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暖かな布団から抜け出して、もこもこのスリッパに足を通す。自分達の寝床に伏せていたフローとヴィトが、俺に気がついて音もなく立ち上がり側に侍った。
「ちょっとΣのとこ行ってくる〜」
「寒いだろうからストールも羽織っていきなさい」
「んふふ、すぐ戻ってくるからへーき!」
ベッドヘッドに背を預け、本を読んでいたニィさんへ行き先を告げ部屋を出る。ちなみに秀にぃさんはお風呂入ってます。本日二度目だね。
向かう先はΣという人物の部屋。この人もニィさん直属の部下だ。彼にすこーし頼みたい事があって部屋に向かってるってワケ!
人気のない薄暗い廊下の奥に彼はいる。彼は人嫌いだから、自分の部屋に引き篭もっているのだ!
3回扉をノックしてから、問答無用で扉を開ける。物が全くない部屋を見回してから、独特の膨らみを持つベッドへ近づいた。僅かに布団をめくってみれば、すやすやと気持ちよさそうに眠っている彼の顔が見える。
「シグマ〜」
俺の声なんて勿論聞こえてはいないだろう。むにゃむにゃと心地良さそうに寝ているが、起きてもらわねばお願いが出来ない。ほんと申し訳ないけど、すぐ終わるから許して欲しい…
「シグマ、なんかパソコンにパス付きZipファイルが送られてきてたから、とりあえず開いてみたんだけど…」
「僕はウイルス対処なんてしたくないんだけどーーーーーーッッ!?!?!?!?」
耳元でそっと囁いた内容に、シグマは勢いよく起き上がる。いつもは出さないような大声を上げ、取り乱しているシグマを笑いながら、ボサボサになっている髪の毛に手を伸ばした。
「おはようシグマ。ちなみにそんなファイルは届いてないから大丈夫だよ」
乱れている髪を整えながら笑いかければ、シグマはほっと息を吐く。少し前に、ネイブがパソコンに送られてきた怪しいメールを開いてウイルス感染してしまった事があったのだが、シグマ的にはトラウマ級に最悪な出来事だったらしい。俺はPCに詳しいわけじゃないので詳細な事はわからないけどね
「あ、あああっ、あ、の、お、おおお、おはよ…ノノ、ノルっ…ど、どうしてここに…」
「えっとね、ちょっと頼み事がしたくて…ダメ?」
「…っぼ、ぼぼぼ、僕なんかで良ければ…」
首を傾げながら必殺オネダリを決め込むと、シグマは顔を真っ赤にしながら何度も首を縦に振った。俺のスーパー可愛いフェイスにズッキュンきちゃったようだ。そうだろうそうだろう!俺ってば、かわい〜ので。
「て言っても、大変な事じゃなくってさ。むしろシグマ的にはご褒美かも?」
笑顔でそう告げれば、シグマは不思議そうに首を傾げる。瞳に覆い被さったふわふわの髪がゆらりと揺れて、その奥に隠された青色が顔覗かせた。俺を捉えて離さない青色の瞳に気分をよくしながら、俺は言葉を紡いだ。
「あのね、渡した携帯あるでしょ?そこの携帯会社のデータベースハッキングして、発信履歴を調べて欲しいんだよね。非通知の番号と携帯の持ち主を知りたくてさ。なんならその携帯にかけてきた電話の持ち主の個人情報とか、ガッツリ収集しちゃっても良いよ」
「ほ、ほほほっほっほんと!?い、いいの!?あ、あ、後から、だ、だだ、だめって言わない…??」
控えめに距離を取ろうとしていたシグマが、俺からのお願いを聞いて目の色を変える。現金だなぁ〜なんて思いながらも、俺は笑顔で彼の問いかけに肯定を示した。
「言わないよ〜!ニィさんも許してくれるはずだぜ?なんてったって、誘拐犯を裏から操ってる黒幕の手がかりだもん!」
そう告げれば、嬉しそうに笑っていた顔がごっそりと剥がれ落ちる。一瞬にして虚無になった彼の瞳は真っ暗に染まっていて、思わず目を細めてしまった。
「ノ、ノ、ノルを…嵌めようとした、奴がいるの…?」
俺は口を開かずに無言を貫く。笑顔を保っていると、彼にしては珍しく、顔を真っ赤に染めながら憎々しげに眉を顰めた。
