まおまゆ。

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 魔王ルウ・バーモンドが聖者シースによって封印されたのは、千年前のことである。  魔王はおぞましい怒った老婆のような顔と肌を持ち、角と尾があって、鎖の鎧を身に着けていた、と人々の間でまことしやかに囁かれていた。しかし、その一方では、魔界の大公爵の一人で、良い名前を授けたり、人を敵から友人のように愛されるようにする力を持っているのだ、と主張する者もいる。  それでもみんな、自分が見たわけでもないし、今となってはわからないことばかりで、そんなことは確かめようもなかった。――はずなのに、今まさに運命の悪戯によって、二人の若者が〈魔王の繭〉に近づきつつある。  黎明は早すぎず、遅すぎず、定刻どおりにやってきた。まだ青みの残る空気の中で、ヴィンボー男爵家三男のニコは、垂直の岩盤にすがりついている。下方には目下登攀中の従者ノックの姿があった。絶え間なく吹き出る汗を拭う余裕さえなく、二時間に亘り岩塊の絶壁と格闘していた二人は、それを見越しての一年がかりの鍛錬によって、その労苦にふさわしい成果を上げようとしている。 「ノーック! あと五メートルだぞ。死んでも手を離すな!」  ニコはノックに向かって叫んだ。幸いなことに崖には出っ張りや窪みがあり、体重を預けて数秒の休止で力を取り戻せた。疲労困憊した身体に気合いを入れ直し、また上り始める。せっかくここまで来たのにおめおめ戻る気はないけれど、背中にしょった荷物が、その中でも二連式散弾銃の重みがとにかく恨めしい。  ノックは返事さえしなかった。声の一つも出せない状況と思われる。背中の荷物に彼の画材道具が入っている。今回の苦行に欠かせない大事なものだ。ただし、元画家というのは表向きの話で、一度はニコを暗殺しようとして失敗したアサシン・ギルドの手先である。なのにニコに軽くいなされて、ヴィンボー家の使用人に成り下がった若者は、まさかこんなことになるなんて思いもしなかったに違いない。  ――つか、こっからどうやって戻るんだ?  ふと、ニコの足りない脳みそに素朴な疑問がわいて、動きが止まった。  思い返せば、王都アルクゥーツクから徒歩で一カ月かけて、ようやくたどり着いた〈北部辺境区〉のさらなる奥地に峨々たる山景が続き、その最果てにそびえ立つ砦のような岩山。標高三百メートルある断崖絶壁のどこかに魔王が封印された〈魔窟〉があるという。ヴィンボー家はその監視を国王から押し付けられていたのだ。ニコは当主となった長兄からさらに責任を押し付けられ、封印の確認に行かないと屋敷を追い出される羽目になっていた。遠い親戚の〈北部辺境伯〉はそんなニコを諸手を挙げて歓迎し、遊び人だった彼を一から鍛え直すと、ついでにノックも鍛え上げた。  そんな辺境伯にニコは、  ――そんならおまえがやれよ と逆恨みしたけれど、屋敷の飯は美味いし、使用人の女もまあまあ具合がよかったので、辺境伯に見えないところでペッとつばを吐き、彼のいうことに従った。口臭がひどいのを除けば、なんだかんだいって辺境伯はイイ奴だった。ただでもらった最新式の武器もかっこいいし。  結局答えを見いだせないまま、ニコは思いっきり指に力を入れ、先を急いだ。
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