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嘘でしょ。なんでここにクレイグさんが? 普段なら出会えたことで嬉しさいっぱい、喜びいっぱいになるところだったけれど、今日だけは素直に喜べない。
一番可愛いところを見せたい相手に、どうしてよりによって一番不機嫌なところを見せる羽目になっちゃったんだろう。
寒さと疲れで脳内がぐちゃぐちゃになっていたせいで、余計に泣きたくなった。かたかたと小さく歯が鳴る。
「ヒルダ嬢、顔色が悪い。手もすっかり冷え切っているじゃないか」
「え?」
不意にすっぽりと自分の手をおおわれた。剣を握る男のひとらしい、硬くて大きなてのひら。その厚みと温かさにドキドキしてしまう。
「このままでは心配だ。これを着ておきなさい」
渡されたのは、クレイグさんの隊服だ。なんとクレイグさん、隊服の下は半袖だったらしい。鍛えた腕や肩の筋肉がとっても素敵です! って、そうじゃなくて。
「でも、それじゃあクレイグさんが」
「そんな薄着では体調が悪くなって当たり前だ。遠慮する必要はない……いや、顔見知りとはいえただの知人が着ていた服というのは、やはり嫌だろうか。すまない、配慮が足りなかった」
「い、いいえ! う、嬉しいです!」
「やはり、寒かったのだな」
違います、好きなひとに心配されて嬉しくない人間がどこにいますか。
「夏場ではないから、汚くはない……と思う」
「全然大丈夫です」
少し自信なさげなクレイグさんが可愛すぎる。まったく、乙女か!
「……あったかい」
「それはよかった」
汚れているどころか上着からは、ふんわりいい匂いがする。ああ、これがクレイグさんの匂いなのね。
もうこんな機会はないと思うので、思う存分堪能させてもらおうと思いすはすはしていると、クレイグさんがこちらを見つめていた。バ、バレた?
「ヒルダ嬢。どこかで少し休んだ方がいい。おつかいに出てから、ずっと歩きっぱなしなのだろう?」
「それができたらいいのですが、時間的にちょっと厳しそうです……」
しかも、お財布を持ってきてないからお金もないしね! あー、せっかくの機会なのに! バカバカ、私のバカ。
「じきに暗くなる。このまま職場に送ろう。その際に、こちらが引き留めた旨を伝えておく。だから、安心して休みなさい」
「でも……」
「店に入るのが気が引けるというのならベンチでもいいが、寒さをしのぐのは難し……ああ、いいものがある」
私の側を離れるクレイグさん。すぐに戻ってきた彼の手には、小さなカップ。そのまま甘い香りのする飲み物を手渡される。ホットワインだ。カップから伝わる熱が、冷え切った指先をじんじんと温めてくれる。なるほど、もうそんな季節になったのか。
「飲みなさい。体が温まるから」
「ですが、今は就業中です」
「もうすぐ退勤の時間だ」
「どうしましょう、それは逆に問題ありです!」
「大丈夫。なんとかしてみせよう」
甘くて温かいホットワインと優しいクレイグさんの言葉が、じわりと体に染み込んだ。寒さと空腹、そして心に溜まっていた不安が吹き飛んでいく。
ぽかぽかと温まった体で、ふたり夜道を歩く。帰り道がてらに夜店を覗けば、いろんな面白いものがあふれていた。好きなひとと一緒にこんな風に買い物をしながら歩くなんて、まるでなんだかデートみたい……。
「きゃー!!!」
「ヒルダ嬢、どうした?」
あー、変なこと考えちゃった。わ、忘れなきゃ。今すぐこの記憶をなかったことに……いや、それはもったいないから、ここは平静を装いつつ家に帰って反芻しなきゃ!
「な、なんでもありません!」
「……そうか。問題なければそれでいい」
「はい、本当に全然問題ありませんので!」
問題があるのは私の脳内なので、むしろこんな妄想を知られる方が困ります。首をぶんぶんと振りながら歩く私に、クレイグさんが話しかける。
「ヒルダ嬢がおつかいに行ったっきり、なかなか帰ってこないと聞いてな。お節介だとは思ったが、気になって様子を見にきた」
「はい、あのすみません。おつかいはすぐに済んだんですが、帰り道で何人か迷子を拾ってしまって……」
帰りが遅くなったら捜索願いが出てしまうとか、扱いが子どもと一緒だよ。冷や汗出ちゃうよ……。
「ヒルダ嬢が困っているひとを見捨てられない気持ちはよくわかるが、よからぬことを企む人間も多い。しつこい相手は警らに突き出してもいい。いくら治外法権を掲げる学院内でも、つきまといのような迷惑行為は禁止されている」
「あははは、そんなナンパとかじゃないですよ。ただ、たまたま声をかけられることが続いただけで。私って声をかけやすそうな顔をしているんでしょうね」
「ヒルダ嬢、もう少しひとを疑って生きた方がいい。俺は心配で仕方がない」
えーん、仕事の邪魔とか言わずに住民の安全を守ってくれる。カッコいい! やっぱり、クレイグさんが大好きです!
「……は?」
「へ?」
みるみるうちに、目の前のクレイグさんの顔が赤くなる。これは、まさか……。
わー、やらかした! 恥の多い人生を送ってきましたが、これは無理。いや、恥ずか死ぬ。
「い、いえ、あの、ホットワイン大好きです。ありがとうございます!」
「あ、ああ。それなら良かった」
無理矢理の言い訳にも関わらず、クレイグさんはそれにのってくれた。やはりイケメンである。
せっかく、妄想デートに最適な和やかな雰囲気だったのに。いたたまれない空気にしちゃったよ……。ああ、やっぱり私、疲れてるのかなあ。
いっそ泥酔してこの発言を忘れたい。先ほどのホットワインをがぶ飲みすればその願いは叶うのだろうか。
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