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笑顔の面、身体の動きに合わせてひらひらと舞う白い布と心地よい鈴の音。艶のある長い黒髪、細い腰とすらりとした手足。
音楽は流れていない。シャンシャンと鳴る鈴の音と、離れた所から聞こえる道行く人の話し声、足音、その他雑音。
踊り手と道行く人々の間の、立ち見の観客席とも言える空間だけは音を奪われたかのように無音だった。みな息を潜めて踊り子を見ていたのだ。
シャンッ、とひと際大きな音が鳴り、踊り手はぴたりと動きを止めた。それによって無音の空間が更に広がる。
数秒、或いは数十秒経過し、踊り手は静かに姿勢を正してから優雅に一礼する。その瞬間、誰かが手を打ち始めた。それをきっかけに、拍手は段々と大きくなる。僕自身も惜しみない称賛を送ったのは言うまでもない。それどころか、踊り手が何かを言う前に財布から金を取り出した。踊り手にそれを向けるとこちらの意思が伝わったのだろう。一面が仮面と同じ位の小さな籠を鞄から取り出し、押し戴くように正面に向けてから、すっと観客席の端から端までなぞるように籠を見せてきた。
籠を右手で胸元の高さに持って片膝を突く。それを待っていたかのように、手を握りしめた子供が踊り手に駆け寄り、籠にお金を入れた。踊り手は空いた左手を顔の横で振る。シャラン、と鈴が鳴った。
シャラン、シャラン、シャラン……
喋らない踊り手の代わりに感謝を伝えるように、何度も鈴の音が鳴る。僕は紙幣を籠に入れた。
「素敵でした」
そう伝えると、踊り手は片膝を突いたまま、左手を胸にあてて小さく一礼した。
これが、名も素性も知らぬ踊り手との出逢いだった。
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