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17
「フィオ、私の勝ちだ」
瞼に口付けて、嬉しそうにローレルが宣言した。レフィの意気込みなど呆気なく散った。ローレル(月桂樹)の葉の匂いのことも頭から消えてしまっていたから、完敗だ。
「……あんたの口づけはしつこい……」
確かにレフィのペニスは勃ち上がっていた。こんなに簡単にローレルの思い通りになる自分の身体にレフィは愕然としていた。
どうしよう、あんな凶悪なものを咥えるなんて出来ない……。
レフィの血の気が引いた時、ポスッと音がして、ローレルがレフィの横に転がった。
「さっそくやれって? おい、どこがあんたの馬鹿デカい凶器か俺にはわからないんだ」
どうしてもローレルが相手だと素直になれなくて、レフィは内心の泣き言を微塵も感じさせないように必死で言葉を吐き出した。
「ローレル、手伝えよ。どこかわからないって……」
言ってるだろうと怒りながらレフィはローレルの身体をまさぐった。
その瞬間、スゥスゥという規則正しい吐息が耳をついた。まさか……と思いながら、トントンとローレルの身体を叩いてみた。
「んんぅん」
やけに官能的な寝息をたて、ローレルはレフィを抱きしめた。
「ちょっ、待って――。こんなところで寝たら、風邪を引くぞ」
春とはいえ疲れて酒を飲んでいるのに。
レフィは必死に力をいれてローレルを引き剥がそうとした。筋肉質で無防備な身体がこれほど重いとは思わなかった。
「駄目だ……」
自力でどうにかするのは諦めて、レフィは手を伸ばした。指先に触れた鈴を鳴らすと、キリカが鈴の音を鳴らしながら入ってきた。
「……フィオ様、これは」
これ、というのが眠ってしまったローレルのことなのか潰されているレフィのことかわからないまま頷いた。
「眠った――。こいつ、どけてくれ」
「またガッチリと抱き込んでますね。フフッ、本当にローレル様はフィオ様のことが好きなんですね」
レフィと同じくオメガだから運ぶのは無理だろうと思っていたのに、キリカはローレルを簡単に引き剥がし、担いで寝台に運んでくれた。
「キリカ、細いのになんでこんな重いのを担げるんだ」
触れあうことも多いキリカの体型は、レフィと同じくらいだと思っていた。
「こういうものは慣れです。仕事で重い物を担いだりしてたので、バランスさえ崩さなければ大丈夫なんですよ。フィオ様ももうお休みになりますか?」
何でもないことのようにキリカは言った。
「いや、凄いと思う。尊敬する」
「ありがとうございます。コツを掴んだらフィオ様でもできますよ」
寝台まで手を引いてくれるキリカの指が、ローレルと同じような硬さだということに初めて気がついた。
「キリカ、剣をつかうの?」
「フィオ様? ええ、オメガだとわかるまで私は剣を生業にしていました」
キリカの声がわずかに硬くなった。多分、踏み込まれたくないことなのだろう。
「頼もしいね」
レフィは当たり障りのない言葉を選んだ。フッとキリカが力を抜いたのを指先で感じる。
「フィオ様をお護りしますよ」
「ありがとう。頼りにしている」
それがキリカの仕事だということはわかっているけれど、目の見えないレフィをいつも気遣ってくれているキリカにお礼を言いたかった。
「では、お休みなさいませ。寝台の横に鈴を置いておりますから、また潰されてしまったら鳴らして下さい」
潰されて何もできなかったレフィはありがたく頷いて、傍らに眠るローレルの頭をパンと叩いた。
「ううん……」
相変わらず眠ったままのローレルに呆れもするが、少しだけいたわってやりたい気もする。
ローレル(月桂樹)の香りがしたのは他のオメガを抱いていたからと思っていたけれど、落ち着いて考えたらローレルの葉の効用に思い至った。レフィのダフネの香りと違って薬草としてもよく使われているからだ。神殿の施療院で手伝っていたレフィはローレル(月桂樹)が痛み止めや炎症を抑える効果があることを知っていた。
寝る間も惜しんで働いてるというのが本当なら、アルファであるローレルがこれだけ疲れているのも頷ける。顔を触ると、眉間に皺も寄っていた。お酒を飲み過ぎたのは、多分美味しいからではなく大変なことがあったからなのだろう。
母も二人で旅をしているとき『やってらんない』といって飲み過ぎてしまうことがあった。今まですっかり忘れていたことを思い出しながらレフィは皺を伸ばしながら寝ているローレルに話しかけた。
「あんた、優しいくせに強情そうだもんな。泣き言も言わなさそう」
「レフィ……」
寝言だとわかるのに心臓が跳ねた。呼ぶなと言って偽名を使ったのはレフィなのに、呼ばれて嬉しいと感じてしまった。
「本能はどうしようもないよね、お母様――。レフィって呼んでいいのは兄様だけだ、あんたには呼ばせないよ、ローレル」
口付けで口を塞いで、レフィはわざと冷たく言い放った。
「……寝る子の頬に口付けて、星空に挨拶をして……今日はおやすみ。……おやすみなさい。眠れない子に歌を歌ってあげましょう。明日微笑むために、今日はおやすみ。おやすみ、ローレル」
小さな声でレフィは子守歌を歌った。リュートはもう弾きたくなかったけれど、歌うことは嫌じゃない。子守歌が終わって、眉間の皺が消えたことをレフィは指先で感じた。
「人の身体を煽るだけ煽っておいて、あんた本当に最低だな」
ローレルの鼻をつまんで、レフィは文句を言った。もちろん返事が返ってくることはなかった。
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