試用期間アリの恋人②

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試用期間アリの恋人②

 ──翌日、自分の教室にて。  はぁ、と深く溜息をつくと、後ろの席にいる武蔵に頭を撫でられた。 「どうした、透」 「んー……ちょっと。なんでもないよ」  ふーん、と気の無い返事をする武蔵はそれ以上何も突っ込んで聞いたりはしない。ドライと言えばそれまでだけど、この距離感が結構心地いい。それに、詳細を聞かれても困る。昨日から時枝と付き合うことになりました、それも試用期間付で返品可能なんです。──なんて、言えるはずがない。 「なんでもないなら、飯食おうぜ」  昼休みの時間は限られているし、五時間目は音楽だから教室を移動しなくてはいけない。武蔵の言葉に同意して、僕は椅子ごと彼の机に向き直った。――その瞬間。教室の空気がザワついた。そして、ひとつの足音が僕たちへ向かって近づいてくる。 「やぁ、透」  爽やかな声に名前を呼ばれた僕は、思いきり肩を跳ねさせた。 「うわっ、……時枝くん」 「なに、そのオバケでも見たような反応。つれないなぁ、俺たちは、」 「わーっ、わーっ、ダメッ!」  皆の見てる前で恋人だなんて言われたら困る。まさかそんなことを言い出さないとは思うけど、念のために、急に現れた時枝の口を慌てて手でふさいで黙らせた。 「何がダメなのかな?」  昨日の帰り道とは打って変わって、いつも通り天使のように優しい微笑みを浮かべる生徒会長が憎たらしく見えてくる。おかしいな、この笑顔が大好きだったはずなんだけどなぁ、僕は。 「それで、何か……?」 「うん、どこかで一緒に昼ごはん食べよう」 「……三人で?」 「二人で」  時枝はにこにこしたまま、見事なまでに即答する。僕は困って武蔵をチラリと見た。武蔵は相変わらずの無表情でヒラヒラと手を振って見せる。 「いーじゃん、行ってくれば」 「でも、武蔵は?」 「女子じゃねーんだからさ、俺は別に一人で飯食ったって平気」  普通の人が聞いたら怖がりそうなドスの効いた低い声でぶっきらぼうに、かつダルそうに言う武蔵。でも言葉には思いやりが滲んでいる。背が高いのはいいとして、声ばかりか顔も恐くて口調がつっけんどんだから、武蔵は損をしている。本当は優しい奴なのに、なかなかそうは思われない。  それに比べて時枝は何なんだ。聖人のように優しいかと見せかけて、なかなか強引だし、ちょっと意地悪な気もする。昨日その片鱗をチラッと見ただけだから、まだ何とも言えないけど。様子見だけど。 「……圓山はそれでいいんだ? 透が俺と二人きりでごはん食べても」  突っかかるような時枝の言葉にハラハラする。せっかく武蔵が快く送り出そうとしてくれているのに、どうしてそんなことを言うんだろう。  武蔵はおもむろに僕の頭を撫でつつ、どこか挑戦的な眼差しを時枝に向ける。 「別にぃ? 一緒に飯食わないくらいで俺たちの関係が変わるわけじゃないし、俺はそんなに心狭くないしー」  僕を挟む二つの視線が火花を散らしている気がする。なんなんだこの状況は。  戸惑う僕の手首と鞄を、時枝が両手それぞれに掴んで引っ張った。時枝はそのまま教室の出入口に向かって歩き出す。 「えっ、ちょっと、痛いって、時枝くん!」 「透、いってらっしゃーい」 「武蔵、ゴメンな! 時枝くん、離せって!」  いつも通りの無表情に戻って手を振っている武蔵、そして皆の好奇の視線に見送られて、僕は時枝に引きずられるようにして教室を後にした。  ◇  連れ出された場所は特別教室棟の屋上だった。時枝はポケットから取り出した鍵を錆びついた音をたてる鍵穴に突き刺し、手慣れた様子で古い扉を開ける。  生温さと涼しさが共存しているような風が吹いている屋上には、当然ながら他に誰もいなかった。 「この屋上って立ち入り禁止じゃなかったっけ?」 「そうだね。でも、俺はしょっちゅう来てるよ。ご招待したのは、透が初めてだけど。学校の大体の場所の鍵を入手できる立場って素晴らしいと思わない?」 「……と、時枝くん、生徒会長なのにこんなことしたら、」 「そんなことより」  僕の言葉を強く遮って、時枝は僕の腕を引っ張った。そのまま、今閉じたばかりの鉄扉に体を押し付けられる。驚いて身じろぎしようとしたら、彼の両腕で進路を塞がれる。抱きしめられているわけではないけれど、限りなくそれに近い体勢だ。  戸惑いと怯えを抱えて、時枝の顔をそっと見上げる。まだ夏の名残がある青空の下、彼は昨日のように少し意地悪にも見える瞳で微笑んでいた。 「ねぇ、透。優人、って呼んでほしいな」 「と、時枝く……っ」 「ゆ、う、と」 「優人くん……?」 「呼び捨て希望なんだけど、まぁ、いっか」  時枝はやや不満そうな顔をしているものの、僕を解放してくれた。ほっと胸を撫で下ろしていると、給水タンクが設置されている方に手招きされる。ちょうど大きな日陰になっている所に僕らは並んで腰を降ろした。  僕は受け取った鞄から弁当を取り出し、時枝はビニール袋から惣菜パンを出す。弁当箱を開く僕の手元を覗き込んで、時枝は感嘆の声をあげた。 「うわぁ……すごく凝ったお弁当! すっごく美味しそう!!」 「そう? いつも通りだけど」 「いつもこんな弁当とか羨ましいなぁ。