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「エルネスト、抱いている必要はないと思うけど」
エルネストは寝台にレフィを下ろすわけでもなく、抱いたまま寝台に座ったようだ。何がそんなに不安なのだろうとレフィは不思議に思った。アズが言っていた王妃が自分ではなく、他の人のことだからだろうか。怒って逃げると思っているのかなとレフィは自分を抱いているエルネストの手をとった。
緊張しているのか冷たい。その手を組むようにして握りしめた。
「エルネスト、王妃は他の人にお願いしたの?」
「違う! レフィ以外を私の妃にするわけがない――」
怒ったような低い声に少しだけ驚いた。エルネストがそんな声を出すのは珍しい。
「ごめん、ならなぜそんなに困っているの?」
レフィはエルネストが怒っているのではなく困っているのだろうと思って聞いた。
「レフィは嫌じゃないのか? レフィが断るだろうと思っていた――。だから直前になるまで内緒にするつもりだった。まさか内々の話が噂になっているとは思っていなかったんだ。口の軽いやつが誰か――……」
シードのような気がした。しかも確信犯だと思う。
「直前に言われてたら、きっと俺はエルネストをしばらく許さなかったと思うから、いいんじゃないかな?」
「いや……か?」
レフィの頭に頬をすり寄せてエルネストは困ったような声を出した。
「エルネストが決めたんでしょ? 王様の言うことをいやだって言ってもいいの?」
国で一番偉い人のいうことだ。エルネストが全て自分の思い通りにしたいと思ってもおかしくないのに、自信のなさそうな声を不思議に思った。
「レフィは目が見えないから王妃にはなってくれないと思っていた。だから……エルネストを名乗らなかったんだ――」
エルネストはそう言って握っていない方の手でレフィの頭を撫でた。
「……そうだね。あの頃の俺だったら、きっと断っていたと思う――」
エルネストの杞憂ではない。レフィは迎えに来てくれた義兄の手を取れなかったかもしれないと思った。とれたとしても、王妃にはなれないと思っていただろう。迎えに来てくれるのを待っていたのにおかしな話だが、矛盾した想いはレフィの中で天秤で揺れていたはずだ。
「レフィ……」
「エルネスト兄様が迎えに来てくれるのをただ待っているだけの俺だったら、王妃になることで起こりうる事態を憂慮してしまったと思う。俺は神殿で、ずっと……待っているだけだったから――」
「レフィ、ユア神官に話は聞いている。私の手伝いがしたいと父に隠れて勉強をしてくれていたんだろう?」
「ユアに会ったの?」
いつの間に、とレフィは驚いた。
「昨日、神殿に喜捨してきたんだ。仲がよかったんだな。レフィの医者、もしくは世話ができるものがいないかと頼んだら、彼が来てくれることになった」
エルネストがわざわざ神殿まで出向く必要がなかったはずなのに、時間を割いて行ってくれたことが嬉しかった。オメガための神殿は、保護がなければ大変経営が難しいことを経理を手伝っていたレフィは知っていた。
「ありがとう、エルネスト。ユアは元気にしてた?」
「ああ。来週にはこちらに来てくれるはずだ」
ユアがいなくなって神殿は大丈夫だろうかと不安になったけれど、オメガが酷い扱いを受けなくなったということを思い出した。それで来れるのだろう。責任感が強いユアがレフィのためとはいえ放りだしてくるとも思えなかった。
「ユアに経理とか施療を手伝わせてもらっていたんだ。他の神官はお義父様に見つかったら怒られるだろうって言ってたのに」
「優しそうな顔をして肝が据わっているんだな」
エルネストの賛辞に頷く。
「そうだよ、強い人なんだ。……俺がエルネストの話をしたら『会いにいけばいいのに』ってずっと背中を押してくれてた。でも俺は……、エルネスト兄様に『誰?』って言われるのが怖くて、ただ待ってるだけだった」
