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 服を着せ替えられて、レフィは籠を持った。 「召使いに見えるようにしました。誰かに会って、私が何も言わなかったら、頭を下げてください」 「顔は隠さなくていいのか?」 「顔を知っているのは、ローレル様と、僅かな者達だけです。彼等に見つかったら、変装していてもばれてしまいますから一緒です……」 「博打だな」 「やったことがあるのですか?」  意外そうな声で訊ねられたが、首を横に振るしかなかった。 「神殿育ちを舐めんな。どれだけ清く正しく生きてきたか……」  あの頃は余計なことをしている暇はなかったし、辛いとも思わなかった。エルネストに相応しくあろうと思っていたレフィは、博打をしようなんて思いもしなかった。今は、目が見えたらやってみたいなと思うから不思議だ。 「フフッ、口調が神殿育ちらしくないのですぐに忘れてしまいますね」 「元々俺はオメガの母と旅をしてたし。最初はローレルが呆れて嫌えばいいと思って乱暴な言葉や皮肉を混ぜて使ってみたんだ。そしたら、案外性に合ってた」 「そうだったんですか?」 「まぁ見本は神殿にも沢山いたからな。オメガのための神殿だったから、場末の飲み屋とかで弾き語りしてた奴とかもいたよ」  神官達はそんな言葉遣いをしていなかったけれど。 「アルファはオメガに対して、何というか夢を見ているところがありますよね」  思い当たることがあるのかキリカはそう言った。  扉を抜けて、足音が反響する廊下を抜ける。 「ええっキリカでもそう思うの?」 「ええ、番の代わりをしてもらっている人は、そういう人です。本当の私が見えてないようでイライラします」  キリカは悪態をつくけれど気持ちは別なのだろう。本当の自分を見て欲しいと言っているようにしか聞こえなかった。  顔に風があたって、レフィは屋外にでたことに気付いた。いつも散歩しているところは中庭で、温室のようになっているのだと聞いた。 「怒っていいんじゃないか?」 「……親切で言っているとわかっているから怒れないんです。もう相手をしなくてもいいって言ったら身を引こうとしてるのが健気だとか思われるんですよ……」 「健気じゃないか」 「健気ですよね……」  レフィとキリカは、二人で思いっきり笑って口を押さえた。 「ここからはお喋りしてはいけませんよ」 「ああ」  ギィと蝶番の鳴る音がして、大きな扉が開く音がした。  レフィは隣のキリカの気配を感じながら、心臓の忙しない音を聞いていた。 「こっちです。もう大丈夫です」  沈黙のせいか長い時間に感じて、ほぅと息を吐いた。ローレルの屋敷は思っていた以上に大きかった。 「見つけた!」  ローレルの声でもシードやアズの声でもない。レフィがここで初めて聞いた怒鳴り声は近くからだった。 「何者だ! まさか……」  キリカが緊張したのがレフィにもわかった。 「それは国王のオメガだ!」 「フィオ様、伏せて――」  見えないレフィが足を引っ張るのはわかっていた。足音から、多分相手は一人だ。キリカなら大丈夫だとレフィは自分に言い聞かせてその場で伏せた。 「そんな大層なもんじゃない!」  レフィは声の限り叫んだ。国王というのはエルネストだ。国王の義理の弟ならまだしも、冗談の様な言葉に苛立った。 「侯爵である私の父をオメガに狂った愚かな王が殺した! 自分の叔父であるにも関わらずだ! 薄汚い国王のオメガめ、むごたらしく殺してやる!」 「逆恨みも甚だしい!」  ガチンッ! と金属が交差する音がした。二人の足音と息遣い、剣戟の強さに慣れないレフィは身を竦ませた。 「させん!」 「オメガの癖にいい腕をしているが、私が一人で来たと思っているのか?」  人の気配が近づいてくる。それも一人や二人じゃない。自らの優位を疑わない敵の言葉に、レフィはそれが敵だと思って絶望した。 「ローレル! ローレル! 逃げて、ごめん……」  最期だと思った。ローレルを傷つけるために出てきたわけじゃないとそれだけでも伝えたかった。  レフィは自分の我が儘でキリカを失うことになるかもしれないことに初めて気づいた。 「フィオ様、下がって――! グゥ――あ……」  キリカが押し殺せない悲鳴を上げた。剣を持っているとわかる何人もの足音が耳のいいレフィを怯えさせた。 「やった、やった! 後はお前だけだ! がぁぁああ!」  歓喜を叫んだ男の方から断末魔の叫びが聞こえた。どうなっているのかわからず、レフィは身を固く縮めた。 「何を謝っているんだ? フィオ……」 「……ローレル?」  足音は敵ではなく味方だったのだとわかって力が抜けた。 「陛下、これはブローナード侯爵の家族ですね。味方が来ると思っていたのなら、まだ潜伏しているかもしれません――」 「間違うな、今は……ローレルだ。処刑場の方の襲撃は陽動だったんだろう。他にもいるかもしれん。徹底的に調べろ――。……こんな跡継ぎしかいなかったことがブローナードの最大の不運だな」  ローレルの口調はいつもよりも厳しくて、レフィは混乱をさらに深めた。 「ローレル、どうして陛下って……兄様を殺したの?」  シンとあたりが静まりかえって、ローレルの咳払いが聞こえた。  陛下と呼ばれるのはエルネストただ一人のはずだ。ローレルじゃない。 「そうじゃない……」 「フィオ様……ッ、ローレル様が……エルネスト様です……」  吐く息に紛れて、微かにキリカの言葉がレフィの耳に届いた。 「エルネスト兄様? どうして――だって、全然違う。声も、身体も、それに匂いだって……」  混乱しているレフィを抱き上げた手は、確かにローレルのものだとわかる。香るのはレフィのダフネの香り。 「フィオ……いや、レフィ。もう十年も時間が経ったんだ。会えない間に私は大人になった。声も低くなったし、君を護りたくて身体も鍛えた。匂いは、暗部の一員として仮の姿を纏う時に使っているものだ」  エルネストだと言われてそうなんだ良かったとは思えなかった。 「でもそれならどうして……。兄様なら何故名前を偽るの? 俺は待ってた! ずっと神殿で兄様が来てくれるのを待ってたのに!」  ジーナと二人で待つ時間は長かった。ジーナが亡くなった後は、一人で待っていたのだ。それがどれほど孤独で、耐える時間だったか。  胸元で怒りのために震えるレフィを抱きしめたローレルは、宥める様に背中を撫でながら告白する。
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