所在を問われるということ

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『今、どこにいる?』 ——それは俺が聞きたい。  手元の端末に映し出されたメッセージを見つめ、俺は心の中でつぶやく。  わかっているのは、ここは暗い。  真っ暗闇で本当に一寸先は闇。  歩くのも怖いが、動いていないのも恐怖が増すので、そろそろと歩いてみた。  今のところ障害物にぶつかっていないし、いくら歩いても果てが見つかる気がしない。  そもそも、なぜこんなところにいるのか記憶がない。  今日は休日で、自転車で一人ぶらっとしていたのは覚えているが、あとの記憶がない。  自転車を降りた記憶もない。  いつの間にか手に握っていた端末が震え、ぎょっとして手元を見る。  俺は足を止め、端末のメッセージを眺めると、その差出人が家族ではないことに気づく。 「橋口……?」  差出人はクラスメイト。  喋り方がやや独特で、ちょっと変わっているが、割と話しやすい女子。  連絡先も交換しているし、席も近いから割と話すことが多いけれど、休日にこんなメッセージを寄越してくるような関係ではない。 ——今、どこにいる?  そもそも、休日にどこで何をしているか知らない間柄の人が、所在を尋ねるだろうか。  疑問に思ったが、今の状況を打開する手がかりになりそうなのは、このメッセージのみ。  俺はメッセージに返信した。 『悪い。ここがどこかわからない。真っ暗で』  簡潔すぎるかなと思いつつも、送信すると、すぐに返信があった。 『なぜそこに?』 『わからない。自転車で外をぶらっとしていたはずなんだけど』 『自転車は?』 『ない。降りた記憶もない』  橋口との問答に徐々に背筋が寒くなる。  この状況、なんかどこかで聞いたことあるような……。  俺は今、現実にいるのだろうか。 『そこを動くな。ちょっと待て』  動くなって。今立ち止まってはいるけれど、立っているのも怖いのだが。  ちょっとって、どのくらい?  ややパニックになってメッセージを打とうとしたとき、背後が突然明るくなる。 ——やばい。  車のヘッドライトなら俺の命はない、と思っていたが、明るくなっただけで音はない。  また端末が震え、橋口のメッセージを確認する。 『光に向かって歩け。絶対に振り返るな』  絶対に振り返るな。  その言葉で、橋口との会話を思い出す。  神話や民話には、「見るな」「覗くな」というような、禁止する話が多い、という話題だ。  多分きっかけは、橋口が読んでいた神話か民話だった。 ——破って酷い目にあうことも、逆に救われることもある。でも、生きるか死ぬかのところで振り返るな、という内容は大抵救われないのが相場だな。オルペウスもロトの妻も。  誰それ、と尋ねたらきちんと詳細を教えてくれたが、内容はあまり覚えていない。  ただ、バッドエンドだったのは覚えている。 ——俺は、死にかけているのか?  光が何かはわからないが、クラスメイトの忠告にはしっかり従おう。  俺は、光に向かって歩く。  途中、背後から何か音や声がしても、決して振り返らなかった。  気づいたら、妹が心配そうに俺を覗き込んでいた。  俺と目が合うと、表情が一気に明るくなり、どこかへ走っていく。 「お兄ちゃん、目が覚めたよ!」  どうやら俺は交通事故にあったらしい。  やっぱり、死にかけていたようだ。  その後自分の端末を見てみると、あの暗闇で行われた橋口とのやり取りは一切残っていなかった。  代わりに、ちょうど目を覚ました時間に、橋口からメッセージが届いていた。 『おかえり』 ——今どこにいる?  家族からはこんなメッセージはよくくるが、大抵うるさいと思うことが多い。  どこで何をしてようが別にいいじゃないかって思っていた。  でも、それは幸せなことなのだ。  誰かに所在を気にかけてもらえる。  それだけで、自分がどれだけよくわからない状況に陥っても、希望になる。 「橋口、メッセージありがとう。助かった」  学校に復帰し、礼を言うと、橋口はニッと笑った。 「ご無事で何より」  橋口が何者かはわからないし、追求しても俺が理解できる答えが返ってくるとは思えない。  ただ、確実に一つ言えるのは、俺の命の恩人ということ。  それでいい。  俺は、橋口に頭を下げる。 「休んでいた間のノート写させてください」  橋口はキョトンとして……吹き出した。 「お礼の次がそれかい?」  てっきり色々聞かれると思っていたんだけど、まあいいかと笑いながら、橋口はノートを差し出す。 「俺は橋口が何しても驚かない」  俺の言葉に橋口は「なんだい、そのコメントは」と更に笑った。  いつもの日常が戻ってきた。 (了)
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