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「エルネスト! もう、足音立ててって言ってるのに――。ビックリして心臓が止まったらどうするんだよ」
このタイミングでなかったらこれほど驚かなかったとレフィは思った。
「そんなに驚かせたか……?」
「アズが驚いてカップを倒すくらいにはね」
レフィと一緒に驚いたのはアズだけだった。レフィも気配に鋭くなったはずだけど、エルネストとナイゼルは黙ってしまうといるのかどうかわからなくなるのだ。
「すみません」
「アズ、レフィ様はいいからカップを持って行きなさい」
キリカはテキパキとレフィにかかった冷えた紅茶を拭きながらアズに指示をだした。
「……エルネスト兄……じゃなくて、エルネスト。自分の纏うフェロモンを変える予定でもあるの? だれかと番なおしたいの?」
「レ、レフィ?」
「そういうことだろう?」
両思いになった発情期間が終わったばかりなのに、そんなことを聞くなんて信じられないとレフィは憤慨した。
「違う、悪かった。そういうことじゃない。ただの興味だ」
「興味でそんなところまで踏み込むべきじゃないと思う――。もし聞くなら……、エルネストがそういうつもりだと思うからね!」
知らない方がいいこともある。エルネストに知らせるべきだと思っていたならシードはそのとき報告していたはずだ。
「……わかった。聞かない。レフィ、そんなに怒らないで……」
「レフィ様、陛下が美味しいケーキを用意してくれていますよ」
雰囲気を変えようとしたのかアズの明るい声がした。
嫌な予感がする。アズはウキウキしている。これは……と思ったところにベタン! と音がした。
「アズ、大丈夫か」
シードが慌てて駆け寄る足音がした。
「アズ、転んだの? ケーキはいいから。怪我してない?」
「レフィ様、レフィ様は優しいです。ケーキより僕のことを……」
涙声は成人している男には聞こえない。
「ケーキはまたエルネストが頼んでくれるから気にしなくていい」
「はい、陛下、お願いします!」
きっともう笑顔になっているのだろう。顔が見えなくてもアズはわかりやすい。
「……料理長に頼んでおく」
「ありがとう、エルネスト。ケーキのかわりの甘いものが欲しい――っていったらくれるかな?」
エルネストの残念そうな声が聞こえて、ケーキを食べる姿を見るのが好きだと言っていたのを思い出した。何か、元気になるもの……と考えて思わず口をついた言葉は戻るわけもなく。
「ケーキのかわり?」
勘のいいエルネストがわからないということは、外してしまったのだ。
「あ、チューだ! レフィ様、陛下にチューして欲しいんですね!」
「アズッ!」
もごもごとアズのうめく声がして、シードかキリカに黙らされたのだとわかる。
「……えと、嫌だったら別にいい――」
エルネストが元気になればいいと思って言っただけで、本当にしてほしいと思っていたわけじゃないしと、心の中で言い訳してしまった。
「嫌じゃない――。レフィ」
「ん……」
顎を持ち上げられてチュッと唇が少しだけ触れた。
「レフィ、真っ赤になるくらい恥ずかしかった?」
「そんなこと――……、ない」
聞かないでほしいとレフィは顔を背けた。
「可愛い、レフィ――……」
ゴホンゴホンとナイゼルの咳払いが聞こえた。
「陛下は本当にレフィ様のことが大好きなんですね! 目がいつものつり上がっているのと全然違います。年始にある王妃様のお披露目は、やっぱりレフィ様のことだったっ」
アズはシードに口元を押さえられて、モゴモトと言いながら連れて行かれてしまった。
「……陛下」
沈黙するエルネストにナイゼルが声をかけた。
「話すつもりだ。ナイゼル、キリカ部屋を出てくれるか?」
エルネストの重い雰囲気に気づかないふりをして、レフィはキリカを呼んだ。
「キリカ、その前に冷たい水が欲しい」
「はい、こちらに――」
ゴクゴクと飲み干して、レフィは息を吐いた。
「後で、もう一杯持ってきてほしい」
「はい、鈴の音でお知らせください」
キリカとナイゼルも出ていくと、たった一人になったような気分になった。エルネストは誰よりも覇気をもっているのに、それを隠すこともできるのだ。
「エルネスト。話して――」
いるのかどうかわからなかったエルネストの気配が揺らいだ。
「レフィ、あちらで話をしよう」
エルネストはそう言ってレフィを抱き上げた。
「寝室でなし崩しにならない?」
「抱いてなし崩しにできる男だと思っていない。レフィが逃げてしまわないか心配だから抱いていたいだけだ」
どちらも信頼とは遠い言葉だなとレフィは少しだけ寂しく思った。
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