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緊迫感のある空気を壊したのは、梵のもつスマートフォンだった。端末に元から登録されている呼び出し音が鳴り響く中、液晶画面をそっと覗き梵は眉を顰める。映されている電話番号に、覚えはない。
「恐らく依夜だ。出てみろ」
「……毎度思うが、大した自信だなぁ君…」
困った様に眉を下げた梵は、ニルスの変わらない表情を見て諦めた様に息を吐く。複数の視線に晒されながら、梵は通話ボタンを押し、そのままスピーカーにしてテーブルへと端末をそっと置いた。
「樹先生?俺です。依夜で〜す」
「あぁ依夜!無事かい?」
「うん。何とか大丈夫〜」
ニルスの言葉通り、端末から響き渡った声は依夜のいつもと変わらない声だった。
驚きを隠しきれない各々を鼻で笑ったニルスは、梵へと視線を送る。長年の仲だ。たったそれだけの動作ではあるが、梵はニルスの意図を察して口を開いた。
「安心したよ…もうすぐ迎えがくるだろうから、待っていられるかい?」
穏やかな口調で紡がれた言葉に、受話器越しに驚く気配をひしひしと感じた。緊張感のかけらのない声音に場が安堵で包まれたのも一瞬。
「僕以外の男と話すなぁッ!!今すぐ電話を切れッ!!!僕の言う事を聞けッ!!!」
唸るような男の叫び声に再び緊張感が増す。しかし、ニルスだけは平然とした様子で穏やかに端末へと語りかけた。
「それが件の犯人か?」
「えっ!?ニィさん!?」
依夜の驚愕に満ち溢れた声にふ、と笑みを漏らしながら、ニルスは再び口を開く。
「依夜の元へは忠犬が迎っている。もう少し待っていられるか?」
「うん。平気平気!やばそうだったら腕折るか目潰すか歯折るし!」
「口の中に手を入れるのはやめておきなさい。噛まれたら病気になってしまう」
「あはっ!ソレもそうかも!」
努めて明るく笑う依夜の声音はいつもよりも軽やかである。後ろから聞こえてくる犯人のものであろう声がなければ、攫われたことを忘れてしまいそうなくらいだ。
「ックソがッ!!!このッ!!!言う事を聞けッ!!!お前は俺の道具なんだよ!!!」
尚も喚き散らす犯人の声に、けらけらと笑っていた依夜の笑い声が消え失せる。眉を寄せたニルスは、まずいな…と小さく呟くものの、特に何をするでもなく足を組み直した。
ニルスの呟きを捉えて者は、しきりに訝しげな表情を見せ、問いただそうと口を開く。しかし、言葉は紡がれる事はなかった。
「ッ────────ッッ!?!?」
「ねぇ、誰が、誰の道具だって?」
言葉にならない悲鳴のような音が聞こえ、皆が一様に目を見張る。それだけでは終わらず、その後に聞こえてきた依夜の底冷えするような声に、ニルスを除いた全員が息を呑んだ。
「まさかとは思うけど、俺が、この俺が、この鏡宮依夜が、お前みたいな男の道具だって言ってんじゃねぇだろうな?」
依夜の低い声の奥で、床に重いものが落ちたような鈍い音が響いている。それも一度で終わる事なく、二度三度と続き、終わる事はない
「ふざけんなよ」
ゴンッともガンッとも言えない、大きな鈍い音が声の後を追う。
「俺を、この、鏡宮依夜を!ッ道具扱いできるのは、」
言葉が紡がれる度に鈍い音が大きくなっていく。息を詰め、次の言葉を放とうとしている依夜を静止したのは、ニルスの穏やかで静かな声だった。
「依夜」
端末の向こう側で息を呑む音が微かに聞こえる。
鈍い音が止んだ代わりに、男の苦しげな呻き声が鳴り響いた。それを皮切りに、息を詰めていた依夜の明るい声が聞こえ始める。
「えへへ、なぁにニィさん」
「そろそろ迎えが到着するはずだ。電話は一度切るが、平気か?」
「…うん、平気、平気だよ」
落ち着いた声音の依夜に周囲は安堵を滲ませる。しかしながら周囲とは真反対に、ニルスはさらに眉間の皺を濃く刻んだ。
