一昨日来い

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『今どこにいるの?』  預かっておいたスマホの通知を見て、いよいよだ、と俺は自分を奮い立たせた。  大金が手に入る。いや、手に入るかもしれない。  成功する可能性は低い。  俺は元々要領の良い方ではなかった。自分でいうのも情けないが、事実だ。  そして、いま俺がやっているのと同じことをした先達は、ほとんどが失敗に終わっている。  ただでさえ失敗する可能性が高いことに、失敗の多い人間が挑戦する。  聞きようによっては浪漫だが、俺のこれは犯罪だ。  ミラー越しに後部座席の少年を見やる。  かれこれ3時間ほど連れ回しているが、今のところ大人しくしている。  従順すぎて不気味だとも思ったが、口には出さなかった。  代わりに何度目かの脅しをかける。 「これから街中を通るが、絶対騒ぐんじゃねえぞ。そのまま下を見ていろ。わかったか」 「はい」  打てば響くように返事があった。 「……良い返事だ」  俺は、再び感じた得体の知れなさをかき消すように、エンジンをかけた。  いつも以上に慎重にハンドルを操り、無人のガソリンスタンドから出る。  この後も安全運転は必須だ。危うい運転で警察に目をつけられるのは避けねばならない。  目的地に着くまでは、人畜無害のワゴン車に擬態する必要がある。  向かう先は、あらかじめ部屋を借りておいたアパートだ。  横目でもう一度、攫った子供の様子を確認する。  彼はシートベルトをしっかりと締め、ランドセルを両腕で抱えたまま、俯き加減で行儀良く座っている。  やはり大人しすぎる、と逆に不安を抱えながら、俺はアクセルを踏んだ。  結局、何事もなく街中を通り抜け、30分ほど高速に乗ったのち、目的のアパートの前に着いた。  車のドアを開けて降りた時、俺は図らずも開放感を覚えた。  子供と狭い空間にいるのが気まずかったのだ。 ーーーいや、待て。逆だろう。なんで俺の方が圧されているんだ。  誘拐犯でありながら、なんという体たらく。  しっかりしろ自分、と軽く頬を叩き、後部座席のドアを開けて中の子供に声をかけた。 「出ろ。くれぐれも騒ぐな」 「はい」  やはり従順に返事をして、彼は車から降りた。  周りに人がいないことを確認してから、俺はその細腕をつかんで部屋に向かおうとした。  と、そこではじめて子供が抵抗を見せた。 「おい、歯向かうのか」  俺が低い声でいうと、彼は小さく首を振った。 「違います。腕が痛くて」 「お、おう。悪かった。……逃げ出そうとしたら、これじゃすまないからな」  反射的に謝った後、誤魔化そうとして脅しをかけたが、果たしてどれほど効果があったか。  子供の顔を見るに見れないまま、部屋に連れて行く。  必要以上に手の力を緩めてしまった気もしたが、子供は逃げる素振りも見せず、俺に腕を引かれるままついてきた。    部屋は殺風景だった。この日のために借りて、ほとんど住んでいないので無理もない。  当然、子供の気を紛らわせる物は一切ない。  膝を抱えて部屋の隅に座る少年を見て、お情け程度に残る俺の良心が疼いた。  自分に子供がいれば、もう少し気が回っただろうか。 ーーーもしあの時、逃げていなければ。  そこまで考えた時、いや、と俺は自分の考えを打ち消した。  そもそも子供を育てられるような人間なら、こんなことはしない。  俺は、こんな人間だ。どうしようもなかった。  必要にかられ、責任ある社会人を目指した時期もあったが、すぐに挫折した。  努力は才能だ。俺にはその才能がなかった、と逃避気味に考えたところで、誰かの腹が鳴る音がした。  俺ではない。  部屋の隅を見やると、子供は相変わらず膝を抱えて座っている。だが、その顔が心なしか恥ずかしそうだ。  誰かの世話をするのは初めてかもしれない、と思いつつ、俺は棚の中に放置していたカップラーメンを2つ取り出した。  子供がカップラーメンを食べている間に、俺は子供の親に身代金を要求する段取りを確認することにした。  まず、俺が預かったスマホで親に電話をかけさせる。こちらの用件だけ伝えたのち、すぐに電話を切る。あとは指定の場所に金を置かせて、回収。金額を確認したら、子供を解放して高飛びする。  スマホは位置提供しないように設定させてある。車とアパートは、あまりよろしくない筋の知人の伝手で借りたものだから、ある意味足がつく心配は小さい。高飛びに関しては、金を借りている相手の一人が協力してくれる手筈だ。