辞めたいなら辞めろ

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辞めたいなら辞めろ

この言葉は、彼が何度も繰り返して来た言葉。本当は彼自身、辞めたかったのだ。お前が一人大人になっていく様で寂しかった、そう彼は私には決して言わなかった。作り続けた音楽人生に於いて、彼自身が一番虚しかったのは、それが見られているから、閲覧数が伸びているからと言って、自分の財布の懐が満たされるわけではなく、彼自身は既にそれを得るだけの力量を得ていたにも関わらず、誰も彼に対する感謝の念、また自分が無償で作り続けている事に、クリエイターとしての、自尊心が奪われた事。この世に出回っている流行歌にすら、到底歯が立たない事。それが彼自身の原動力だ。メジャーになる事が彼の野望だった。自分の好きなモノにすら、お金をケチりだした彼は次第に、自分の好きだった事すらしなくなって、鬱になっていった。本当は人一倍、夢を追いたかったのに、次第に彼は、私が彼を拒み出したから、自分の殻に閉じ籠もってしまい、私達の関係すら壊れていった。彼はいつも、心の底では置いてかれる事が、なによりも怖かったのか…私はそんな彼を赦さなかった。言うまでもなく、非は私なんだ。彼が人間の事を良く想えず、疑いの眼差しで見ているのは、自分が認められていない、と言う不確かさが、払拭出来ずに居たからだ。その確固たる自信が彼自身満たされず、未だに野心だけが燃えたぎっている、その創作動機が、犠牲になり出した頃から、彼は廃れていったのかも知れない。だから、私は一人でそれを我慢して、私一人で背負い込もうとした。さっき、彼から電話が掛かって来た。キミは、もう一人で居なくて良い。知ってるんだよ? ナニ? 君は、精神年齢が14歳のまま、大人になる事を余儀なくされた、哀しい人だって事を。 それを聴いたとき、涙が止まらなかった。彼を愛して良かった。彼の為に生きたいな、そう素直に思ったよ、ごめんなさい… 泣きべそをこぼしながら、君は僕の電話越しに溜めていた涙を、幾夜も耐え切った、それを想うと、もう疑う事は愚かだと気付いた。ゴメンね、僕は本当は大人じゃない。 本当の大人は君だった。僕は君に甘えていた。それを依存だと僕は認めなかった。だけど、やっぱり僕は君に甘えたかった。ごめん、嫌なら辞めろなんて、君の夢を損なっていた。 君は、本当はもう一度、藝術界に戻りたかった。それはそうだろう。君のアートは、洗練されきっていた。それを一度見たモノは、また見たい!と瞳をキラキラさせながら、君に詰め寄る。僕は、その子供たちの光景を、微笑ましく見つめていたんだ。僕は、初めて君の作品を見た時、感銘を受けたよ。本当にこの世界が変わって見えてしまうぐらい、キミは最高のアーティストだった。僕もまた、見たい。また、君の作った創作が見られたら。今の君を表してよ、君はきっと、こんな汚い自分なんか見せたくないと言うだろう。だから、ずっと自分のされて来た事を、押し隠して居た。キミはずっと、大人に性的虐待を受けていた。僕は、キミになら言うよ。辞めて欲しいってね。 一人で抱えなくても、僕が居るから大丈夫だよ、って その仕事で疲れ冷え切った、背中をさすってあげたい。君を許した時、僕も人を疑うのを辞めたいと思ったのだから。 愛してる、それだけしか君には要らない。 僕は、君にならそれが出来た。 大人びて見えた君は、まだまだ、幼かった。甘いな、僕は、やれやれだ。 頭をぼりぼり掻いて、僕はその僕自身に呆れ切っていた。
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