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西方の砂漠の国には古い言い伝えがありました。
「『金色の歌姫』なる者の歌はこの国を豊かにする」
それはあまりにも古い言い伝えなので、なぜ金色なのか、何が金色なのか、なぜ歌が国を豊かにするのかは誰も知りません。それにその歌姫と呼ばれる誰かが現れる予兆もわからず、誰が歌姫かを判断する方法も不明、ここ数十年ではそれらしい人物が現れたという話も残っていないのでした。人々にとって『金色の歌姫』は子供を寝かしつける時に使う御伽噺なのです。
けれどサリアの父は目を輝かせて語るのでした。
「金色って言うからには金が絡んでいるに違いない」
金というのは岩山の奥から取れる岩石の欠片のことだとサリアは知っています。その金というものは岩だというのにきらきらと輝いていて、少しの量でたくさんの貨幣が手に入る、不思議なものなのです。けれどそれだけ希少なのも理由があって、金がどこにあるのか誰も知らず誰もわからないのでした。とはいえ金は『金色の歌姫』よりも身近なものです。例えばサリアの住んでいる国の長は浅黒い手首や胸元に東の国の装飾品を下げていて、これが太陽の如き金の輝きを宿しているものですから、太陽神を崇めるサリア達にはとても眩しく見えるのでした。
金は権力の象徴なのです。下級国民として生まれ育ち労働力として働いてきた人々は権力というものに憧れていて、誰もが長を羨み金に夢を抱いています。けれど、サリアの父は他の人とは少し違うようにサリアは思っていました。
「金がこの国でも採れるとわかれば、この国はもっと良くなる。植物もない、技術もない、労力しかない国は滅びてしまうんだ。歴史がそう言っている。だが金があればこの国はまだ救われるかもしれない。『金色の歌姫』の御伽噺はそれを俺達に伝えてくれていると思うんだ」
ふうん、とサリアはテーブルの上の椀のなかにスプーンを突っ込みます。ラクダのミルクで作ったスープはサリアの得意料理です。
「その話は聞き飽きたよ、父さん」
「そう思うか? ところがだ、今日はひと味違う」
サリアの父は得意げにスプーンの先を軽く振ります。
「今日仕事場で聞いてきたんだが、どうやら北の岩山で金が採れるらしい。実際に見たという奴がいてな。信憑性が高い。父さんは明日そこに行ってみる」
「またそう言う。それに明日は日曜日だよ」
「こっそり行ってくるさ。いつものことだ。仲間達とラクダを借りたからすぐに行って帰ってこれる。サリアも来るか? 男手はあればあるほど良いんだ」
「ううん」
サリアは首を横に振ります。空になった椀の中にスプーンを置いて、そうして首から下げた青くて歪な石の表面を撫でました。
「いい。僕まだラクダに上手く乗れないし、父さん達よりも腕が細いし、お役人に見つかったらきっと邪魔になるから」
そうしてサリアは父へ笑うのでした。
「行ってらっしゃい。父さんのお話、僕大好きなんだ。今回も楽しみにしてるね」
***
次の日、サリアの父は仲間達と共にラクダに乗って旅立ちました。日曜日は休息の日、太陽に感謝し太陽と共にゆったりと時を過ごす日であり、労働をしてはいけない日です。つまりサリアの父達のしていることは神殿に見つかってはいけないものなのでした。
神殿でまつられている神様は元々サリア達の神様ではありません。東の国から金の装飾品と共にやってきた、太陽の神様だそうです。神様という存在を知らなかったサリアの父の世代の人々は、東の国の人々に倣って神殿を建て、日曜日を定め、太陽をあがめるようになったのでした。
神様って何でしょうか。
それが何なのかは知っています。けれどどうにも実感がありません。確かに太陽は空にありますし、ぐるりと空を横断していきますし、常にサリア達を見下ろしています。けれど太陽がサリア達を見つめているとはどうしても思えないのです。だって、太陽は一度としてサリア達の元に降りて来ないのですから。神様が人間を見守り支えるものなのだとしたら、なぜ太陽は一度としてサリア達の元に降り立ったり声をかけたりしてこないのでしょう。幼い子に子守唄を聞かせて寝付かせるように、幼いサリアに古代の話や歴史の話を面白おかしく話してくれた父のように、幼い頃に亡くなった母が遺したこの青い石の首飾りのように、気にしているのならそばに来て寄り添ってくれるものなのではないのでしょうか。
サリアには神様がよくわかりません。金の良さもわかりません。父が自分を愛してくれていることと、自分が父を大切に思っていることと、周囲の皆が自分達を仲間だと思ってくれていることくらいしかわかりません。
それで良いと父は言います。
――自分の信じたいことを信じろ、俺達は元々そうして生きてきた民族なんだ。
サリアはその日、隣の家の夫婦の元でお世話になりました。その夫婦はサリアの父が金を取りに行っていることを知っていて、その上で黙ってくれている優しい人なのでした。
「サリア、お父さん今回はどうなの?」
「わからない。本人は採れるって信じてたけど」
「いつもそうだものね」
果実の搾り汁でできた飲み物をサリアの前に置きながら、奥さんはにこやかに微笑みます。
「楽しみにしてるわ、サリアのお父さんが金を採ってくるの」
それを聞いて旦那さんが笑います。
「お前、それ分けてもらう気満々だな?」
「少しくらい期待したって良いじゃない。金って一粒あれば数ヶ月働かなくて良いんでしょう? 欲しいわ、すごく欲しい」
「お前口だけは達者だなあ」
夫婦が笑い合います。つられて、サリアも笑います。
――その日の夜、父は帰ってきました。
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