【火矛威サイド】 ぎりぎりの脱出

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「雷さま!!」  影剣(インチェン)が呼び止めるのも構わず、雷龍(レイロン)は青龍刀の切っ先を向けると碓氷(うすい)へと突っ込んでいった。《レッド=ドラゴン》の№2を相手に警戒すら見せず、茶化すような碓氷(うすい)の態度が雷龍の神経を逆なでにしたのだ。  このまま真っ二つに叩き斬ってくれる―――雷龍が碓氷に斬りかかろうとした瞬間。碓氷の両眼が深紅に染まったかと思うと、雷龍は凍りついたように身動きが取れなくなってしまう。自分の意思では指一本、満足に動かすこともできない。 (な……何だこれは? アニムスの効果か!?)  雷龍はぎょっとした。堂々と乗り込んできたから、てっきり相手のゴーストのアニムスは戦闘系だとばかり考えていたが、その予測は完全に裏切られてしまう。  頭に血が上っていたとはいえ、相手のアニムスを確かめもせずに突っ込むのは、さすがに短慮(たんりょ)が過ぎたかもしれない。しかし、後悔してももう遅い。 (何なのだ、この男は……!? いったいどんなアニムスを使ったんだ!!)  碓氷(うすい)が発動させたアニムスは《指揮者(コンダクター)》。その名の通り、対象者の動きを指揮者のように操る能力だ。条件次第ではさまざまな効果があるが、一番手っ取り早く有効的なのは相手の動きを封じてしまうことだ。  ゴーストの場合、身動きを封じてしまうと、予備動作(モーション)を必要とするアニムスはすべて封じられてしまうため、使う相手によってはかなり強力なアニムスとなる。 「くっ……体が動かねえ!」  「雷さま!! 貴様、雷さまに何をした!?」  青龍刀を振り上げたままもがく雷龍をかばうようにして影剣は身を乗り出すが、碓氷は薄ら笑いを浮かべながら冷ややかに宣告するのだった。 「おっと、それ以上は近づくなよ。お前も同じ目に遭いたいか? 主人を守るどころか助けることもできなくなるぞ」 「お、おのれ……!」  碓氷が瞳を赤く光らせるだけでも、牽制(けんせい)の効果は絶大だ。今にも斬りかかろうとしていた影剣は制止せざるを得ず、悔しげに直刀を下ろす。身動きできない雷龍は歯を剥きだし、湧き上がる怒りをぶちまけた。 「()めやがって! 体が動かせなくともなあ……俺のアニムスは発動できるんだよ!!」  雷龍は咆哮(ほうこう)を上げると、硬直したまま《レッドスプライト》を放出した。赤い稲妻が空間を切り裂くようにして縦横無尽(じゅうおうむじん)にほとばしる。  それでも碓氷は何ら焦った様子もなく、ただ《コンダクター》を強化するのみだ。その直後、雷龍を中心に放射状に放たれていた《レッドスプライト》がかき消えてしまう。肉体のみならず、アニムスの発動までもが停止させられてしまった―――その事実は雷龍に衝撃と動揺をもたらした。 「馬鹿な!! 俺の《レッドスプライト》が……!! この野郎、アニムスの効果を打ち消しやがったのか!?」  一部始終を目撃していた影剣もさすがに驚きを隠せない。 「これは……《中立地帯の死神》の《タナトス》と似た能力……!?」  厳密に言えば少し違う。《タナトス》は特定の範囲内のアニムスをすべて無効化してしまう能力だ。どんなアニムスであっても《タナトス》の影響下では完全に効力を失ってしまう。  対して碓氷の《コンダクター》は対象者の精神に働きかけるアニムスだ。ゴーストの精神や神経系を直接、支配することはできるが、アニムスそのものを殺すわけではない。対象者との距離や精神状態によっても効果が左右されるため、《タナトス》のようにいかなる時もアニムスを封じられるわけではない。どちらかと言うと暗示に近い能力なのだ。  つまり、碓氷の《コンダクター》は《レッドスプライト》を打ち消したわけではない。