「ノ、ノル…そ、そそそ、ソイツの情報、ぜ、全部、抜き取るから……そ、それと、そいつの家族と、け、け、け、経営してる企業とかの、情報も……ぜ、ぜ、ぜんぶ……」
「……いいの?前は渋ってたでしょ?そこまで調べるのは面倒くさいからって」
「ノ、ノ、ノルに関わる事なら、別…だ、だだだ、だ、だって…ノ、ノルは…0は……ゆ、唯一…だから……」
へにゃりと頬を赤らめて嬉しそうに笑うシグマに、俺もつられてへらりと笑う。
ニィさん直属の部下で情報管理担当の彼、Σは、天才数学者でありハッカーだ。この部屋で四六時中他社の情報を抜き取ったり、ウイルス攻撃に対する防衛をしたり、システムの脆弱性を無くしたりしながら引き篭もっている。彼の天才的な頭脳と腕は並のクラッカーが束になっても勝てない程だそうで、有名なクラッキング集団にも劣らないそうだ。
そんな彼は数学が好きだ。数学を尊ぶ気持ちだけならば、彼と同じ数学者でありながらクラッカーとして指名手配されている者ですら、彼を凌駕する事はできないだろうと俺は思う。
プログラミングだって、アルゴリズムを理解するのが楽しいから、という理由だけで始めたものだと、本人から聞いた事があるしね。
それに彼は、人間ですら数字や公式に当て嵌めるんだ。というか数字にしか見えないそう。ちょっと変わった共感覚の持ち主だよね。
ちなみに、彼から見た俺はノル、0だそうだ。
彼曰く、0は特別なんだとか。彼は、その特別を乱そうとする全てを嫌う。
「ふ、ふへへ…情報、あ、あつ、集めたら…ど、どど、ドクシング…しても良い、よ、ね…?」
「ドクシングって…晒すことだっけ?それはちょっと待ってて欲しいかなぁ…それをしちゃうとさ、呆気ないでしょ?」
「た、たしかにぃ…」
しょんぼりとしてしまったシグマの頭を軽く撫でて、そのままサッと立ち上がる。シグマも俺に続いて立ちあがろうとしたので、そっと手を差し出した。
俺の手を取って立ち上がったシグマは、俺のことを見下ろしながらニコニコ笑って、手を離そうとしない。
「シグマ、また身長伸びた?」
「えっ…?わ、わ、わ、わかんない…」
「ふふ、おっきいね」
シグマは猫背だ。猫背なのにニィさんや八剣と同じくらい背が高いから、背を伸ばしたら2mは行くと思う。高身長だし、目元にかかってる前髪のせいで顔があんまり見えないけど、実は男前な顔をしているのだ。性格は人懐っこい大型犬なのに、ギャップがすごい
「それじゃ、よろしくね」
「ぅ、う、うんっ…!」
家にいるという安心感からか、いつもは来ない眠気がやってきた。あくびを一つこぼしてから、彼に別れを告げて部屋を出る。
そのまま来た道を戻れば、部屋で待っていたニィさんと秀にぃさんが出迎えてくれた。
勢いよくベッドに飛び乗ってシーツの海に顔を埋める。俺の頭を優しく撫でてくれる手が心地よくて、ふふ、と笑いながらほんの少し顔を上げた。
「さて、もう寝るか」
読んでいた本を閉じたニィさんが、デスクに本を置いて布団の中に潜り込む。当たり前のように俺の頭を持ち上げて間に腕を差し込んだ彼は、軽い笑みを口元に浮かべた。
「秀にぃさんも、隣に来てね?」
「もちろん。その前に、明かりを消そうか」
明るかった部屋が暗くなり、視界が闇に染まる。その中にいてもなお、ニィさんの銀髪とエメラルドグリーンの瞳はキラキラと輝いているように見えて、思わずニィさんの髪に手を伸ばす。
柔らかな髪の毛を指ですいて弄ぶ。髪の毛の奥でエメラルドグリーンが緩く細められた。
「…依夜…」
耳元で囁かれた掠れた声にぴくりと肩が跳ねる。笑みを溢しながら反対側を向いて、暗闇に溶ける事なく煌めく黒を見つめる。
短く切られた髪の毛はニィさんのものとは違い硬くしなやかだ。刈り上げられた部分はじょりじょりしてて気持ちいい
「男の嫉妬は醜いと言うが、その通りだな」
「喧嘩を売っているのかニルス。横槍を入れるお前も似たようなものじゃないか」
「俺を挟んで喧嘩しないでくださ〜い」
2人の戯れ合いを笑いながら静止して、彼らの掌に自分の手を絡める。
「…ぎゅ〜〜ってされたい」
