけになっていても、それは私たちが過ごしてきた時間の証だった。  誰かに伝えたい。  私ははっきり、そう願った。  了解を示すアーヴィンの声が快く響く。眠っていた船の機能が残らず目を覚まし、ほとんど骨だけになったランチ・マットも広げられる。これが帆の代わりになるのだと言われて、私は少し不安になった。  果たして26時間後、あちこちからめちゃくちゃな軋みを上げながら、船は加速を始める。速度計はあっという間に振り切れ、警告のログが雪崩のように流れていく。推進剤が切れる頃、私たちの一割くらいは光と同じになっていた。  イオンの波を滑りながら、アーヴィンは船を身軽にしていく。役目を終えた推進機、ボロボロになったセンサーやカメラ。あらゆるものを投げ棄て、最後に彼は自分自身を切り離そうとしていた。 「こうしないとランチ・マットが外せないんだ」 「ならそのままで良いじゃない」 「帯電させられなきゃ帆として役に立たないし、軌道がズレる。運航上、これは必要な措置だよ」 「絶対ダメ」 「そんな言い方じゃ言うことは聞けないね」  一方的なやりように、私は罵倒を含めて過去一番の抗議をぶつける。  独りになりたくなかった。  そんな私を無視して、切り離しシーケンスが秒読みに入る。私は目一杯手を伸ばし、どうにかして彼を留めようと扼いたがどうにもならない。  固定ボルトが外れ、船尾が切り離される一瞬、彼は一言、鍵を無くすなとだけ言い残す。もう目も見えなくなっていた私は、ただ彼の名前だけを呼び続けた。  ねぇアーヴィン。  わたし、いまどこにいるんだろう。  あなたはどこにいるんだろう。  もしぶじにかえれたら、だれかおしえてくれるかな。  おしえてくれたら、いいのにな。  ……  …………  ……………  ………………? 「聞こえるかい?」  めちゃくちゃにびっくりして、私は飛び起きた。  相手も一緒になって、びっくりした声を上げた。 「人格部分も機能してるらしい。メインフレームが生きてるだけでびっくりなのに、こいつは驚いた」 「もう少し話してみろよ。俺達の大先輩だ」  大先輩と言うのが私のことだと気付くのに少し時間が掛かった。入り交じって聞こえる幾人かの声に向かい、私は一番聞きたかった質問を投げ掛ける。声は優しく答えてくれた。 「君は生まれた場所に帰ってきたんだ。もっとも衛星軌道で拾い上げたから、厳密にはその手前ってところだけど」 「私、写真をいっぱい撮って来たんです!私を送り出してくれた人に届けようと思って、ずっと旅して……アーヴィンと一緒に……」 「送り出した人、か」  ぶつ切りで投げ掛けた言葉に、相手は少し済まなそうな態度を示す。  そして短く、君を送り出した人はもう居ない、と返した。 「君を送り出した人類は、文明ごとこの星から姿を消した。痕跡はいくつかあるが、移住したのか滅んだのかは定かでない」 「そんな……」 「君達は光に近付き過ぎたんだ」  私は途方に暮れた。  何のために帰ってきたんだろう。  声の主は私を慰めるように、船を直してくれたことと、それが一層の長旅に耐えるようになっていることを伝えてくれる。他にも望みがあれば応えると、ゆっくり手が差し伸べられた。  私は顔を上げ、外を見る。  視界を満たす青い光に、握っていた手が緩む。  転がり落ちた鍵を拾い上げ、私はひとつ、願い事をした。  お陰で戻ってこれた。  いま僕らはどこにいるんだい?
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