寛容な世界

1/1
前へ
/19ページ
次へ

寛容な世界

SNSは、監視されていると感じて居たら、向いてない。自分の個人情報を流して、もし、それが公の場に出た場合、それはプライバシー権に引っかかる。だから、本来なら言えない事があるほうが普通だし、そう言って、やんわりと逃げたほうが良い。彼らは人では無いと踏ん切りをつけ、ブロックなりなんなりすれば良い。それが正しい方法。僕の場合は、自分が過去に下級生の同性に性的嫌がらせをして、悪い事をしたと今は感じているから、贖罪の意味で、赦しを乞うているが、随分身勝手なやつだなと自覚している。悪い事をして、悪いなと思ったら、後で謝るが、赦されるかどうかは、考えていない。そんな事を悔いていたら、孤独になるだろうことはわかっている。僕は、自分の過去を何回書いたかわからない。新しく僕を知るたびにそう言う事を繰り返している。できることなら、見つかりたくなかった存在だ。自分の過去を面白がって、拡散している奴に対しては、反吐しか出ない。いいねの数は、愛されているからではない。人の好奇の目に止まっただけ、なんだ。ハートに騙されたら、痛い目を見る。道化師を演じている内は、良いだろう。だが、自分の罪を、過去を本当の意味で告白出来る人間など、この世界にはそう、さほど居ない。何故なら、自分にとって、汚点は、マイナスの印象しか与えないから。過去に罪を犯した者はそれをひた隠しにして、世間の目から逃れる者だから。そんな日々がずっと、これからも続くと思うと、僕は堪らなく恐怖に囚われた。誹謗する人間の真意は、正論ではなく、社会悪を潰し、アカウントを凍結させる事。それは、正義でもなんでもなく、自己満足の世界だ。邪魔な人間を潰すのは、ブロックするのは、個人的感情で行われて居る。彼らは僕を叩きたかったのに、過去の悪事を全て晒したら、その戦意すら、彼は削がれてしまった。そして、謝り、消えた。彼の中で、僕に対する身勝手な憎悪があった様だ。僕は、悪い人間じゃ無いと、彼にわからせただけだ。変な逆恨みをしていて、良い迷惑だった。凍結は成功している。問題は、彼の中で私が憎いと言うその感情は、此方には全く関係が無い事を、自覚させただけに過ぎない。無害な存在に必然的に、僕はなってしまう。
/19ページ

最初のコメントを投稿しよう!

1人が本棚に入れています
本棚に追加