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「先生」
「ああ、大変でしたね。寝たままでいいです」
立っている小森を見たことがなかったが、思っていた以上に小柄で白衣に着られているような印象だ。
ベッドサイドの丸椅子に腰をかけた小森が「もう終わったようですね」と眼鏡の奥からじっと陽向を見る。隣の小机でスマホが小さな音を立てて震えたが小森がいるので無視する。
「先生、薬が、」
「効きませんでしたね。辛い思いをさせて申し訳ない」
じわっと鼻あたりが熱を帯びて涙が湧いてきた。この年になって、人前でこんなに泣くなんて、思わなかった。
人生は驚きの連続、ってどこかで見たフレーズがそのまま今の心境だ。
ほろほろ涙をこぼす陽向の背を小森がとんとんと撫でるように触る。
「次また違う種類の抑制剤を処方するか、今回の薬を引き続き使っていくか。どちらがいいですか? 使い続けることで効き始める可能性も全くないとも言えません」
この発情を回避できる、可能性が強いのはどちらだろう。
涙を手の甲で拭いながら考える。今回全く抑制できていない感触だった抑制剤を使い続けるのは怖さを感じる。
「……違う、薬で」
「分かりました。正直効く物を見つけるまでに時間が掛かる気もしています」
「じっ、じかんって」
「次もまた今回のようになる可能性もある、ということです。一番手っ取り早いのは、前々回も少しお話ししたんですが、パートナーを見つけることだと思います。もうちょっと
、ほんの少しでも抑制剤が効いている感触があるなら先が明るくなったのですが」
小森は悔しさを滲ませ頭を掻いた。そして深いため息とともに「抑制剤を用心深く使っていくことと、両輪で考えて頂けたらと思います」と吐き出した。
小森が陽向の病室を訪れた後、改めて診察室に呼ばれた。次の抑制剤の説明とあさってが退院と聞き病室へ戻った。
扉を閉めたと同時に小机でスマホが小さな音を立てて震えたが無視する。
ベッドに入って陽向は天井を睨んだ。
ここにいる人々は発情し、なおかつ抑制剤も効かなかった人間を見慣れているからいいのかもしれないが、正直この発情は陽向の人生始まって以来の生命の危機だ。
小森の話を総合すると、次、抑制剤が効き発情が起こらない、というのは希望的観測だということだ。
つまり多分陽向は来たる一ヶ月後、また同じように発情する可能性が高い。
もしその時、屋外であったら、人混みであったら、陽向は多分たくさんの人に犯される。自分も犯されたいと思う気がする。
今、人生の岐路に立っている。
今取る一手を間違ったら、最悪の結果が待っている。
どうすればいいか、陽向は小森に聞いた。
その一歩をきちんと歩もう。陽向は布団を引き上げきつく目を閉じた。
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