・自分

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 あの後、俺は友人から、『もうひとりの俺』について詳しく話を聞いた。  話によると、もうひとりの俺は今でも以前と同じ職場で働いており、変わらず元気らしい。  しかも最近は結婚を前提につきあっている女性(ひと)がいるらしく、とても幸せそうにしているそうだ。  対する俺は、ボロいアパートで詐欺師としてのスキルを磨き、人を騙し、(おとしい)れ、カネを巻き上げながら日々を過ごしている。  自分としては正直それなりに充実していると思っているのだが、良いか悪いかで言ったら間違いなく『悪い生活』であり、もうひとりの俺と比べたら、状況的には雲泥の差があると言わざるをえない。  しかし、いったいどうして、そんな事になったのだろう。  ボロいアパートの一室でパソコンのキーボードを叩き、ドッペルゲンガーという存在について、改めて調べてみる。  サイトによって書いてある事はバラバラだったが、1番しっくりきたのは『強い負の感情によって1つの存在が2つに分離する事がある』という記事だった。  この現象が、ドッペルゲンガーや生き霊といった存在を生み出す事がある。そこには、そんな事が書かれていた。 ――もうひとりの俺は、多分『正しい俺』。  そして俺は、積もりに積もった負の感情によって分離、剥離(はくり)してしまった、『間違った俺』。  そう考えると、確かにこの超自然的現象も、驚くほど自然に受け入れられる気がした。 「…………」  視線を動かすと、また別の記事が目に飛び込んでくる。 ――  ドッペルゲンガーとはもともと1つの存在なので、どちらが本物とかどちらが偽物などという事はなく、どちらも本物である。  しかし、互いにその存在を認識してしまった瞬間、綻び、歪みが生じてしまう。放っておけば、間もなくどちらの存在も消滅してしまうのである。  それ(ゆえ)、そうなる前に2つのうち1つを殺し、存在を1つに戻さなければならない。ドッペルゲンガーを見ると死んでしまう、と言われているのはそのためである。 ―― 「本物……か」  小さくつぶやく。もし2つの存在に『本物』や『偽物』という概念があるとするならば、間違いなく俺の方が『偽物』であり、もうひとりの俺の方が『本物』なのだろう。  現実的に考えても、常識的に考えても。俺にとって、世界にとって、消えるべきは『俺』の方だと思った。  ……。でも。俺は、俺だ。  俺も、俺だ。  今ここにいるのは俺だ。死んでいるわけではなく、生きている。熱を持ち、息をして、生きている。  確かに、生きているのだ。  俺だって、本物だ。本物の俺だ。  この先、俺にも、生きる権利はあるのだ―― 「…………」  目を動かし、やや躊躇(ちゅうちょ)しつつも、スマートフォンに手を伸ばす。それとほぼ同時に、やかましい着信音が部屋に響き渡った。  ディスプレイに映っているのは、見慣れた番号だ。  どうやら考えている事(・・・・・・)は、『もうひとりの俺』も同じのようだった。 ――でも、俺は負けない。  死ぬのはおまえで、生きるのは……俺だ。  画面をタップし、スマートフォンを耳にあてる。俺は、静かに息を吐き出した。 ――俺の声。そして、もうひとりの俺の声が、重なった。 『――なあ。今、どこにいる?』
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