『変身』

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『変身』

 11月のある日のことである。 教室に行くと、同級生(クラスメイト)の高橋が、ニホンエゾシカになっていた。  いや……正確に言うと、高橋の席に、エゾシカがうろうろと歩き回っていた。 俺は目をこすった。 人間は、エゾシカになるのだろうか? 見間違いか、それともまだ寝ぼけているのかもしれない。周りを見渡すと、みんなも一体この状況をどう受け止めたものか、高橋エゾシカを持て余している様子だった。 「先生に連絡した方が良いんじゃない?」 「ちょ……バズってるし!」 「何で教室にシカが……??」  高橋エゾシカは時折顔を上げ、つぶらな瞳でこちらを見てきた。立派な角は、優に2メートルを越えている。おそらくアレで一突きされたら一溜まりもないだろう。教室はちょっとした騒ぎになった。女子は悲鳴を上げ、男子は狼狽えた。それからホームルームが始まり、担任がやってきた。担任の山村は高橋エゾシカについて何も言及せず、それどころか 「高橋ぃ」 「…………」  出席を取る際、担任はエゾシカの方を見てはっきり「高橋」と呼びかけた。  エゾシカは返事をしなかった。そもそも日本語が分かっているのだろうか? だけど、何事もなかったかのように一限目が始まったので、俺たちは高橋がニホンエゾシカに変身してしまったことを確信した。  カフカの『変身』みたいなことだろうか?  あれは主人公が、朝目覚めたら巨大な毒虫になっていた……と言う不条理小説だったが。理由は良く分からんが、高橋はそれと同じように、エゾシカになってしまったに違いない。毒虫の方は引きこもってしまったが、高橋エゾシカは生真面目に出席してくる分、偉いとも言えたし、少々迷惑とも言えた。  それから休み時間になると、教室は高橋の話題で持ちきりだった。みんなエゾシカになった高橋の周りに集まった。そりゃそうだ。誰だって同級生が突然変身してしまったら、そりゃもう、猟友会に連絡するか、YouTubeに動画をアップするかの二択だろう。正直、毒虫だったら前者だったかもしれない。高橋はエゾシカになれたので、まだ幸運なのかもしれなかった。 「どうしたの高橋くん! 一日見ない間に、めっきり変わっちゃったね!」 「まさかシカになるなんてよぉ、一体どんな心境の変化だよ!」  みんなカメラを構え、高橋の撮影会が始まった。高橋エゾシカは何も言わなかったが、少し誇らしげに首を伸ばし、自慢の角をゆっくりと左右に振って見せた。 「エゾシカって何食べるのかな?」 「かわいい〜!」 「ねね、高橋くん、ちょっと一緒に写真撮ろうよ!」  それからみんな、高橋に夢中になった。 女子はみんな、高橋エゾシカに餌の笹を食べさせたり、毛づくろいをしたり、背中に乗っけてもらい一緒に帰ったりしていたので、男子からは羨望の目で見られていた。高橋も、心なしか人間だった頃よりも満足げな表情を浮かべているような気がする。 「俺もシカになろうかな……」 「あ、じゃあ僕は馬で」  人間であるよりも動物になった方がモテると言うので、やがてひとり、ふたりと、一部男子が動物に変身し始めた。それに動物になれば、別に人間の勉強なんて出来なくても構わないのだ。煩わしい人間社会のストレスともオサラバだ。みんな高橋の家に行き、そこでエゾシカ同様、動物に変身させてもらった。  高橋家に行けば、動物になれる。そんな噂が街中に広まった。 そもそも何故そんなことが可能なのか、一体どんな魔法なのか知らないが、とにかく犬や猫、うさぎにゾウ、キリン、ライオン、ワニ、バッファローなど……教室はいつしか、サファリパークと化した。 「なぁ、お前も一緒に好きな動物になろうぜ」 「そうだなぁ……」  級友の井草に誘われ、俺は気の無い返事をした。今やクラスの半分以上は動物になっている。先生たちも、いつの間にかシマウマやカモシカになってたりして、二足歩行の人間と出くわす方が珍しいくらいだ。  俺は正直、迷っていた。 勉強や仕事がないのは確かに魅力的だ。しかし、動物園で暮らす一部の上級動物ならいざ知らず、弱肉強食の動物社会に放り込まれて、正直生きていく自信がなかった。 「大丈夫だって。ライオンとかタカとか、狩る側に変身すれば良いだろ?」 「選べるもんなの? いやでもな……」  狩る側に回るったって、そもそも狩っているのはかつての級友かもしれないのだ。何というか、出来の悪い残酷物語である。何も考えず、合成肉のハンバーガーを食べていた方がまだ精神衛生上良い気がした。 「ちょっと見るだけ見てみようぜ、な?」  井草はそう言って、強引に俺を引っ張って行った。彼は昔から『あらいぐまラスカル』に憧れ、アライグマになりたかったのだそうだ。