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18
一月ほど経つと、レフィは部屋の外に興味を覚えた。見えなくてもキリカの手を借りれば、それなりに生活できるようになったことも大きい。ここがどこなのか全く想像もつかないが、他の人に会うことがあればそれも解決するだろうと思っていた。
「庭を歩いてみたい。部屋にばかりいると身体がなまる」
「キリカのいるときだけなら、構わない」
「見えないんだから一人でどこへ行くって言うんだよ」
ローレルが心配性なのは一月で嫌と言うほど実感した。今もキリカの仕事であるレフィの食事の介助を手伝っている。キリカと違って口まで運んでくるのでまるで赤ちゃんになったような気分になってしまうから嫌だと言ってもキリカに交代しようとしない。ローレルは丁寧だから困るわけではないけれど、顔を見られながら食べていると思うと少し恥ずかしい。これがキリカだと気にならないのが何故か、レフィは皆目見当もつかない。
「私が一緒に散策してもいいんだが……時間が遅いしな……」
「そんな暇があったら寝た方がいい。あんたの上司は人使いが荒すぎるんだ。あんたがアルファじゃなかったら死んでるぞ」
ローレルは毎日朝から晩まで仕事だと言って帰ってこない。レフィにとってはありがたいが、こんなことをずっと続けていたらアルファだって身体を壊してしまうだろう。
「上司、が、ね……本当に人使いが荒いんだ」
クスッと側に控えていたキリカが笑った。上司を知っているのだろう。
「ローレル、あんた何の仕事してるの?」
好きじゃなくても、番の仕事くらい知りたいと思ってもおかしくないよなと思ってレフィは訊ねた。平然としたふりで、今日の天気を聞くくらいの手軽さで訊ねたのに、ローレルはもったいぶる。
「……知りたい?」
デザートのケーキを食べたレフィの口元をナプキンで拭いて、何故か頬に口づけしてローレルは反対に訊ねてきた。
「べ、別に! あんたが何してようが俺には関係ないから――んぅ……あ……だから! キリカの前で止めろって――」
頬だけに止まらず、ローレルはレフィをさっきまで食べ物がのっていたローテーブルに押し倒して口づけてきた。
「……雑用係みたいなものだ」
口づけて満足したのか怒られたからか、ローレルはつまらなそうな声を出してレフィを抱き寄せた。
「雑用係? あんたが? そんなに偉そうなのに?」
「偉そう? 朝から晩まで働いて自分でも偉いとは思うけど」
「だってキリカ……が」
「キリカが何か言ったのか?」
責めている口調ではないけれど、探るような雰囲気を感じてレフィは首を振った。
「キリカは優秀だ。気遣いもだけど話をしててとても頭がいい人だと思う。剣も使えるって言うし、だから……そんなキリカが仕えているんだから、あんたはそれなりに偉い人なんじゃないかなって思っただけ――」
オメガということを抜きにしたら、それこそとても有望な人材に思えた。
「キリカのことはそんなに認めているんだな……」
ローレルの落ち込みが激しいのは仕事が忙しいせいだろう。キリカに八つ当たりされても嫌なので、レフィは少し明るい話題を……と思って話題を少しだけずらしてみた。
「あんたの仕事はもういいよ。昔、子供の頃、何になりたかった? 俺は文官になってバリバリ働きたいと思ってたんだけど……目が見えなくなったから、何かできること見つけないと――」
「フィオは前向きだな。私は……、昔ケーキを作る人になりたかった」
前向きなわけじゃないけれど後ろばかり見ていても仕方がないとレフィは母から教わった。今も大事な教訓だ。
「ケーキ? あんたは甘いものそんなに好きじゃないだろう? 食後のケーキだって食べないじゃないか。いつも俺に寄越すだろう?」
ローレルは仕事の合間に間食しているそうで、帰ってきてからはそれほど食べない。たまに早く帰ってこれた日は一緒に用意されているけれど、ローレルは食事をするよりレフィに食べさせるほうが楽しいようでキリカの仕事を取り上げてしまう。そして親鳥のようにレフィの口まで一生懸命ケーキを運ぶのだ。
「ケーキは人を笑顔にするから。私はケーキを作って、フィオに食べさせたかった……。年をとって引退したら、ケーキ作りを習おうかな。フィオが食べてくれるなら……」
レフィとしてはさっさと番を解消してくれればと思っているけれど、オメガとしての本能がローレルの言葉に幸せを感じている。このいびつな感覚にも少し慣れた。
「年とって毎日ケーキなんか食べてたら病気になるだろ。俺を殺す気かよ」
ただでさえ、毎日二人分のデザートを食べているというのに。
「毎日抱いてあげる。ずっと発情してたらオメガは病気にならないよ」
「……もう一度言う。殺す気か」
後ろからキリカの堪えようとして失敗した笑いが聞こえてきて、レフィはため息を吐いた。
「レフィといると、笑いが絶えないな。もう少ししたら全て片がつく。そしたら温泉に行こうか」
笑いが絶えないのは誰のせいだと頬を膨らませて、レフィはローレルの提案に噛みついた。
「温泉? あんたはどこに行ってもヤりたいのかよ」
母と旅をしていた時、たまに温泉街にも行った。温泉のあるところには休暇中のアルファが多くいた。母は抜群の危機管理能力を持っていたのか、人さらいにあうこともなかったし、酷い目にあうこともほとんどなかった。最後は刺されて死んでしまったけれど。
「したいなんて言ってないのに、もしかしておねだり? フィオも可愛くなったね」
「馬鹿っ! 温泉なんて行くものか! 仕事のしすぎでもげてしまえ!」
忙しい毎日が続いていてもローレルはレフィを抱く。発情時ではないので、挿入までいくことは一週間に一度程度だが、隙あらばローレルはレフィを抱きしめ、口づける。最初こそ抗っていたレフィも、ローレルから自分の香りがすることに次第に慣れていった。自分自身のフェロモンはわからないのに、一度番に移ってしまえば匂うのだから不思議だ。
「もげないから安心して。フィオがおねだりしてくれたらいくらでも勃つよ」
この男は人の話を聞いていないとレフィは苛立つ。
「おねだりなんかするもんか。してもしなくてもあんたは俺を自由にするだろ。それにまだ、あんたを許してないからな!」
「許されるなんて思ってないから安心していい……」
ローレルは鷹揚なようでいて横暴だ。許されないと思っているということは、許しを乞うつもりがないということだ。
「あんたは……自分勝手だ」
ローレルはレフィの手を握りその甲に口づけた。
「ごめんね、フィオ」
そのくせ謝るのだ。レフィは手を奪い返して服でローレルの口づけた場所を拭いた。
ローレルは何も言わずに、もう一度レフィを押し倒した。
唇が何度も優しくレフィの顔に触れ、最後に唇に押しつけられた。
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