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【火矛威サイド】 ぎりぎりの脱出
一方、エントランスでは黄雷龍と黄影剣がアニムスを操り、オリヴィエ=ノアと不動王奈落へと間断なく攻撃を仕かけていた。
エントランスも第三ホールほどではないものの、かなり煙が濃くなってきていた。周囲には火の手も迫っており、あちこちで紅蓮の炎が舌なめずりするかのように蠢いている。まさに灼熱地獄だ。
炎が酸素を奪うのか呼吸もひどく苦しく、煙が喉に絡みついて痛いほどだ。どう考えても戦闘ができる状態ではないが、それでも雷龍は《赤雷》を放出し続けた。
これ以上の『敗北』は決して許されない。たとえ己の身が消し炭になろうとも雷龍は撤退するつもりは一切なかった。ただ、さすがに疲労は隠しきれず、赤雷の勢いも衰えてきている。
そんな主の身を心配したのだろう。影剣は《トータス・シェル》で《死刑執行人》の攻撃を防御しつつ雷龍に告げた。
「雷さま、劇場に火の手が回っています。そろそろ退却しなければ……このままでは命に関わります!」
「何を言うんだ、影剣! ようやくここまで追いつめたのに、敵に背を向けて逃亡しろと言うのか!? 馬鹿な、あり得ん!! 必ずや連中が紅神獄と結託し、共謀していた証拠を掴んでやる!!」
そう叫ぶ雷龍の額には大粒の汗が浮かんでおり、肩も激しく上下している。燃え盛る炎が熱中症や脱水症状を誘発し、酸欠まで起こしかけているのだ。
常に鍛錬をかかさず体を鍛えている雷龍をもってしても、耐えられないほどの灼熱の炎の中。責任感と使命感、怒りと憎悪だけが今の雷龍を支えていた。
いつもは大人しく雷龍の命に従う影剣も、不安をあらわに食い下がる。
「しかし……雷さまの身にもしものことがあれば……!」
「くどいぞ、影剣!!」
怒鳴った雷龍は、ふと顔をしかめて唾を吐き捨てた。
「フン……やけに鉄錆の味がすると思ったら《死刑執行人》の操る血が蒸発してやがるのか……。見ろ、影剣! 神父の動きは鈍く、傭兵の銃弾にも限りがある……連中が弱っている今が粘り時なのだ! 俺は必ずや勝利を掴む! 《レッド=ドラゴン》のため、黄家のため、そして《東京中華街》を復興するために!! もう一度、みなの団結を取り戻すために!!」
それを聞いた影剣は表情を曇らせた。確かに『悪』の存在があれば、分断した《東京中華街》が再び団結を取り戻せるかもしれない。外部の『戦犯』に罪をなすりつけ、すべての責任を負わせることができれば、人々の溜飲も少しは下がることだろう。
だからこそ雷龍は勝利にこだわるのだ。
影剣も雷龍の考えはよく理解している。雷龍は決して感情的になって《死刑執行人》を『成敗』しようとしているわけではない。むしろ誰よりもこの街の摂理を理解しているからこその行動なのだ。
それでも雷龍の身を案じるほどに危機感が募る。雷龍が火災に巻き込まれ、命を落とすことになれば、真実などいくら追及したところで無意味だ。影剣にとって最も大切なのは真実でも勝利でもなく、雷龍なのだ。
一方、奈落たちも窮地に追いやられていた。ただでさえ動きが鈍くなっていたオリヴィエは限界を迎えつつある。貧血や脱水が極限に達して、いつ意識を失って倒れてもおかしくない。
いくら《スティグマ》が回復能力に優れているとはいえ、元となる血が欠乏すれば治せるものも治せない。傍目にもふらふらして前衛に立つ余力もなく、ひたすら防御に専念している。《スティグマ》で盾を作ったり、半円ドーム形の防御膜を張ったりしているものの、これ以上の戦闘は危険なレベルだ。
奈落の持ち込んだ銃器も弾薬が尽きかけている。雷龍や影剣の攻撃を牽制する程度には役に立っていたが、今や残弾数との戦いだ。無駄な弾が撃てないため、攻撃の手数そのものが激減せざるを得ないのだ。
手榴弾も尽き、《ジ・アビス》も発動する気配がない。おまけにオリヴィエや雷龍が見舞われている酸欠や脱水症状は、奈落とて無縁ではない。ただ表に出さないだけで、彼らと同じ道をたどるのも時間の問題だ。
瓦礫の陰に身を潜める火矛威は、見るからに顔色の悪いオリヴィエを心配して声をかける。
「オリヴィエさん、大丈夫ですか!?」
火矛威も拳銃で応戦しているものの、控えめに言ってもあまり役には立っていない。奈落の自動小銃ですら歯が立たないのだ。火矛威の古びた拳銃など豆鉄砲以下だが、それでも何かせずにはいられなかった。
オリヴィエは苦しそうに眉根を寄せ、火矛威に答える。
「大丈夫です……と言いたいところですが、正直かなり厳しいです。深雪と火澄はまだ戻らないのでしょうか?」
「……ええ、まだ第三ホールから出てきません。火の勢いが激しいのに……二人は無事でしょうか?」
「……」
さすがの奈落も考え込んでしまう。戦力はとうに限界に達している。自動小銃の弾倉もこれが最後で、オリヴィエもこれ以上、戦わせるのは難しい。
