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校舎の壁にへばりついている女がいる。
もっと正確に言うと、校舎の壁をヤモリの様にへばりつきながら登っている女がいる、だ。
ボルダリングとは明らかに違う登り方で、するすると。まるで重力なんか存在しないみたいに登っていく姿は、とても同じ人間とは思えなかった。
その女は唖然とする俺達など目もくれず、あっという間に四階建ての校舎を登りきり、颯爽と屋上へと消えていった。
その女の姿が見えなくなっても辺りは静まり返ったままで、皆が顔を見合わせている。
何だあれ?と。疑問や混乱、不快感をそれぞれ顔に貼り付けて、非現実的な光景にただただ黙り込んでいた。
そんな許容量を超えて静止している生徒達の間をすり抜けて、昇降口に向かう。
自然と口角は上を向き、心拍数が緩やかに。でも確実に上がっていくのを感じた。
親の意向で仕方なく入学した金持ちばかり通うこの学園には、欠片も期待していなかった。
特に今年はとある大財閥の御曹司やそのご友人方が入学した為、縁を繋ぎたい由緒正しい家柄のご子息やご息女が同級生の大半を占めている。熾烈な倍率を潜り抜け、親からの期待を一身に背負った生徒達。当然と言えば当然だが、いささか真面目で模範的な生徒が多い。
だから楽しい学園生活なんて送れないものだと、早々に諦めていた。
それがどうだろう。こんなにも胸が躍る出来事があるなんて、誰が想像出来るだろうか。
あぁ、天は俺の味方だったのだ、と感極まりそうになる。
柄にもなく鼻歌を歌いながら、女が消えた屋上へと足を進める。屋上に近付くに連れて、無彩色だった景色が色を持って。際限なく気分が上がっていく。
ふと見下ろした窓の外。遅咲きだった桜が淡い桃色を散らしているのが見えて。それさえ俺を祝福してくれている様に感じてしまった自分を笑う。
「ま、いっか」
何せ今日は最高の日なのだから。
さっきの出来事を手短に打ち込んで、スマホをポケットにしまう。
屋上へ続くドアは、まるで小さい頃に読んだファンタジーの世界へと繋がる扉の様に見えた。
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