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1
吾輩は文豪である。まだ名は無い。
かつて英吉利の倫敦に住み暮らしたる時分、吾輩は悪魔に初めて出遭った。
大英博物館なる人類の文明と叡智を一堂に会した建造物の路地裏を散歩していたそのときに山高帽に黒外套の紳士に声をかけられた。
外套の下には獣の蹄が覗き、月明かりに青く濡れた石畳を踏む度にカツカツと馬の如き足音を夜闇に響かせた。それが悪魔であった。
悪魔はその冷たく光る一対の瞳で吾輩を見据えて云った。
「お前の心と体は我がものなり。いつの日かまた逢おうぞ」
蝙蝠の羽に似た漆黒の外套を翻すと悪魔は煙の如く吾輩の目の前より消えた。その刹那、吾輩の目に映る景色もくらくらと歪み、気がつくといつの間にやら日本に戻っており、家からほど近い神社の石畳に身を横たえていた。
その不可思議な顛末を友に語ると、それは夢に違いないと即答され、真面目に取り合っては貰えなかった。吾輩には自らが倫敦で暮らし、悪魔に出遭ったことがどうにも夢だとは思われない。
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