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「モブ山ァ! 限定スペシャルローストビーフおにぎり売り切れんぞ!」
凍り付いていたモブ山の顔が、驚きと安堵に一瞬歪む。それを瞬き一つで消して、いつものモブ山の顔を取り戻したのは、さすがとしか言い様がない。
「……何ですって!? こうしちゃいられない! 今行くから待っていなさい! 私のローストビーフおにぎり!!」
目の前の眉目麗しい男を吹き飛ばす勢いで走り出したモブ山。そしてそれを唖然とした顔で見送るしか出来ない男。
女にシカトされた事なんてないであろう男の間抜け面に、吹き出さなかった俺をどうか褒めて欲しい。
「……ま、待て!」
やっと我に返り、制止の言葉を吐いた男の声なんて、遥か遠くを全力で駆けるモブ山に届くはずもない。無駄に反響して、リノリウムの床に転がった。
「……お前、また!!」
モブ山の消えた方を未練がましく見つめていた男の視線が、俺を射抜く。友好的な感情何て欠片もないそれに、肩を竦めて笑って見せた。
「そう怖い顔すんなって、おキレーな顔が台無しだぜ?」
「ふざけるのも大概にしろ!」
「いやいや、大真面目だって。……ま、俺は役目を果たしただけだし、そろそろ行くわ。じゃーな副会長」
あんま余計な事すんなよ、と言う俺のアドバイスはどうやら火に油を注いでしまったらしい。盛大に顰められた眉と剣呑な光を帯びる瞳に、乾いた笑いしか出てこなかった。
男に背を向け、歩きながらモブ山へメッセージを送る。
「……今日は天気良いし、屋上一択だろ」
いつも通りの待ち合わせ場所指定。それに二、三分してから既読が付き、了解のスタンプが送られてきた。
それを確認して、賑わう購買でぱんぱんに膨れたビニール袋を受け取る。
無遠慮に注がれる二つの視線をスルーして、昼飯の入ったビニール片手に歩き出す。歩く度に紙パックのトマトジュースとオレンジジュース、菓子パンや惣菜パン、おにぎりが窮屈そうな音を立てた。
おにぎり、潰れねぇと良いけど。
覗き込んだ袋の底で、菓子パンが見事に潰れていた。少し考えて、袋の中からおにぎりを取り出す。
せっかくのお昼ご飯が無残に潰れていたら、モブ山もガッカリするだろう。
俺って優しい、何て自画自賛する。
「…………あ、そうだ」
片付けないといけないものがあった事を思い出し、周囲に目をやった。視線を合わせれば、音もなく近付いて来た一人の生徒。
「これ、頼まれてくれるか?」
その生徒にポケットから取り出した、青い折り紙で作ったスペードを渡す。
「……期限はいつ頃でしょうか?」
「今週中には」
「かしこまりました。では失礼致します」
すっと頭を下げた後、昼休みの景色に溶ける様に姿を消した生徒を見送り、屋上へ足を進めた。
さて、良い方へ進む事を願おう。
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