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「レフィ、私が嫌で逃げたんじゃないんだね?」  静かな声が降ってきた。寝台に下ろされて、エルネストが横に座ったのが寝台の揺れでわかった。 「違うって言った」 「ごめん、自信がない。レフィに好かれることを何もしていないから……」 「兄様……じゃなくて、エルネストはどうして迎えに来てくれなかったの?」  義父である国王が死ぬまで、レフィが神殿にいたことを知らない訳がない。それなのに顔をみせてくれなかったエルネストの気持ちを知りたかった。 「……レフィ、私はオメガに人権を戻したかった」  エルネストの声は、とても静かだった。 「オメガに? どうして」  レフィ自身、生まれた時からオメガはそういうものだと思ってきたから、アルファであるエルネストが何故そう考えたのかわからなかった。 「母は、王である父の番を殺したのにも関わらず幽閉されただけだった。王妃という地位のせいだと思っていたけれど、違ったんだ。王の番であってもオメガの位はそれだけしかなかったということなんだ。そんな危うい地位にレフィを立たせるなんて考えただけでも恐ろしかった。私が先に死んでも、レフィが心から笑える日が来ると信じられる国にしたかった――」 「俺のため……?」 「レフィのため、というより自分のためだな。沢山人を殺した。私についてくれた人達はそれは必要悪だと言ったけれど、私は知っている。この改革はただの自己満足だと。それでも中途半端で止めるつもりはなかった。レフィを傍におけばそれは私の弱点以外の何ものでもない。だから、改革を行うまで迎えに行けなかったんだ……」 「そんなことを……」  レフィは見えない目でエルネストを見つめた。そこにいるのは傲慢で優しい男でもなく、知的で美しかった兄でもなく、強い為政者だった。 「父が亡くなるまで影で動くしかなかった。何故ローレルの匂いがしたかって言ってたね。本当はシードがローレルの匂いをつけていた。アズの最初のフェロモンの匂いはローレルの葉だったんだ。彼等も『運命の番』で成人前にわかっていたそうだ。けれど、アズをシードの番にしたくなかった人達がアズを攫って人体実験の道具にしてしまった。アズの成長が止まってしまったのはそのせいらしい。シードが暗部の一員として『ローレル』を名乗って、香りをつけて捜査を続けた結果、アズを見つけ出すことが出来た。けれど、その時アズのフェロモンはローレルの香りではなくなっていたんだ。『運命の番』だったからか、違う匂いになったアズにシードは反応しなくなった。でも、それこそ自分を実験台にしてシードはアズと番うことが出来た……。普通の番と違って、『運命の番』は一度番になってしまえばもう変更ができないんだ」 「そんな事が……」 「シードがアズを救った時、その場にいた者達を全て殺して庭に植えられていたローレルの葉を死体の上に残したものだから箔がついてね、私が現場に行くときはローレルの名を貸してもらっていたんだ。とっさのことで借りていたローレルの名前を告げてしまったんだが、後悔した。レフィが『ローレル』の名を呼ぶ度にモヤモヤした」  すごく怖い話をしていたはずなのに、いつの間にか小さな笑える話になっていた。 「……二人でローレルを使っていてややこしくなかった?」  ローレルが二人になったりしなかったんだろうか。 「多少は……ね。父がレフィの母を想ってもっとオメガのために動いてくれたらこんな苦労しないで済んだのにと、いつも腹立たしかった。父を何度も殺してしまおうと思っていたよ。でも父を殺した手でレフィを抱きしめるわけにはいかないから我慢した」  エルネストは淡々と告げた。声の静けさとは反対に強い思いの表れのようだった。 「お義父様を?」 「あの人は、レフィのお母様を失った後、もう抜け殻のようだったのに……、私達に対する意地のようなもので国王を務めていた。何を成すでもなく、ただ恨みだけを私に向けてきた」  エルネストの苦労を思うと神殿で待つのが辛かったなんて言ってられないと思った。 「いつも疲れている人だったね。俺は母の楽器を弾いて、慰めていた」  レフィの記憶にある前国王の姿は、孤独だった。かわいそうな人だと思っていたけれど、エルネストの方がもっと大変だっただろう。父親に敵意を向けられるなんて想像だけで泣けそうだ。 「レフィ、私が贈った楽器はいらないって言ったのに……」 「見えなくて、鳴らすことしかできないし……、本当は好きじゃないんだ。お母様だって、楽器が好きで楽士をしてたわけじゃなくて、できることがなかったから弾いてただけだって言ってたし。別にへたってわけでもないけど、楽器を奏でるより歌を歌う方が好きだな……」  別に言い訳じゃないけれど、言い訳のようになってしまう。 「父のことは慰めても、私のことは慰めてくれないの?」  エルネストがそんな風に言うとは思ってなかった。レフィは手を差し出してエルネストの顔を探った。気付いたエルネストは、レフィの手を自分の頬にあてて顔を擦り付けた。 「もしかして……ヤキモチ?」  まさかねと思って笑ったレフィは、エルネストの頬が膨らんで驚いた。 「レフィは私の番なのに……」  子供が駄々をこねるような言い方にレフィは噴き出した。 「エルネスト、何だか記憶の中の兄様と違うみたいだ……」  そう指摘すると、唇の端を少しだけつり上げてエルネストは目を閉じた。 「嫌いになった?」  戯けているわけでもない、エルネストは本当にそう思っているのだと感じてレフィは首を振った。 「大好きだよ。ヤキモチ焼いてくれて嬉しい……」  口で好き、大好き、愛してるとどれを告げても違うような気がした。だからエルネストを押し倒して、身体を擦り付けた。 「レフィ、こらっ、……レフィも悪い子になった――。男を誘うような子じゃなかったのに」  当然だとレフィは笑った。 「男を誘うんじゃないよ。エルネストを、俺の番だから誘うんだよ。匂ってない?」  自分ではわからないけれど、匂わないわけがない。身体も、心もエルネストを求めているのだから。 「さっきから凄い匂いがする。まるで雨が上がったばかりの夏の暑い日のようにムッと充満している。ダフネの香り……レフィの、私の大好きな香りだ」  香りを身体に擦り付けるように、レフィはエルネストにしがみついた。 「エルネスト……」  思いの全てを込めて、レフィはエルネストの名を呼んだ。  頬と頬がすり寄せられて、唇が重なる。
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