2章 千代の記憶

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 ちょうど届いたお猪口で軽く乾杯して鷹一郎の仕事に耳を傾ける。  鷹一郎はどうやら役場や名士の家に顔を出し、逆上村の千代という娘の戸籍を調べ、逆上村自体についても聞いて回っていたらしい。  鷹一郎はその実家は京都らしいんだが、帝都から来た元お貴族様の御子息ってことで顔がきく。そしてその良く整った顔をニコニコさせる。その優男ヅラの裏を知らなければ確かに鷹一郎は穏やかで人当たりがよい好人物には違いない。 「そんで何がわかったんだよ」 「そうですねぇ。まず行政区分上、正しく逆上村が実在すること、そこに折戸家が存在し、折戸千代という娘がいたこと」 「娘が()()()()?」 「そうです。確かにその娘は存在し、そして昨年末に死亡届が出ています」 「昨年末ぅ?」 「死亡届を提出したのは折戸源三郎。千代さんのお父さんですね」  明治の初めに整えられた戸籍制度によって、家長は戸長への死亡届出の提出が義務付けられた。それには医制に基づき開業した医師による死亡届出が必要である。  死亡届が出てるんなりゃ探すも何もねぇ。それを赤矢という男に知らせれば全て仕舞だ。今回の仕事は楽だったな。そう思っているとまた溜息をつかれた。 「哲佐君、君は本当に単純ですね。死んだのなら『知らない』と言う必要はないでしょう。ただ、死んだ、と伝えれば良いことなのですから」 「それじゃあ赤矢が納得しないと思ったんじゃないかね」 「親に死んだと言われたなら納得せざるを得ないでしょうよ。折りしもこの寒波。逆上村で流行病が蔓延していたのは確かです。8人の死亡届が受理されていました。虎狼狸(コレラ)ではないそうですが、実際死人は多く出ている」 「ふむ」 「それにこの赤矢さんは千代さんが病気の家族の看病に実家に帰ったと思っているわけですから病で死んだといえば諦めるでしょう。死んだものはどうしようもないんだから」
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