エルネストは握り合っている手に力を込めた。
「不安にさせていたんだな……」
「俺が弱かったんだよ。でも神殿に行くって決めた時、俺はエルネスト兄様にさようならをするつもりだった。ローレルに噛まれていたこともあるけど、もし俺がローレルのものだと知って兄様が怒ってしまったらローレルが殺されるかもしれないって思ったんだ――。クタクタになるまで仕事をして、それでも俺に触れようとしてくるローレルを癒やせたらいいなって思っていた。ローレルが俺のことを本当に愛してるんだって触れる指や身体の熱さが教えてくれた。見えなくても、大事にされていることはわかっていた。だから、兄様ではなくローレルを選ぶつもりで神殿にいく途中だったんだ」
結局同じ人だったけれど、覚悟を決めたことは自分の中に残っている。
「レフィ……まさか自分自身に嫉妬する羽目になるとは思わなかった――」
エルネストの言葉で勇気が沸いてくる。
「エルネスト、俺だけを愛して――。エルネストが横にいてくれたら、俺はどんなことだってやってみせる。王妃が
どれだけ大変な道であっても、止まったりしない。できない事も沢山あるけど、それでも諦めたりしない――」
俺は一人じゃない。エルネストもキリカもユアも――アズやシードやナイゼル、他にもきっと助けてくれる人がいるはずだ。無理だと諦めるのは最後でいい、そう思って握り合っているエルネストの指に口づけた。
「レフィ、いつもレフィの言葉で未来は拓けるんだ――」
「エルネスト?」
「海に連れて行ってくれるって約束が私をここまで導いた。私の灰色の世界の中でレフィの、ダフネの花だけが色づいて香っている」
エルネストはレフィをもう一度強く抱きしめた。指が離されて、レフィは寝台の上に下ろされた。
「エルネスト?」
何故下ろされたのかわからず、レフィは戸惑いながらエルネストの言葉を待った。
「レフィ、ずっと私の横にいて――。それだけで私はこの世界を愛せる」
「ずっと……いる。エルネストと一緒に愛していきたい……」
エルネストが作る世界はきっと美しい。ただ一つの約束のために、レフィに、オメガに人権を与えようなんて誰が思うだろう。エルネストが沢山の困難を超えなければきっとそんな世界はいつまでたってもやってこなかった。
「レフィに誓う。私の魂はレフィのものだ――。どこまでも一緒に歩いて行く」
素足に何かが触れた。少しだけ持ち上げられて、そっと何かが触れる感触がした。
「エルネストッ!」
「騎士の誓いだ。王の誓いがないのでこれで許してくれ――」
レフィは絵本の中でみた騎士の誓いを思い出した。騎士が、膝より下に頭を下げるのは騎士の誓い以外にないことだ。
「あっ、そんな――」
王がそんな誓いをしなくていいのだ。本来王に捧げるべき騎士の誓いなのだ。王の靴に口づけて、一生従うと誓うためのもの。
「レフィ、許すと言ってくれ」
足の甲に口づけられて混乱と羞恥で頭がぼんやりしてしまった。
「ゆ、許す……。あ……え……?」
足の甲から臑を伝って、エルネストの唇が膝に触れた。
「愛してる――」
手を伸ばすとエルネストの顔が膝の前にあった。レフィは思わず抱き寄せて、後ろに倒れ込んだ。
「エルネスト、俺も愛してる――」
「レフィ、発情期は終わっているのにこんなに香っているのは何故?」
首筋に口づけられて、レフィの身体は官能的な震えを帯びた。
「俺が匂うのは……エルネストを誘惑してるから――だろ?」
唇が押しつけられて、舌がレフィの口の中を暴いていく。もう身体のどこもエルネストの触れていないところなどない。
「私達が愛し合っているからだ……」
エルネストの愛撫はもどかしいくらい優しく、発情期でない穏やかな時間を二人は過ごした。
レフィがキリカを呼ぶために鈴を鳴らしたのは随分遅くなってからだった。
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