お母さんに感謝しろよー?」 「いや、母さんが作ってるわけじゃないし」 「じゃあ、誰が?」 「え……僕が自分で、だけど」  時枝は口をポカンと開けたまま僕を凝視した。澄んだまっすぐな視線がくすぐったくて、僕は目を逸らす。  僕の両親は共働きで、朝から夜遅くまで働いている。そんな家庭で育ったからか、出来るだけの家事は自分で済ませているだけだ。もちろん、僕ひとりで追いつかない部分は週末に母がやってくれている。  それを簡単に説明すると、時枝は目をキラキラと輝かせながら拍手してくれた。 「透、すごいなぁ! 俺も一人暮らしだから家のことは多少やるけど、料理だけは本当に無理でさー。いつもコンビニ弁当とかインスタント食品ばっかり。昼は購買のパンだし」 「……一人暮らしだったのか」 「今年の春からだけどね。父さんの転勤に母さんがついてったから」  時枝の父親はとても一人暮らしを出来るような人ではないらしい。時枝本人も転校する意志は無かったことから、両親と離れて暮らすことになったという。  手料理に飢えているとぼやく彼に向かって、僕はおずおずと弁当箱を差し出した。 「よかったら……食べてみる?」 「えっ。いいの?」 「うん。口に合うかは分からないけど、それでも良かったら」 「食べる! 食べたいっ」  弁当箱ごと時枝に渡し、僕は代わりにパンを貰った。  時枝は目をキラキラと輝かせながら、夢中になっておかずを次々に平らげていく。 「うまい! 透、本当にすごく美味しい、全部美味しいよ!」 「どうも。……ほら、おかずだけじゃなくてご飯も食べなきゃ」  おにぎりを包んでいるアルミホイルを剥いて手渡すと、無邪気な笑顔で礼を言われて、……かなりドキドキした。  実際に面と向かって話してみると、なんかちょっと思ってたイメージと違うけど、好意を抱いている相手なのだ。そして、まさかこんな風に並んで昼食を摂ることになるなんて思いもしないような、遠い存在だった。隣で子供のようにはしゃいでる横顔は幼いようで、でもやっぱり格好よくて、僕はたまらない気持ちになる。 「時枝くん」 「違う。ゆ、う、と!」 「ゆ、優人くん……」 「なぁに、透?」 「また、こうして、お昼を一緒に食べる機会って……あるのかな」 「当たり前じゃん。明日も明後日もその先もずっと一緒だよ。俺は透の、透は俺の、彼氏なんだし」  今はお試し期間だけど、なんて付け加える時枝の顔には照れた様子など微塵もなかった。相変わらず冗談なんだか本気なんだか分からないのに、『彼氏』という響きに僕の心臓は暴れ出す。  動揺を隠そうと、僕は努めて冷静に言った。 「む、無理だよ。ずっとなんて。……その、武蔵とだって一緒にお昼食べたいし」  武蔵の名前を聞いて、時枝はスッと冷えた眼差しになる。 「透は圓山と一緒にごはん食べたいの? 俺よりも、圓山がいいんだね」 「え……そ、そんなこと言ってないよ」 「言ってるようなもんじゃないか。透は俺より圓山が好きなんだ……そうなんだ」  まるで駄々っ子のように口を尖らせる時枝。その姿は、いつも全校生徒の前で堂々と話しているのと同一人物とは思えないほど、幼かった。 「昼休みくらい透を独占したっていいじゃないか。アイツは同じクラスってだけじゃなく、透の後ろの席で授業受けてるんだし、ずるいよ」 「席順はたまたま出席番号が前後してるだけだよ。クラスだって、時…あ、えっと、優人くんは頭いいから特進クラスだし、同じクラスになるはずないじゃないか」 「ずるいったら、ずるい。ずっと透を見つめながら授業受けてるなんて。一日の大半、圓山は透の可愛い後頭部を眺めてるんだろ。だったら、昼休みの透くらい、俺にちょうだい」  昨日の恋人勧誘の時と同様に、時枝はわけのわからない屁理屈を振り回す。 だけど、どうしてだろう。勝手な奴だ、ワガママだ、って思う一方でそれを許してしまえそうな自分がいる。 「――明日から、弁当作ってあげようか」 「えっ、それって……?」  埒があかない予感がした僕は、強引に話題を転換した。膨れっ面をしていた時枝は、一瞬にして表情を輝かせた。彼の表情は、まるで万華鏡のようだ。くるくると変わって、どれも僕を惹きつける。 「一人分作るのも二人分作るのも手間としてはそんなに違いがないから。優人くんの分も作ってこようかな、って。……も、もちろん、いらなかったら別にいいんだけど」 「いる! いります! 欲しいっ」  時枝は心底嬉しそうに笑ってみせた。さっきまでの不機嫌さはどこへいったんだろう、というくらい喜びが滲み出ている。 「明日から毎日作ってくれるの?」 「……必要だったら、作るよ」 「それって、ずっと一緒に昼ごはん食べようって意味だよね?」  直球な問いかけにどう答えたらいいのか分からずに黙っていると、時枝はふわりと微笑んだ。全校生徒の前で見せるようないつもの笑い方に似ているようで、ちょっと違う。なぜか、いつもよりも自然な笑顔のような気がした。 「ありがとう、透」  そっと手を伸ばされて、何をされるのかと身構えていると、時枝は優しく頭を撫でてきた。武蔵にもよく撫でられるけれど、それよりも繊細な指の動きだった。
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