1章 始まりの手紙

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 途方に暮れて周囲の家の戸を順番に叩く。地図にあり、千代から聞いたその名前の家を。けれども反応は折戸家と同じで、誰も彼もが千代という娘など知らぬ存ぜぬの一点張りだ。  解せない。千代はわたしに嘘をついていたのだろうか。  いや、それにしてはその内容は詳細過ぎた。  どこここの家には今7つの子がいて幼児の折に千代が背負って面倒を見ていただの、どこそこの家は冬になるととてもたくさんの干し柿を作るだの。そして確かに行ってみれば、竹馬が壁に立てかけられてあったり軒先に干し柿が吊るされていたりした。  そして何より……私が尋ねたとき、誰も彼もが気まずそうに目を逸らしたのだ。  どうしたものかと思い悩みながら、足は自然と雪に埋まる道をかき分け村の奥にあると聞いた桜林に向かった。千代が好きだと言っていた桜林に。  そうすると、黒に近い焦茶のぎゅっと詰まったような木々がざんばらに生えている場所に突然行き当たった。そこへ至る道は真っ白であったのに、その一帯は黒い土が顔を見せ、わずかに若草が伸び始めていた。  そこだけ先に訪れ始めた春。  そう思ってみると、それぞれの木の枝にはまだ咲くには至らないが、硬く絞られた蕾が点々と付いている。もうすぐ春が来るのだろう。  そう思うと不思議な感慨が胸の内に降り積もる。  けれども周りを見渡すと、雪。奇妙な場所。暖かいような、締め付けられるような、そのような不安定な心持ち。 『……誠一郎(せいいちろう)様……』 「千代? 千代なのか?」  ふいに、木々の合間から春めいた柔らかな風に乗って千代の声が聞こえた。懐かしい千代の声。けれどもその声の頭と尻尾は妙にぼんやりと掠れ、どこから聞こえているのか判然としない。  私は焦り、何度も大声でその名を呼んだ。
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