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吸血鬼へ嫁ぐことになりました
「今、どこにいるのかな」
幼い頃、近所の公園で仲良くなった男の子。
夕方の時刻から母親が迎えに来るまでの短い時間ではあったものの、一緒に砂場で楽しく遊んでいた。
だがある日、仲良くなった男の子は忽然と姿を消した。姿を消す前日まで遊んでいたが、その日だけは少し様子がおかしかった。
またあした、と言っても困ったような笑みを浮かべて、はじめて抱きしめられた。そのとき、首にチクリと小さな痛みが走った。それが結局なんだったのか当時はわからないままだったが、成長するにつれて首筋に刺された痕が残っていることに気づいた。
男子校に通っている立花椛は、先日十六歳になったばかりの高校一年生。
小さい頃一緒に遊んだあの男の子は誰だったのか、結局は謎のままだ。
色白で目が赤く、日本人ではないのかなと思いきや、たどたどしくはあったものの日本語を話していた――謎多き男の子だった。その男の子の両親を椛は一度も見たことがない。椛が母親に手を引かれながら去っていく姿を、手を振って見送ってくれていた記憶しかない。椛が知らないだけで、そのあと彼の両親が迎えにきたのかもしれない。
「……って、忘れてもいいはずなのに、どうしていつまでも気にしちゃうんだろうなあ。元気にしてるといいけど」
またあした、と言って約束した翌日、その男の子は来なかった。
幼い頃の記憶なんて忘れてもおかしくないはずなのに、その男の子との思い出はしっかりと記憶に残っている。
不思議なことだ。
椛は学校の屋上でひとりごちながら、夏の暑い日差しを浴びながら昼休みを過ごしていた。
物騒な事件がニュースで取り上げられるのを見ると、自分のいる場所はまだ平和なほうだと思ってしまう。
担任の話を聞くまでは――。
『この辺りで不審者が出ているようなので、怪しい人がいても決して近づかないように』
どんな不審者なのだろうか。
不審者と言っても様々だろう。
頬杖をつきながら、椛は担任の言葉に耳を傾けていた。
(帰り道気をつけないと……あ、今日バイトだ)
帰宅部の椛は、放課後にアルバイトをしている。
もちろん、学校から許可をもらった上でのアルバイトだ。
週に三日、夜八時まで学校近くのコンビニでアルバイト。両親からはお小遣いを毎月もらっているが、将来のことを考えて少しでも多く貯金ができればという理由ではじめた。
今を楽しみなさい、と両親は言っていたが、椛はどこか達観していた。
友達がいないわけではないし、たまには遊びに行くことだってある。
「立花、これからバイトだろ? 帰り、変な奴がいてもついていくなよ~」
「なに言ってるの。僕これでも高校生だよ」
困った笑みを浮かべながら、椛は友達に言い返した。
「ほら、お前お人よしだから。困った人がいたら見過ごせないだろ? そんな風に装って近づいてくる可能性だってあるじゃん」
「うっ……」
友達の言う通り、椛はあまり人を疑わない。
そのせいで、一度だけ小学校のときに「お菓子あげるから」とよくある常套句で、変なおじさんに誘拐されそうになったことがあったのだ。そのときは、小学校の登下校に合わせて警察が巡回していたため未遂で終わったのだが、両親からは「椛が小さくて可愛いから狙われたのよ」と延々泣かれた。お陰で、小学校を卒業するまで両親――特に母親が登下校送り迎えをするという羽目になった。さすがに小学校のときから成長はしているが、身長が小さいのは変わりない。
他にも、いじめを助けようとすれば身代わりにされそうになったり、カツアゲ現場から助けようとすれば自分がカツアゲされそうになったり、人助けをしようとすると椛自身に標的が移される。困ったものだ。
人を疑わなかったり、助けようとしたり、気をつけてはいるが、結局巻き込まれている。
「大丈夫だよっ。あ、そろそろ行くね」
「おう、頑張れよ」
「ありがとう! また明日!」
友達に手を振りながら教室を出る。
不審者なんてそうそう遭遇することないと思いながら、椛はアルバイト先のコンビニへと向かった。
そうそう遭遇しないと思ってしまった数時間前の自分を呪いたい――椛はアルバイトの帰り道、恐怖に怯えながら歩みを進めていた。
(ああっ、なんであんな手に引っかかるんだよー!)