「明日から3日間は家にいなさい。梵には了承も得ている。特待生制度の事は気にせず、家で一緒にゆっくり過ごそう」
「えっ、いいの?フローとヴィト、ルルとハリルの散歩行く!」
きゃっきゃとはしゃぐ依夜の声にニルスは緩く微笑む。その美貌のなんたる事か、梵はニルスを見つめながらそっと目を伏せる。
思い浮かべるものは依夜に寄り添うニルスの姿。真っ白な布だけを纏う2人は、兄弟と呼ぶにはその枠を大きく越えている。しかしその瞳に宿すのは、正しく実の兄へと、実の弟へと向ける親愛の情。相反する姿を保った2人の兄弟としての姿は、かくも美しくされどどこか罪悪感を抱くのだろう。まさしく、心を揺さぶる作品だ。
インスピレーションが湧いてきた梵は、ニコニコと笑みを浮かべながら、通話の切れたスマホを手に取る。そのまま上着のポケットへとスマホを仕舞い込んだ梵を見届け、ニルスは姿勢を正し生徒たちへと視線を向けた。
「…やはり依夜の好みはわかりやすいな。大型犬ばかりだ」
各々の顔を見つめながらぼやいたニルスは、先ほどの笑みはどこへやら、また冷たい無表情へと変わっている。
「さて、依夜の安否も確認できた所で……貴様らに、忠告しておこう」
◆
無機質な電子音のなる端末を耳から話して、そのまま中身を確認する。カメラロールには俺の隠し撮りがいっぱいだ。
「うわ、このアングルいーじゃん?茶髪の俺も結構イケてるよね〜」
スクロールを一度とめ、指で拡大してみる。うんうん、やっぱ俺の横顔の綺麗さは整形詐欺メイクでも誤魔化せないよね〜!
んふふ、と笑いを漏らしながらそのままスマホの画面を消して、静かになった男の髪の毛をギッと掴んだ。そのまま顔を上げさせてみれば、ボロボロと涙と鼻血を垂らしたぐちゃぐちゃの状態になっている。鼻は恐らく折れているだろう。うーん、結構顔が良い方だったから勿体無い事してしまったかもしれない。
そんなふうに思いながら、そいつを見つめていると、扉が勢いよく開かれた。
「おい蛇ィ!処女は散ってネェだろうなぁ!!」
怒声と共に現れたのは赤髪にツンツン頭で三白眼の、目つきと人相の悪いいかにもチンピラな男だった。
彼は俺の姿を目に止めるとすぐさまズカズカと駆け寄って俺の腕を強引に上へと持ち上がる。そのまま引き摺られるような形で、誘拐犯の背中から体が離れて赤髪の男の腕の中へとすっぽりと納まった。
俺が抑え込んでいたせいで起き上がることすらできなかった誘拐犯は、この隙にと動き始めたものの、すかさず男がその背中を足で踏みつける。手加減なしで思い切り体重をかけているせいで、誘拐犯は息苦しそうだ。
その様子を見ながら、今にも俺の尻を揉みしだきそうな手をつねり上げて、眉間にグッと皺を寄せる。
「ネイブ、酒とタバコの匂いがやばい…」
「あ゛〜〜!?蛇、てめぇはいつもいつも文句ばっか言いやがってよォ!!感謝の一つもねぇのかよオイ!!」
「助けてくれてありがとう」
「お〜〜〜う、貸一つなァ?」
ネイブは俺の感謝の言葉に…否、貸しが出来たことに満足したのか、ニッと歯を見せて悪どい笑みを浮かべた。
彼はネイブ。ニィさん直属の部下で、エリお姉様の同僚だ。主に荒事と駆け引き担当。
好きなものは処女と酒とギャンブルと刺殺。金をギャンブルで溶かして、酒を浴びるように飲み、適当にひっかけた処女を抱いて、処女が散れば引き裂き殺す。品も無ければ倫理観もない、下衆で外道なドクズ野郎。それが彼。
抱く相手は処女であるなら性別など関係なく、ヤるだけヤって派手に殺す。そのせいで一時期話題にもなったのだが、警察も彼を捕まえる事はできなかった。それもそのはず、彼には戸籍が存在しない。そう、この世にいないのだ。
幽霊が人を殺せるわけがない。だからこそ警察は捕まえられなかったし、彼はその時々で顔を変え姿を変える。ね、まるで切り裂きジャックみたいでしょ?