にぎにぎと手を握りながらちょっとした我儘を言えば、すぐさま両方から力一杯抱きしめられる。苦しいくらいキツく抱きしめられるのは好きだ。満ち足りた息苦しさだから、あったかくて柔らかい苦しさだから。
包まれながら目を閉じる。いつもなら、ゆっくりゆっくり溶けるみたいに、消えていくように眠れるのに、今日は何故か眠れない。
「…中学の時のような思いはしない」
ニィさんの呟きに思わず手に力が籠る。俺の体が強張った事にも気がついた2人は、何度も何度も優しく頬を頭を手を、撫でてくれた。
目を伏せたまま思い出す。
最初の中学の頃言われた言葉と、周りの反応。
「血が繋がってないなら兄弟じゃないじゃん」なんて言葉を、半笑いで言ってきた同級生。気まずそうな顔をしつつも、明らかに異様な目で見てくるクラスメイト。
俺はそれに対して怒るでもなく悲しむでもなく、ただ周りに合わせて笑顔を作っただけだった。だって俺も、この関係は歪なんじゃないかと思っていたから。
「依夜、大丈夫だ。ロンズデールの時もそうだったろう?あれは血の繋がりについて気にする様子もなかったのを覚えているか?今日会った連中も、気にする素振りは見せなかった」
「…うん」
優しく慰めてくれるニィさんの言葉に曖昧な笑みを浮かべる。頬を撫でていく手が暖かい。キツく抱きしめる感覚が心地良い。
やっぱりこの関係は歪だと思う。
でも、間違いだとは思わない。
◆
グローブを嵌めた手で、力の限り黒いサンドバッグをぶん殴る。人を殴る感覚とはまた違った独特の感覚に慣れず、自然と眉が寄った。
ふつふつと腹の底から湧いてくる熱が、いくら人を殴ろうと、柔らかい素材が詰まった布袋を殴ろうと消える事はない。
それだけならまだマシだ。いずれ熱は引く。時間が全て解決してくれる。
けれど今はダメだ。熱から立ち上った湯気が、胸の辺りに居座っている。これが晴れない限り、熱もまた消える事がないとなんとなくわかった。
「また一段と荒れてんなぁ、坊主」
背後から投げかけられた声を無視して、グローブを外す。それを床に放り投げ、乱雑に鷲掴んだタオルで滴り落ちてきた水滴を拭った。
「何があったかしらねぇけどな、サンドバッグ壊すんじゃねぇぞ〜?」
「この程度で壊れる欠陥品なら買い換えろクソジジイ」
「テメェコラ!ジジイはやめろっつってんだろ!せめてオッサンだクソ坊主!!」
ペットボトルのキャップを開けて喉の奥に流し込む。自身の真ん中を流れていく水に意識を向けたものの、腹の底にある熱には届かなかったようで、ふつふつと湧き出るものが消える事はなかった。
「何がそんなに不安なんだかねぇ」
「…あ゛?」
壁に寄りかかりながら俺の動向を見つめていた、このボクシングジムを営む、謂わばオーナーである男が、ふと呟く。その言葉を流す事なく拾った俺は、グローブを嵌め直していた手を止める。
「お〜怖っ!聞こえちまってたか?すまんすまん。独り言だ、独り言」
「不安って、どう言うことだよ」
「だーから独り言だっつってんだろ?気に障ったなら謝るから、な?そうカッカすんなや」
相手に質問の意図がしっかりと伝わらなかったようで、困ったように苦笑を浮かべながら頭を掻いている。
アイツは言わずとも汲み取るのに、
一瞬だけ湧いて出た言葉に、思わず頭を振った。振らずにはいられなかった。
じゃなきゃ、もれなくアイツの間抜けな笑顔が思い浮かぶから。
「…クソッ、」
言葉を正しく伝える事が面倒になり、苛立ちを全て布袋にぶつける。
どれだけ目の前の布袋にぶちまけようと、腹の底に溜まった熱も、胸の辺りに居座る靄も、晴れる事はなかった。
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あけましておめでとうございます⛩🎍🌅
昨年はお世話になりました。本年もよろしくお願いいたします!🥹❤️🔥
2023年はガンガン更新していけるように頑張ります!🙇♂️🙇♂️
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