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凛子は発熱している、これから病院にも連れていくのだろう。水曜日の夕方、小児科は込み合っているのだろうか。まだ初冬で本格的なインフルエンザ流行期には入っていないけれど。病児は目を離せないから人手は多ければ多いほど良いとは思う。
本日、陽向は最終出勤日だ。同僚が送別会を開いてくれるのだが別日なので今日はこれから帰宅するだけ。だが、ほんの少し躊躇を覚え即答できない。
東園の匂いはちょっと気になるが病児の世話とは比べるまでもない。しかし一番気になるのは東園がどう見てもαというところだ。
親兄弟から耳にタコが出来るほどαには気を付けろと言われ続けて育った。陽向が知るαは身内を除けば康平くらいだが、大学にはきっと数名はいただろう。
Ωは本能的にαが分かるらしいが、陽向はΩ性が薄いのかその本能とやらが働いたことがない。そもそも誰かに教えてもらわなければα、β、Ωの見分けすら自信がない。おそらくβ、あの人はαかも、とその程度だ。そんな陽向だから身内は過剰に心配したのかもしれない。Ωの身からすれば、対αと対βでは自衛のレベルが違うから。
どうしようと陽向はそっと凛子を見る。鼻が詰まっているせいか寝息をつくたびすぴ、すぴと鼻が鳴っている。
「仕事とは内容が違うから役に立たないかもしれないけど、でも予定もないし、僕で良ければ手伝うよ」
凛子を見ていたら言葉が勝手に溢れた。
自分がΩだろうが東園がαだろうがやはり病児を放っておけない。
それにΩだと小学生の時に判明した陽向はすぐに診断を受け、抑制剤を服用し始めた。現在、日本在住のΩは月一の定期検診と日々の抑制剤服用を義務付けられており、陽向はその管理によって今まで発情を感じることなく過ごせている。発情期と思われる期間、身体の怠さは感じるものの、フェロモンを発生し他人を惑わせる事もなければ誰かに抱かれたくなる衝動を感じた事もない。コントロールは完璧だ。
まあ大丈夫かと思う。
事情がありそうな様子だし、困っている同級生とその子を見捨てることは出来ない。
東園は凛子を抱いているのにも関わらず片手でスマホを操り陽向の連絡先を登録した。陽向も登録して、仕事が終わったら連絡することになった。
園児用の低い靴箱の上に良く磨かれた革靴と、ピンクの小さな靴が並んでいる。
「凛子ちゃん貰おうか、靴履くだろ」
東園が靴を履く為凛子を受けとる。やはり身体が熱いなと思いながら動かされてむずがる凛子をゆっくりゆらゆら揺らしながらあやす。しっかり起きなかったので助かった。
「慣れてるな、先生」
「茶化すなよ」
睨むと笑顔を返された。整った容貌の笑顔って破壊力があるなとひそかに嘆息する。女性に向けたら百人が百人落ちそうだ。
「家に行けばいいんだよね、住所あとで送ってくれる? あ、車で来たの? 駐車場まで行こうか?」
凛子が起きないようにそっと抱き渡す。東園が近付いた瞬間、漂う匂いに動きが止まったが徐々に嗅ぎ慣れてきたようで息を止めなくても大丈夫だった。
「ありがとう。ここでいいから仕事に戻ってくれ。連絡する」
間近で目が合う。美しい色合いの瞳に目が離せなくてついじっと眺めてしまう。凛子がむずがり東園が抱き直した。
「あ、じゃああとで。何か買っていくものとかあったら言ってね」
「ああ」
ほんの数秒でも凝視してしまって申し訳なく感じる。じろじろ他人に顔を見られるなんて嫌に決まっている、陽向が絶世の美女なら別かもしれないけれど。
笑みを浮かべた東園は背をむけて進み始めたかと思ったら急に立ち止まり振り返った。なにか忘れ物かと思ったが東園は陽向を一瞥するとすぐ向き直り歩き始めた。
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