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 それから十年の歳月が過ぎた。成人を迎えてもエルネストは来なかった。ジーナはレフィが十八の時に亡くなってしまった。その頃には預けられた神殿で友もできていて、内緒で薬を融通してもらうことができた。友となったユア神官はレフィと同じようにオメガだった。ジーナには言えないこともユアには気軽に話せたのはオメガだからかもしれない。ユアにだけはエルネストのことを話していた。 「兄様が僕を番にできなくても、あの人のために何かしたいんだ」 「レフィ様は歌が得意でしょう?」 「もっと役立ちたい!」  そう願えば、神殿の計算業務を手伝わせてくれた。 「私は計算が苦手なので手伝ってくれてありがたいです」 「ユアの教え方が上手なんだよ。神殿教室で子供達に教えているからかな? 他にも教えて欲しい」  ユアはレフィを褒めて伸ばしてくれた。書類仕事や簡単な治療なども学んだ。オメガを保護する神殿はほとんどないから、皆がここに助けを求めにくるのだ。いくら人手があっても足りないくらいだ。 「陛下に怒られませんかね」    そう心配する神官もいたが、基本的に皆仲間意識があったから誰もレフィがリュートの練習をさぼっていることを言いつけたりしない。 「お母様もリュートが得意だったわけじゃないからいいよ。義父上は別に僕のリュートを聞きたいわけじゃないし」  オメガを保護する施療院も兼ねた神殿は、かつて母が身体を壊した時に助けてもらった。ここで身体を治しているときに義父と出会ったといういわくがある。義父はレフィを守るために沢山の寄付をしていたし神殿の外を騎士が巡回して守っているという。  義父はレフィがオメガだとは気づいていなかったが、母の面影を追うための人形のように思っていた。レフィがリュートを上達しなくてもかまわない。義父は愛のせいで盲目だったが、レフィの母だってリュートは得意というわけではなかった。  いつかエルネストが迎えに来たとき、もし既に妃がいたらレフィは彼を助ける文官になりたいと思っていた。十年という月日は遠かった。二人の約束は、レフィの中ではすでにおぼろげだった。  音沙汰のないエルネストのことを、ユアは感謝祭などで酒を飲んで酔っ払うたびに酷い人だと言った。ユアが真剣にレフィを心配してくれているのだとわかっていた。 「兄様は弟として迎えにくると言っていたのかもしれない……」  エルネストは『運命の番』であるレフィを迎えにくるつもりだとジーナは言っていたけれど、勘違いだったのだろうと諦観していたある日。義父が亡くなって王城から迎えが来た。  レフィはエルネストが寄越した遣いだと疑わなかった。 「良かったです。レフィ様、お迎えがきましたよ」  ユアも他の神殿のものたちもそう言ってレフィを送り出してくれた。それが間違いだと気づいたのは、馬車に入って縄で拘束されたからだった。 「あの腑抜けの王の護りがなければ、さっさと殺してやったものを――」  連れてこられた屋敷は豪奢だが王城ではなかった。レフィを迎えた男は瞳に憎悪を隠さず、襟元を掴み上げた。 「誰だ!」  レフィが問うことすら、その男には汚らわしいと思えるのだろう。 「オメガの楽士の子供風情が無礼な――」  そう言って、レフィを掴んだ襟元を握って投げ飛ばした。男はアルファなのだろう。レフィは抗う事もできずに力任せに投げられた。身体は横に倒れ、書斎の机の端にぶつかって痛みに呻いた。こめかみから温かいものが流れ、レフィはその場に倒れ込んだ。苦しむ姿を嗤い、男は自分の手をハンカチで拭いた。 「こんな淫乱なオメガにうつつを抜かすなど、二代そろって間抜けな王共だ。淫売にふさわしい舞台を用意してやろう。ブランカ姉上の顔に泥をぬったオメガに相応しい罰だ」 「ブランカ……?」 「自分の母を殺したものの名前も知らないのか、低能なオメガめ」 「どうして……オメガって……」  ズキズキと痛む頭を押さえると手に血がついた。 「あの神殿はオメガの施療院だ。木を隠すには森へと言う。アルファであるジーナが大量の抑制剤を用意してたのはお前のためだろう? 優秀な女も年で耄碌すれば隠すことも下手になる」  オメガであると知っていたわけでなく、当てずっぽうだったのだと気付いてレフィは呻いた。 「目が……見えない」  開けているはずの視界には何も映らず、レフィは恐怖から身体を抱きしめた。こんな状態では逃げることもできない。 「目が見えない? でっち上げか、まぁどうでもいい。王を支えるこの家にオメガを売ったはした金などいらぬ。最低なアルファの好事家にただ同然で売ってやろう。目など見えなくてもかまわん」  レフィは文字通り引き摺られて、馬車に押し込められた。
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