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試用期間アリの恋人③
◆◆◆
僕と優人が恋人試用期間を開始して、2週間が経った。
『恋人』なんていう名目はあれど、やってることは友達同士程度のことだ。顔見知りから友人に昇格しました、くらいの違いしかない。
他に違いがあるとすれば、優人が僕の前では素の自分を晒け出すようになったこと、僕が人前でも彼を『優人くん』と呼べるようになったことだろうか。
――恋人同士、って一体何なんだろう。
いつまで『試用期間』は続くんだろう。
四時間目の授業が終了するチャイムの音が鳴り止むと同時に長い溜息をこぼしていると、後ろから伸びてきた手にワシャワシャと頭を撫でられる。
「なんだよ、透。何かお悩みー?」
「んー……ううん、何でもない」
「ふぅん。それなら別にいいけど」
武蔵は相変わらず深く追求してこない。低くのんびりとした声で、彼はもう一言付け加えた。
「早く行かないと待ってるんじゃねーの、時枝が」
初めて一緒に昼休みを過ごして以来、僕はずっと昼ごはんを優人と一緒に食べている。つまり、武蔵はいつも教室で一人だ。
「……武蔵も一緒に来ないか?」
「えー? やだよ。俺、アイツ嫌いだし」
「じゃあ、僕、明日はこっちで食べようかなぁ……」
「なんでだよ。時枝に弁当作ってやってるんだろ? 最後まで責任もって餌付けしてやれよ」
「でも、武蔵が……」
「だーかーらー、俺は一人で平気だっつってんだろ。……んー、そんなに気になるならさ、今度の土曜日に遊びに行こうぜ。普段の昼休み分の埋め合わせとして」
僕の頭をポンポンと軽く叩きつつ、宥めるように武蔵は言った。
「そんなことで埋め合わせになる?」
「なるなる。約束な。……ほら、早く行って来いって」
優しく背中を押され、僕はふわふわとした気分で優人が待っているはずの屋上に向かった。
武蔵と遊びに出掛けるのは久しぶりだ。埋め合わせというより、ご褒美みたい。そう思うくらい、僕は楽しみだった。
屋上の給水タンクの日陰で、優人はいつも通りに座っていた。長い脚を雑に放り投げて腰を下ろしている様が、なんだかとても格好いい。。生徒会の資料だろうか、何かの書類に目を落としていた優人は、僕の姿に気がつくと顔を上げて満面の笑みを浮かべる。
「透! 待ってたよー、おなかすいたっ」
普段の大人びた雰囲気はどこへ行ったのやら、まるで幼い子供だ。
「優人くんって、なんかキャラがぶれてるよね」
「えっ、そうかな」
「うん。……今みたいな感じで接したら、みんなビックリすると思うよ」
「透もビックリした? それとも、幻滅した?」
「別に幻滅はしてないけど……」
自分がずっと抱いていた『時枝像』と実際の優人のイメージが違いすぎて、こうして一緒にいても次第にドキドキすることが無くなった。付き合い始めた……と言っていいのか分からないけれど、僕たちのこんな関係が始まった当初は嫌になるくらいときめいたりしていたのに。
嫌いになったわけじゃない。ただ、浮ついたドキドキがなくなってしまった。『恋人試用期間』なんて何かの冗談のようにしか感じない。今はもう、恋人というより、兄弟を見ているような感覚なのだ。
だからといって、僕の中には完全に友情しか無い、というわけでもないのだけど。
「けど、……なに?」
「えっ! あ、あぁ、うん。ビックリはしたよ」
「ふーん。……でもね、透。俺は本来こういう性格なんだよ」
早く隣に座れというように地面を叩きながら優人が言う。指示通り腰を降ろすと、彼は悪戯めいた瞳で顔を覗き込んできた。
「みんなの前では、あえて優等生っぽくしてるだけ。その方が楽だからね」
「優等生なのが……楽?」
みんなに期待されて、頼られて、憧れの眼差しを受ける優等生。想像するだけで疲れそうに感じるのに。
「ただの優等生じゃダメだよ。圧倒的な優等生じゃなくちゃ。勉強も出来て、素行も良くて、みんなに優しい人を演じるんだよ」
「なんだか……完璧な人だね」
「そう。完璧だから、誰も文句を言わない。うるさく言わない。そして、踏み込むほど近くには寄ってこない。俺は人望があるように見えるかもしれないけど、本当はひとりぼっちで、こんな奴なんだよ」
一人は楽だよ、と微笑んでいる横顔は、傷ついているわけでも寂しそうなわけでもない。きっと本心からの言葉なんだろう。
そんなに一人でいたいなら、どうして僕と一緒にいることを望むのだろう。僕の疑問を汲み取ったように、優人はもう一度顔を覗き込んできた。
「透は例外なんだよ」
「例外……?」
「透とは一緒にいたい。だから、そのままの俺でいる。透もさ、試用期間のうちに本当の俺を知って、見極めて? ……そのための、恋人試用期間なんだから。俺はきっと、透が思っている様な優しい人間なんかじゃないから、気をつけてね」
それもきっと、彼の本心からの言葉なのだろう。けれど、僕にはそれがとても寂しく感じられた。
優人は優しい人だ。普段は多少装っているのかもしれないけれど、優しい人だ。僕はそれを知っている。
あの日くれた消しゴムは、決して偽りの気持ちで渡されたものなんかじゃない。きっと、絶対に。
「ごはん、食べよう。昼休み終わっちゃうよ」
言ってみたい言葉のいくつかを飲み込んで、僕はそう促した。話題転換に安心したのか、優人も頷きながら先程よりもリラックスした表情で笑ってみせる。
弁当箱をふたつ持ってくるのは億劫なので、大きめの弁当箱におかずを二人分詰めて、それとは別におにぎりを作って持参することにしている。弁当箱を開くと、優人はいつも通りに感嘆の声をあげた。
「今日も美味しそう! いただきまーすっ」
「どうぞ、召し上がれ」
彼は本当に美味しそうに食べるから、見ていて気持ちがいいし、作り甲斐もある。
「うん、やっぱり透の卵焼き好き! あったかい味だよね」
「え? 冷めてるでしょ」
「温度の問題じゃなくて、味の雰囲気が、ってこと。甘くて優しい味で、大好き」
他愛のない話をしながら食事を進める。ハラハラもドキドキも無いけれど、穏やかな時間は心地よかった。
「透は今日も放課後は絵描いてるの?」
「うん。文化祭まであんまり時間もないし、そのつもりだけど」
「そっか。じゃあ生徒会終わったら、美術室まで迎えに行くね。一緒に帰ろ?」
「うん」
僕の家まで優人が送ってくれることが、もう当たり前になっている。つい二週間前までは考えられなかったことだ。
慣れって怖いなぁ。そんなことを思いながら、苦笑と共に僕もおにぎりを頬張った。
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