ーーーいまの俺の周りには、金を貸す方も借りる方も、後ろめたい事情を抱えている人間が多いのだ。  何はともあれ、この後の電話が計画成功の鍵となる。  無事に身代金を回収するには、警察に関与させないよう親を説得する必要がある。  お世辞にも緻密とはいえない計画だが、ここまで来てしまったからにはやるしかない、と俺は思った。  実をいえば、当初、誘拐自体がこうもすんなりいくと思っていなかった。  目撃者が出ることや、子供の抵抗があることを想定し、かなり手荒な真似をすることも覚悟していた。  ところが、実際はどうだ。  家が金持ちらしき子供を物色し、目星をつけた少年が独りになったとき、道案内を頼むふりをして車のそばまで誘導し、素早く車中に押し込んで現場を去った。幸いにも通りかかる人間は現れなかった。  この一連の出来事は、三分にも満たなかった。  ちょうどカップ麺ができる時間だとつまらないことを思いながらも、俺は目の前で麺をすする子供を見て、改めて疑問に思った。 ーーーこいつ、なんで抵抗しなかった?  最初に声をかけたとき、目の前の子供の顔が一瞬固まったように見えた。その時は見知らぬ他人を警戒しているのだと思ったが、いま思い返すと少し違うようにも思える。  まるで幽霊にでも出くわしたかのようなーーー。 「ごちそうさまでした」  俺の思考は、子供の小さくつぶやいた声で中断された。  空のカップと割り箸をひとまとめにして、ゴミ箱がわりのビニール袋に詰め込む姿を見て、軽く感心する。  改めて、よく育てられている、と思った。自分が同じくらいの歳には、挨拶や後片付けなどろくにしていなかった。  挨拶云々だけではない。  車に乗っている時の姿勢はいやにしっかりしていたし、服装も、鼻垂れ小僧によくいるような薄いTシャツに短パンではない。服には疎いが、着ているポロシャツに皺が見当たらない点だけでも、大事にされているのだろうと思われた。  育ちの良さという点で、昔付き合っていた女を思い出す。  彼女と出会ったのは、不良がたむろする場末の飲食店で、俺は彼女より先に働いていたというだけで先輩風を吹かせたものだ。だが、話すうちに、彼女は名門校高校出身であり、元々かなり裕福な家庭で育ったとわかった。親が早くに亡くなったために仕方なく働いていただけらしい。いわれてみれば、丁寧な物腰で頭もよく、有象無象の輩とは一線を画しているように思えた。誰でも入れるような高校を中退していた俺は、彼女に憧れた。必死に口説き、付き合うことに成功した。  残念ながらその後の結末は最悪に近く、思い出すたびに苦々しさがこみ上げる。  いまも、その記憶から逃れるかのように、没収したスマホを乱暴に手にとり、また部屋の隅に座り込んだ子供に近づいた。 「おい」  子供が顔を上げた。 「親の電話番号を教えろ。余計な真似はするんじゃねえぞ」   子供は頷き、素直に番号を言った。  その従順さに改めて気味の悪さを覚えながら、俺は画面に番号を打っていった。  電話がつながる。コール音は1回で済んだ。 「もしもし!? 湊!?」  焦った女の声が耳に飛び込む。  出たのは母親のようだ。  そこで俺は初めて、攫った子供の名前を聞いていなかったことに気がついた。  自分でも想像以上の間抜けさに思わず舌打ちをすると、電話の相手が異常事態に気がついた。 「……どちら様でしょうか」 「ミナトくんを誘拐した。返して欲しければ、1000万円を用意しろ」  内心の動揺を押し隠して一方的に告げると、電話の向こうの女が息を呑む音が聞こえた。 「どういう……いえ、どうしてうちの息子を。うちはそんな大金……」 「息子がどうなってもいいのか?」 「それは、殺す、ということですか?」  その言葉を聞いて、俺は不覚にも言葉を詰まらせた。 「……ああ。考えりゃわかるだろ」  電話の相手は押し黙った。  その隙に乗じて畳み掛ける。 「息子の命が惜しければ、1000万円を用意しろ。それが用意できたらこっちに電話をかけろ。警察には連絡するな。警察が関わったとわかった時点で、お前の息子をこ……危害を加える。いいな」  なぜか「殺す」と言い切ることはできなかった。 「……わかりました。ちゃんと用意します」  内心ほっとしつつ、念を押す。 「いいか、警察には絶対言うな」 「はい、約束します。約束はしますが……」 「なんだ、文句があるのか」 「いえ。文句ではありません。どうか、湊と少しだけでも話させてくれませんか」  俺は少し悩んで、ミナトくんとやらにスマホを渡した。 「いいか、絶対に余計なことは話すな。