そこから着想を得て俺がネイブという名前をつけてあげたのだ。だって固有名詞がないのは不便だからね!
「オイ蛇よォ…それで?処女は無事だろうなァァ!?指の一本も挿れられてねェよなァァ!?!?」
「ホントに何にもされてないよ」
「口ではどうとでも言えんだろうがよォ…安心しろ蛇ィ…俺がしっかりじっくり確かめてやるからよォ…」
ア゜ッ!これなんか不穏!!!
にたにたと笑みを浮かべたネイブは目を細めて俺を見下ろす。その蠱惑的な色気に引っかかった人間は数知れない。腰に回されている片腕は俺を逃さないようにしっかりと固定されていて、微動だにしないから、お手上げだ。もう片方の手が俺の尻へと近づくのを横目に、まぁ軽く触られるくらいは…と諦めかけていると、再び扉が勢いよく開いた。
「依夜様ッ!!遅くなり申し訳──」
真っ黒のスーツに僅かに乱れた息と髪が目立つ八剣が、扉を開けたまま俺達を視界に入れて停止した。しかしそれも束の間、ネイブがげっと声を上げ俺から離れた瞬間に、彼の体は吹き飛んだ。
「依夜様!ご無事ですか!?あの狂犬に手を出されてはいませんかッ!?」
「俺は平気だけど、ネイブは八剣にぶん殴られてやばそうだよ」
「依夜様の玉体に穢らわしい手で触れたのですから、あれは当然の報いかと…」
私は間違った事はしていませんが…?というように軽く首を傾げた八剣。急いで来てくれた事はわかるし、確かに若干不穏だったから、とりあえず褒めるように頭を撫でておく。
「っ依夜様!お褒めいただけるのは光栄ですが、まずはお召し物を…お身体が冷えてしまいます」
嬉しそうになでなでを享受していた八剣だが、俺の格好を見てハッとしたような顔で身を正した。すぐさまスーツの上着を脱ぎ、俺へと羽織らせた八剣は、労わるような眼差しで俺へ微笑みかける
「替えのお召し物もご用意しております。…ここではなく脱衣所の方へ移動しましょうか。これ以上それらに依夜様の玉体を晒すわけにはいきませんから」
そう言い、俺をそっと部屋の外へ誘う彼の手を取る。あの部屋へとくる前に確認していたのか、脱衣所の位置は把握しているらしい。遅れてやってきたのは部屋の確認をしていたからだろうか?
「部屋に仕掛けられた隠しカメラの撤去に時間がかかりまして…遅れてしまい申し訳ありません。こちらにはもう何も仕掛けられていませんので、ご安心ください」
俺の思考を読み取った八剣は笑顔を見せながら軽く頭を下げた。生真面目な雰囲気ではあるものの、褒めて欲しい!と尻尾を振っているように見えて、俺はくすりと笑みを漏らす。
ご褒美、あげなくちゃだ。
羽織っている八剣の上着と、あの男のシャツを脱ぎ去る。生まれたままの姿になった俺は、紙袋をその場に置いて洗面所から出て行こうとする八剣を呼び止めた。
「今日は、全部八剣がやって」
目を細めて笑いかければ、彼の喉が上下する。目を見開き頬を染めた彼は、はく、と空気を食んでからか細い声を漏らした。
「…ッ、よろしい、のですか…?」
その問いかけに俺は笑顔を返す。
八剣はまた喉を上下させながら、後ろ手で洗面所の扉をゆっくりと閉ざした。
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祝・⭐️7777個越えです🥳🎉
応援とってもありがとうございます〜!!🥰👊💖
まさかこんなに沢山星を貰えるとは思っても見なかったので、嬉しい限りです🥹❣️
これからも不定期更新にはなると思いますが、末長く応援していただけますと嬉しいです!美味しいヤミー感謝感謝!!!デリシャシャシャッ!!!
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