奇特に思った。俺は『サザエさん』は好きだが、魚介類になりたいと願ったことは一度もない。  そんなこんなで高橋家に連れて行かれた。  人を動物に変身させると言う離れ業で、一躍有名になった高橋の家は、街の中心部から少し離れた、小高い丘の上に立っていた。50年くらい前の、白黒映画に出てきそうな洋館だった。面積だけで軽くゴルフ場くらいの広さはありそうだ。洋館の真ん中には時計台のようなものが聳え立っており、壁一面を緑の蔦が覆っていた。庭にはプールほどの大きさの池があり、その中で色とりどりの錦鯉が優雅に泳いでいる。俺は開いた口が塞がらなくなった。 「めっちゃ金持ちじゃん、高橋……」 「そうだよ? 知らなかったのか? だからエゾシカになれたんだろうよ」  井草が面白そうに笑った。そんなものだろうか? 俺はキョロキョロと屋敷を見回しながら、おっかなびっくり敷地へと足を踏み入れて行った。入り口から館までの距離も大分あり、家の中にある森(!)には、エゾシカの群れがゆったりと歩きながら、こちらの様子を窺っていた。 「まぁまぁ。いらっしゃい」  出迎えてくれたのは、高橋のお母さんだった。優しそうな人だった。ふくよかな体つきで、冬にシチューのCMにでも出ていそうな感じだった。 「こっちよ」  シチューのおばさんが……間違えた、高橋のお母さんが、にこやかに笑って俺たちを家の中へと迎え入れてくれた。俺たちは広々とした応接間へと通された。床には真っ赤な絨毯。壁に絵画やら銃剣やらが飾ってある、まるで美術館みたいな応接間だ。 「ここで待っててね。カタログでも読んでて。すぐにあなた達を動物に変身させてあげますからね」 「オイ、やったぜ。カタログから何に変身するか、選べるみたいだ!」  井草が嬉しそうにソファの上で跳ねた。分厚いカタログには動物だけでなく植物、昆虫、魚類などもたくさん載っていて、井草は熱心に読み耽り始めた。さて困った。俺は別に、なりたい動物も、今日中に人間を辞めてしまうつもりもなかった。 「ちょっと俺、トイレ……」 「おう」  高橋のお母さんは、しばらく部屋に戻って来なかった。大分準備に時間がかかるのだろうか? 他にやることもなかったので、俺は席を立った。トイレに行くフリをして、ちょっと高橋家を探検して見ようと思ったのだ。これだけ広かったら、まだまだ物珍しいモノが数多くあるに違いない。  応接間を出て、右側の老化がトイレ、と教えられていたが、俺は真っ直ぐ階段を降り地下室へと向かった。何かを隠すなら地下室だ。何か……何かお宝でもあれば、暇つぶしにはなるだろう。  地下室の扉は、幸い掛かっていなかった。ひんやりとした廊下をヒタヒタと進む。RPGのダンジョンにでも潜っているようで、俺は次第に興奮を取り戻した。レンガで出来た壁に、等間隔で並べられた蝋燭。チロチロと揺らぐ橙色の炎に影を躍らせながら、先を急ぐ。  不意に影が途切れた。角を曲がると、突き当たりに鉄の扉が見えた。左右には、神社にありそうな灯篭が(こしら)えてある。な扉だった。  中に誰かいたらマズイので、慎重に、息を殺しながらゆっくりと扉を開ける。中は真っ暗だった。人の気配はない。スマートフォンで明かりを点けた瞬間、俺はギョッとなった。 「うわっ!?」  そこは、車庫のようなただっ広い部屋だった。中には何もない。机も、椅子も、およそ生活感のあるものは何一つ置いていなかった。ただ壁一面に、ずらりと…… 「これって、剥製……?」  生首……生首が並んでいた。 「ひ……!?」  無表情で前を見据え続ける、血の気の失せた顔の群れ。  もちろん、死んでいる。俺は息を飲んだ。  まるで鹿の剥製(ハンティング・トロフィー)のように、死人の顔の部分が、所狭しと飾られている。 「本物か?」  生首の剥製だなんて。なんてこった。俺は生唾を飲み込んだ。暗がりを照らす明かりが揺れて、老若男女の影がぐにゃりと大小に歪む。奇怪なコレクションを前に、俺は思わず全身の毛を粟立たせた。 「なんで……こんな……」  ふと、その中によく知った顔を見かけ、泳がせていた視線がそこで止まった。 「高橋……?」  間違いない。そこに飾られていたのは、ニホンエゾシカになったはずの同級生・高橋だった。彼は、動物に変身したんじゃなかったのか? だったらアレは……。 「……うわぁっ!?」  気がつくと、腰が抜けていた。踏鞴(たたら)を踏んだ俺は、足元にある檻を思わず踏んづけてしまった。尻餅を着き、よくよくその檻の中を見ると、そこにいたのは、『アライグマ』と『サザエ』……。 「ひッ……!?」  次の瞬間、俺は後頭部に鈍い痛みを感じ、そのまま意識を失った。
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