学校指定の鞄を胸に強く抱きながら心の中で叫ぶ。
お疲れさまでした、とコンビニを出てからすぐにある電柱の傍で、お腹を抱えて蹲っている男性がいた。明らかに体調が悪そうだ。そんな人を放っておけるはずもなく、椛はコンビニへ戻りペットボトルの水を購入して男性の元へ近寄った。
「体調悪そうですけど、大丈夫ですか?」
「……」
「あの、よかったらお水……まだ開けてないので……」
椛がペットボトルを差し出す。
すると、ペットボトルを受け取ろうと男性が手を伸ばしたのだが――掴んだのはペットボトルではなく、椛の手首だった。
思わずペットボトルを落としてしまった。
「えっと……」
「君、優しいねぇ。さっきの男の子は怯えて鞄で殴ってきてさ、酷いもんだよね」
椛の手首を掴んだまま、俯いたままの男性はゆっくりと顔をあげる。気持ち悪い笑みを椛に向けてきた。
瞬間、ぞくっと背筋が凍った。夏なのに悪寒が走る。
反射的に男性に捕まれている手を振りほどき、椛は一目散に逃げだした。
そして、現在に至る。
こんなにも、身近なところで遭遇するとは思いもしなかったのだ。バクバクと心臓を震わせ、椛は怖くて後ろを振り返ることができない。それに、一目散に逃げたせいで、今自分がどの道を歩いているのかわかっていない。街灯も人通りも少ない。コンビニから離れただけで、閑散としている住宅街に入ってしまったのだろうか。
立ち止まって携帯で位置を確認をすればいいのだが、もしその間に不審者が追いついてきたらと思うとそれどころではない。
(ひとまず人通りがある場所に出よう)
そう思いながら、椛は先を急いだ。
いつもコンビニと最寄り駅の道しか利用しないため、他の道を知っているわけではない。今回のことで、学校の周囲も含めてきちんと調べておこうと勉強になった。
起きてほしくはないが、二度と同じようなことが起きないためにも――。
帰宅時間が遅くなってしまい、両親も心配しているに違いない。
連絡すらしていない状態なのだ。なにか言い訳を考えておかなければいけない。さすがに不審者のことを言えば、アルバイトを辞めさせられるに決まっている。
「とんだ日になってしまった……」
ため息交じりに、ポツリと小さく言葉を零す。
小走りで道を進んでいけば、少しずつ賑やかな人の声や車の音も聞こえてくるようになり、椛は少なからず安堵した。
早く帰宅して心を落ちつかせたい。
あとは駅に向かえば家に帰れる――と思った矢先。
「――すみません、道を教えてほしいのですが……」
「っ、は、はい!」
明るい場所に出たとはいえ、先ほどのこともあり、声をかけられたことに椛は吃驚した。返事と同時に振り返った瞬間、声をかけてきた男性の眼は驚きで見開いている。
「す、すみません」
「いえ。急に声をかけてしまった僕も悪いので」
「僕、この辺あまり詳しくないですけど、どこまでですか?」
「駅に向かおうとしていて迷ってしまったんです」
「それなら僕もちょうど駅へ向かおうとしていたので一緒に行きますか?」
「お願いしてもいいですか?」
優しい笑みを浮かべる男性の赤い瞳に、あの男の子を思い出させる。
流暢な日本語を使う男性に、日本生活が長いのだろうかと想像してしまう。頭ひとつ分以上の身長に、黒のスーツと綺麗な銀髪がよく映える。
椛が女性であれば、一瞬にしてひと目惚れしそうな相手だ。
「あの、駄目ですか?」
「あ、ご、ごめんなさい! あなたがかっこいいからつい……」
「可愛いことを言いますね」
「か……!」
恥ずかしくなり、頬が熱くなってきた。
それを振り払うかのように、椛は「駅に向かいましょう」と案内標識を目印にして男性を案内した。
無事に駅へ辿り着いた椛は、男性に「あとは大丈夫ですか?」と尋ねた。
「うん、大丈夫。ありがとう」
「いえ。それじゃあ、僕はこれで」
男性に軽く会釈すると、椛はその場を去ろうとしたが、急に腕を引っ張られた。
突然のことに驚き、椛はそのまま男性の胸に飛び込んだ。男性は椛を抱きしめ、改めて「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えてきたのだ。
親切心で道案内をしただけで、ここまで感謝されるなんて思ってもみなかった。
母国の風習なのか、照れくさくなってくる。
「……よかった。変わってなくて」
「え? ……っ」
幼い頃に味わった痛みが首に走った。
ゆっくり、そのまま意識が遠のきそうになっていく。
(な、に……)
なにが起こったのか考える暇もなく、椛はそのまま眼を閉じた。
「――やっと、椛を迎えに来ることができたよ」
男性の指が椛の首を優しく撫でていく。
椛は男性に抱きとめられたまま、一緒にその場から姿を消した。
まさか、嫁候補として幼い頃から目を付けられていたことを知るのは、もう少しあとになってからの話である。
おわり
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