しかし奈落たちが撤退すると、それを好機と捉えた黄雷龍と黄影剣が深雪たちのいる第三ホールへ乗り込んでしまうかもしれない。その可能性を考えると、簡単に退くわけにはいかないのだった。
もっとも彼らも戦闘力が落ちてきており、東雲探偵事務所の《死刑執行》とどちらが先に折れるか、我慢くらべのような様相を呈している。
ただ、不利なのは間違いなく奈落たちだ。黄雷龍や黄影剣も多少は弱っているものの、二人はアニムスを使うことができる。対してオリヴィエの《スティグマ》はとっくに限界を迎えており、奈落にいたってはアニムスが使えない。
アニムスが使えるかどうかで戦況は天と地ほどの差があるのだ。
それを踏まえた上で、あきらめて撤退するべきか。それともこの場に留まって抗戦すべきか。
(そろそろ時間稼ぎも限界か。黄家の連中が退かないのであれば、別の手を考えるしかないが……)
そもそも奈落たちの目的は深雪と火澄を回収し、《中立地帯》へ戻ることだ。ここで奈落が徹底抗戦して仮に命を落としたとしても、目的が達成されるならば一考の余地もある。だが、倒れそうなオリヴィエとアニムスの使えない火矛威だけで深雪と火澄を連れて《東京中華街》を脱出するのは現実的ではない。
それなりに準備はしてきたものの、さすがに黄雷龍や黄影剣と交戦する事態は想定していなかった。この《東京中華街》は奈落達にとって『敵地』であり、味方の援護は期待できない。この窮地を脱する有効な手立ても思いつかない。まさに万事休すだ。
とにかく先にオリヴィエと帯刀火矛威だけでも退避させなければ。奈落がそう考えた直後だった。エントランスの扉が外から派手にぶち破られる。
金属フレームが歪んで半壊していた扉は、その衝撃によって軽々と吹っ飛んでしまった。そして睨み合う奈落たちと黄雷龍の間に粉砕された細かいガラス片をぶちまけていく。
黄家の二人と《死刑執行人》の双方が驚愕に目を見開き、警戒とともに劇場の入口へと視線を向ける。
「……何だ!? 新手か!」
「あれは…!」
みなが注目する中、吹き飛んだ扉とともにエントランスに二人の男が突入してくるのが見えた。一人はサーベルを携えた雨宮実由紀、もう一人は碓氷真尋。第七陸軍特殊武装戦術群の二人だ。
二人ともチャイナ服を着ていたため、奈落は一瞬、《レッド=ドラゴン》の構成員かと見間違えそうになる。それは黄龍と影剣も同じらしく、『援軍』が到着したのかと歓喜の表情を浮かべた。
しかし、すぐに何かがおかしいと気づく。それもそのはず、雨宮や碓氷が着ているチャイナ服にはボタンが無い。《レッド=ドラゴン》の構成員にとってチャイナボタンはどの家に属しているかを表す身分証のようなものだ。そのチャイナボタンが無いなど、あるまじきことだ。
雷龍と影剣は戸惑った表情を浮かべる。
「何だ、あの二人は……!?」
「チャイナ服を着ていますが、どこの家の者でしょう?」
「サーベルを持ったほうは雨宮深雪に似ているように見えるが……?」
「まさか! 奴は奥に向かったまま戻ってきてないはずです! それに雨宮深雪とは少し雰囲気が違うような……?」
だが、他人の空似にしては、あまりにも顔立ちが似すぎている。いったいどういうことかと雷龍と影剣は困惑しきりだ。
その雨宮は周囲の視線に構うことなく、奈落たちに大声を上げる。
「あいつはどこにいる!?」
「あいつ」が深雪を指しているのだと奈落は瞬時に理解した。彼らが関心を寄せる対象など深雪一人しか考えられない。
「劇場の奥へ向かった。第三ホールだ!」
奈落の即答を受け、雨宮は碓氷に告げる。
「碓氷、お前はこの場に残って《死刑執行人》の退避を援護しろ! 俺はこれからあいつの救出へ向かう!」
「了解!」
雨宮は碓氷へ命令を下すと、黄家の二人と《死刑執行人》が対峙している間を堂々と突っ切り、真っ直ぐに第三ホールへと向かう。
横倒しとなった巨大な柱が行く手を塞いでいたものの、雨宮はサーベルを抜き、《天羽々斬》を発動させると、巨大な柱を一刀両断にしてしまう。
その奥の廊下は一面、炎に包まれていた。ところが雨宮は躊躇うことなく燃え盛る炎の中へ飛び込むと、あっという間に姿を消してしまったのだった。
呆気に取られてていた雷龍と影剣は我を取り戻すと、目の前に立ちはだかる碓氷を睨みつける。
「貴様ら……《死刑執行人》の一味か!」
味方と思った新手が、味方の振りをした敵とあっては、怒りも倍増しようというものだ。雷龍は全身から鮮やかな赤い電撃―――《レッドスプライト》を放ちはじめる。
ところが碓氷は身構えることもなく、ただ斜に構えて肩を竦めるのだった。
「おいおい、こんな身勝手で犯罪組織まがいの連中と一緒くたにしてくれてんじゃねーよ。偶然、目的が一致したってだけで、俺たちとこいつらは別口だ」
「何を訳の分からんことを……! 《死刑執行人》どもをかばうつもりなら俺たちの敵に変わりねえ!! ここで逃がしてたまるか! 全員まとめて一網打尽にしてやる!!」
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