横で全部聞いてるからな」 「はい」  今度も素直に返事をして、ミナトはスマホに耳を当てた。 「もしもし、母さん? ……うん、大丈夫。怪我もない。……いや、カップラーメン食べた。……本当に大丈夫だから。うん。……え? えっと……当分、散々だけど、反対できないから、忍耐しなきゃ。たぶん。……うん、家で見たのにそっくり」 「おい。何を話してる。もう終わりだ」  スマホを奪い取った直後に、スピーカーホンにすれば良かったと気がついた。  我ながらつくづく抜けている。  最後に、警察に連絡しないよう母親に再度念押ししてから、電話を切った。  すぐに振り向いて、詰問する。 「最後に何を話した。何がそっくりなんだ?」 「……映画の話です。前観た話と今の状況がそっくりだって」 「何の映画だ?」  問われてミナトは題名を言ったが、文化芸術に疎い俺にはさっぱりわからなかった。  嘘なのか、本当なのか判断がつかない。 「……随分余裕だな。まあ、いい。何度もいうが、チクろうとしたら容赦しないぞ亅  それだけいって、背を向けた。  電話は翌朝来た。  俺は、指定の駅のコインロッカーに正午までに1000万円を置いておくよう指示し、電話を切った。  11時頃、身代金を置いたと再び連絡が来ると、ミナトを車に押し込み、ややアクセル強めでアパートを出た。  相変わらず、ミナトは大人しく座っている。  最初の気まずさが蘇り、俺は気づけば話しかけていた。 「そういえば、お前の父親は出てこなかったが仲が悪いのか?」 「いいえ。うち、父さんがいないんです」  思わぬ返答に一瞬絶句した。  まさかの、母子家庭。  例外はあれど、貧しい方が圧倒的多数のはずだ。本当に身代金を用意できたのだろうか。  動揺する俺に構わず、彼は訥々と語り続けた。 「僕が生まれる直前に、どこかへ行ったんだそうです」 「そ、そうか」 「酷いと思いませんか、僕の父さん」 「それは……」 「母さんとは結婚もしてたんです」  なぜだ。この話に、俺は聞き覚えがある。  先程とは別の動揺に飲まれそうになったとき、指定した駅前に着いた。 「すぐ戻る。じっとしていろ」  そう言い捨てて、転がるように運転席から降りる。 ーーー目的を忘れるな。俺のいまの目的は、身代金を回収することだ。子供一人の話に惑わされるな。  自分でも何に焦っているのかわからないまま、コインロッカーに向かう。  縋るようにして指定したロッカーを開けると、そこには紙袋があった。  中を見ると、真新しい札束が複数入っていた。  母子家庭がこの大金を自力で払えるのかという疑問も吹き飛び、金額を確認する。 ーーー1000万。夢じゃない。これで借金が返せる! ……なんだ、これは?  ふと、札束と一緒に紙きれが入っていることに気がついた。 『誘拐犯の方へ』  いかにも育ちの良い人間が書いたような、達筆。  その字を見て、俺の心臓が跳ねた。  気づけば、俺はその紙に書かれた文に目を通していた。 『約束通り、1000万円を渡しました。どうか息子を無事に返してください。』  間違いない。この字は、彼女の。 『湊は、私が女手ひとつで育てた大事な息子です。今年で10歳になります。そして、あなたはまだ気がついていないかもしれませんが、これは本来あなたにも関係あることです。誘拐犯でなくとも、関係あるはずだったことです。』  10年前、俺は彼女と結婚して、それから。 『湊が生まれる月に、あなたが蒸発してしまったことは本当にショックでした。妊娠を告げたとき、結婚しようとあなたがいってくれた時の嬉しさを差し引いても余りある失望でした。』 ーーー当分、散々だけど、反対できないから、忍耐しなきゃ。  とう、さん、はん、にん。  語頭をとって想いを伝え合う遊びが周りで流行り、俺も昔やっていた。特に、彼女とは数え切れないほど。 『それでも未練が残っていて、家に結婚した時の写真を飾ったりしていましたが、間違いだったようです。お父さんは死んでしまったという嘘も、台無しです。 あなたがこんな馬鹿なことをしでかしたせいで、湊に余計な負い目や失望を抱かせてしまうかもしれない、ということだけが、いまは悔しくてなりません。  最後に、これだけ言わせてください。湊に関心があったのなら』  そこまで読んだところで、背中が衝撃を受け、俺は地面に抑えこまれた。  確保、と叫ぶ声と怒号を聞きながら、俺の目に最後の一行が映り込んだ。 『一昨日来い』
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