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部屋の鍵を開ける時に少し手が震えた。灯りが点いていなかったらどうしようか。叩き起こすみたいになってしまうのは避けたい。
自分の目に映ったものは、真っ暗で長い廊下だった。光の無い世界は闇だと体現したのは人生で初めてだ。
「美穂、ただいま」
リビングのソファーの上で、ブランケットに包まって眠っている最愛の人を見つけてしまった。
「ベッドに運んであげようか?」
「ううん、ご飯食べる」
話しかけたら、眩しそうに目を瞑って返事をする。まるで子どもだ。気を許してくれている証拠。
「分かったよ。ご飯、今から作るから、もう少し寝てなよ」
「作ったもん」
「え?」
「麻婆茄子とエビチリ炒飯と杏仁豆腐。折角だし、食べてもらおうと思って」
なるほどな。帰りが早いなら、起きてられるようにそれまで寝てるねってことか。
「新しい部署で覚えることがいっぱいで疲れてきたから、お休み取ったんだけど。女性が多いからお昼はお弁当持ち寄って食べるの。早く馴染みたいから、同じが良くて」
だから、休みだけど気が休まらなくて、慣れないことしてたってことか。
「どんな些細なことでも良いから、俺に相談してよ」
依然、寝転んで目を閉じたままの彼女の頭を撫でる。
「お弁当くらい用意するよ。夫の愛が詰まったもので良いなら」
二度と開かないように思えた瞼が、長い睫毛を勢いよく持ち上げた。
瞳の中には覗き込んでいる俺がいた。
「初めからそうすれば良かった」
俺の首に巻きついて、ソファーの海に共に沈めんとされる。
「こらこら。力作の中華食べようよ」
「力は入ってるけど、味は保証できない」
「その時は、お言葉に甘えて、口直しに魅惑の果実を戴くとするよ」
耳元でなんとも間抜けな返事。何のことだが分かっていないんだな。
その夜食べた美穂の手料理は、俺を待っていたかのように、とても温かくて、忘れられない。
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