心の声

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心の声

事務室のOfficeで、優雅にスーツを着こなし、テキパキと溜まっている書類の束を速読して、一気に要点をチェックする。内容は、もちろん捉え、それが価値があるかないか?で判別している。それを、瞬きする隙間さえ惜しみ、尋常では無い量の文章を脳に高速に処理させている。私はポイントを捉え、案件を解答に導く。 性善説は、人間なら信じたほうがいい。それが、多分一番長生きする秘訣だ。だが、それは現実世界でのことだね?精神世界では、それは信じないほうが良い。あくまで、本能に従えば、その偽善が薄ら寒く、信じるに値しない事は、容易に方が着く。今を存在しているなら、その感情は消してしまってはならないし、憎い時に、早く殺してしまったほうが良い。あくまで、精神的に、という意味でだが。時に、答え探しに悩み足掻いた挙句の死とかは今時、流行らない。むしろ美化されない穢らわしいモノだ。それでも、人が死を最終的な安らぎだと信じるのは、人間の脳が、痛みを感じない様に、抑える神経伝達物質を出すから、出来ている生命の神秘だ。死後も、苦しみ続けるそんな世界を生きている人間は誰も望んでやしない。自身も他人も浮かばれない世界なら、地獄でしかないではないか。僕は、犯罪者や罪を犯した人間を殺したい、社会的に抹殺したい訳ではない。正義の名の下に司法を学んだときもあった。僕が、政治や、司法書士になろうとしたのは、自分の擁護の為だ。自分が組織にとって、害悪だとみなされた場合、僕の立ち位置が悪くなる。だから、その試験を受けた。そして、それを見事取得した。その点に於いて、僕はこの世界を手中に収めるだけの、力量を備えた事になる。この世界が悪が罷り通るその憤りに目指した正義は、結局、社会悪が横行するからだ。 その悪を救いたいと言う信念など偽善だと思っていた。だが、現実はどういうわけか、不利な案件の奴ほど法外な収益が有る。裁判官にとって、必要なのは、考えるわずらしさをできるだけ、私個人が処理し、なるべく、相手が答える事に窮する厄介な問題を持ち込まない事だ。裁判官はそれが正義か悪か、二者択一で判断せず、なるべく事を荒立てない様に、遺恨なく、双方にとって、和解の道を常に憂慮している。その心理が視えるなら、当然そうしたほうが出世争いでは生き残る。その中で、自身の意思など持とうモノなら、彼らは私自身を邪険に毛嫌い、視界からなるべく省こうとするだろう。それでは、本末転倒だ。なるべくなら、裁判官の意向に気づき、彼らが悩んでいるのを察したほうが、下手に苦言を挺するより、遥かに優秀な部下だ。従うべきモノに従事し、自分は駒となって、飼い犬の様に、指図されたら右に行き、決して左には行かない様にしたほうが、収益が増す。この原理は、人生経験上たどり着いた、私個人のマニュアルだ。万人に通じるなんて、思ってはならないし、そんな事を願い出したら、正確な審理は永遠に訪れない。時には、誰の批判すら、無視する鈍感な力が、求められる。鈍ければにぶいほど、私は有利だ。私は、断固する。これから先、私は上松康二を擁護する。私が上松から、直々に命を受けた。断る権利はない。私は、自分の収益の為、信頼のため、事務所の為、任務を全うする。正義?ハ?そんなモノなんか、どうでも良い。問題は上松康二から、無罪を勝ち取る事だ。勝つ為には、手段を躊躇わない。
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