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 エルネストは強くて頼りがいがあって、涙を見せるような人ではなかったのに。 「エルネスト兄様、僕……」  顔を上げると、綺麗な青色の瞳に水滴が散りばめられていた。 「レフィ?」  どうしてそんなことをしたのかレフィは自分でもわからなかった。膝立ちになりエルネストの涙を吸うと、彼は大きく目を瞠り、次いで笑顔を浮かべた。 「兄様の涙はしょっぱいね。海の味がする……」  自分がしたことが少し照れくさくて、レフィはそう言った。 「海か……。行ったことがないな……」  同じように照れているのか目元をほんのりと染めたエルネストが天井を見上げて答えた。 「エルネスト兄様、僕が海へ連れて行ってあげる」  全然関係のない話をした。母のことでもない、義父のことでもない。これから訪れる辛い別離ではない、未来の話をいくつも。 「レフィ、甘い花の匂いがする……」  握っていた手の甲にエルネストが口づけた。そして不思議そうに匂いがすると言った。 「甘い匂い? 何も食べてないけれど……」 「ああ、頭の芯が痺れるような……」  エルネストの目が熱に浮かされた人のように虚ろになった。レフィは驚いて控えているジーナに助けを求めた。 「殿下! まさか……」  ジーナの悲鳴に驚いたが、エルネストが目を醒ましたような顔になったのでレフィはホッと息をついた。 「これは……」 「殿下、抗性剤を飲んでいますか?」  アルファは第二性徴と共にフェロモンに抗うための薬を飲むようになる。番がいなければ、フェロモンに抗えず望まぬ番を作ることにもなりかねないからだ。同じようにオメガも発情抑制剤というフェロモンを抑える薬を飲むことになるが、十歳のレフィに第二次性徴はまだ訪れていない。 「もちろんだ。このことを父には……」 「私は陛下に忠誠をもってお仕えしております……が、『運命の番』を失ったばかりの陛下に二人のお子様が『運命の番』であったと告げれば不幸しか訪れないことは明白です。陛下のためにもお二人のためにも私は無言を通します。第二次性徴が始まる前に抑制剤をレフィ様に飲んでいただくことになりますが、ベータとして擬態していたほうが安全です」  エルネストは神妙に頷いて、レフィの額に口付けた。 「レフィ、どんな困難があっても迎えにいく。誰のものにもならず、待っていて――」  二人の言葉の意味はわからなかった。ただ、エルネストが待っていて欲しいというならいくらでも待てると思った。エルネストの言葉を信じて待っていればまた一緒に遊んだりご飯を食べたりできるのだ。 「兄様、迎えに来てくれる? 僕、待ってるよ」  これ以上近づいたことなどないほど密着して、その温度にレフィもそしてエルネストも癒やされた。 「ああ、レフィ。愛しい私のレフィ……」  エルネストはレフィの顔のあらゆるところに口付けた。 「兄様……唇は?」  唇だけはわざと外しているような気がしてレフィは頬を膨らませた。 「そこは恋人になってからだ。おませさん。……ジーナ、レフィを頼む」  義理の兄弟だけでなく恋人になれるかもしれないと知って、レフィは熱くなっていく頬をつねってみた。まるで夢のようだ。もしかして自分は今眠っていて、本当に夢だったらどうしようと思った。ちゃんと痛いのが嬉しくて、レフィはエルネストを見上げた。  エルネストの目にもう涙はなかった。いつもよりも強い意志を瞳に宿しているように見えた。未来を見据えたエルネストの頼もしい顔を見て、レフィは胸に恋という火を灯した。
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