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第2章
レイコさんは、『新しい人よ眼ざめよ』を読了したら、単行本を貸してくれると約束してくれた。すぐにオレたちは、喫茶店が混んでいなくても、毎晩同じテーブルで食事をするようになっていた。ママは自分がキューピットだったのかしらと目尻に小じわをよせて笑っていたが……
その晩レイコさんは、大学の図書館から借りてきたウィリアム・ブレイクの大きなサイズの詩集をテーブルにひろげた。とくに見たかったという装画があったらしい。明るさを抑えた暖色系の照明が穏和な雰囲気の店内で、オレたちは息を詰めてその装画を注視した。
「生命の樹」に磔刑なったイエスと、大樹の根方に両手をひろげて立ったアルビオン。すべての人類が救われて、崇める視線をイエスにおくっている図柄。そしてこの装画は、次のブレイクの予言詩を描きあらわしているものらしい。
イエスは答えられた、惧れるな、アルビオンよ、私が死ななければお前は生きることができない。/しかし私が死ねば、私が再生する時はお前とともにある。
装画を見つめたままストレートの黒髪を垂らして、レイコさんはしばらく沈黙していた。表情はわからなかったが、わずかにフローラルブーケの香水の香りがした。ようやくひらいた微風のような可憐な声は、心なしか震えていた。
──イエスは「生命の樹」にやさしく包まれて最後を迎えた。
それをアルビオンも強く感じていた。
これは、すべての人類が救われたあと、ワタシたち若者へ新しい人よ眼ざめよという、心優しい魂の呼びかけなのかもしれないわね!
この晩オレは、レイコさんが読了した『新しい人よ眼ざめよ』を借りるため、はじめてパンション上階のレイコさんの部屋に入れてもらった。玲瓏なレイコさんらしくきちんと整頓された、女性らしいセンスと知的さが感じられる部屋だった。本棚にも英文科の学生らしくシェークスピア、ディケンズ、フォークナーなど海外作家の本が並んでいたが、とくにギデオン版の赤い背表紙の聖書が印象的だった。
もちろんオレは、まともにレイコさんの顔を見ることができないほど緊張し、薄いピンク色の花柄のカーテンを開けて夜空を見つめ、何とか落ち着こうと試みていた。星たちは黙ったまま煌めいていたが……
仙台市中心部の高層ビル群の灯りを背景に、ガラス窓にレイコさんのフレアミニスカートをはいた細身の姿が映った。レイコさんはストレートの黒髪をかき上げると、後ろから優しくオレの汗ばんだ手を握り、今度は窓に映るオレの緊張した顔を凝視しながら、可憐な声をやや震わせて、はじめての女性になってあげるといった。
レイコさんは、部屋の灯りを消した。
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