雷龍の精神に働きかけ、アニムスを使えないように操っているだけなのだ。もちろん碓氷はその仕掛け(タネ)をおくびにも出さない。  頭に血が上った雷龍は『暗示』に気づくことができず、たび重なる戦闘や疲労から判断能力が鈍っていた。最初から『暗示』をかけるにはもってこいの条件にあったのだ。 「ぐ……おのれ、おのれ、おのれ!!」 「雷さま……!!」  体も動かせず、アニムスを発動できず、ただ歯噛みするしかない雷龍。主を助けに入りたいものの、碓氷のアニムスの正体が分からず、下手に動けない影剣。その場の主導権を碓氷に握られ、形勢は瞬く間に逆転していた。  ところが突然、雷龍の拘束がふっと解け、体が自由に動くようになった。急に解放された雷龍は前のめりになってたたらを踏み、慌てて踏ん張る。 「……何!?」 「ご……ご無事ですか、雷さま!?」  影剣は碓氷を警戒しつつも、慌てて雷龍のもとに駆け寄る。しかし雷龍は影剣を振り返りもせず、憤りを湛えた瞳で碓氷を睨み据える。 「貴様……どういうつもりだ⁉ なぜアニムスを解いた!!」 「少しは冷静になったか、お坊ちゃん? ここはいずれ崩れるぞ。炭になりたくなけりゃ、とっとと避難するんだな」 「俺に情けをかけるというのか!? 愚弄(ぐろう)するか貴様!!」 「勘違いすんな。こっちはハナから、てめえらに興味ねえんだよ。面倒くせえから早く行け。大人しくしてりゃ見逃してやるよ。もっとも……それでもやるってんなら話は別だがな」  碓氷は口元にシニカルな笑みを浮かべているだけだが、それがかえって雷龍に途轍(とてつ)もない威圧感を与えていた。  《レッドスプライト》は《監獄都市》でも屈指の威力を誇るアニムスだが、《コンダクター》で無効化されてしまったら元も子もない。それは影剣の《トータス・シェル》も同じだ。アニムスが発動できなくなってしまう―――それはゴーストにとって手足を拘束されるより恐ろしいことなのだ。  いくら弱体化しているとはいえ、東雲探偵事務所の《死刑執行人(リーパー)》の存在も侮れない。数の上でも雷龍たちが圧倒的に不利となってしまった。  雷龍はなおも苦虫を噛み潰したような顔をしていたが、青龍刀を肩に担ぎ直すとくるりと背を向け、そばに立つ影剣へと告げた。 「……行くぞ、影剣」 「は、はい! しかし……よろしいのですか?」 「悔しいが勝負はここまでだ。このようなところで焼死体になるわけにはいかん! ……お前も俺もな!」  戦闘を続行するのは危険だと考えていた影剣は、心からほっとした様子を見せる。 「雷さまの仰る通りです! 急いで脱出しましょう!」  雷龍と影剣が撤退しはじめたのを確認し、奈落もようやく自動小銃の銃口を下ろす。その隣ではオリヴィエが肩から力を抜いていた。顔からは血の気が失せて、濃い疲労が浮かんでいる。あのまま戦闘を続けていたら、危ないのは間違いなく奈落たちのほうだった。  そういった意味では雨宮と碓氷の出現は絶好のタイミングだったと言える。そこへ碓氷が苛立ちをあらわにした口調で告げた。 「おい、グズグズしてんじゃねーよ。てめえらもとっとと撤退しろ!」 「行くぞ」  奈落はそう声をかけると自動小銃の負い紐(スリング)を肩に担いで立ち上がった。だが、オリヴィエは不安げに第三ホールへと視線を送る。 「でも……深雪と火澄は彼らに任せて大丈夫でしょうか?」 「おそらく問題はない。陸軍の連中は民間人には手を出さない。深雪を連れ去ることはあっても、二人に危害を加えることはないだろう」 「確かに……黄雷龍や黄影剣ですら無傷で逃がしていましたからね。さあ、帯刀さん。私たちも急ぎましょう」  オリヴィエに促されて火矛威も頷いた。 「……ええ。火澄……どうか無事でいてくれ……!!」  火矛威も第三ホールにいるであろう火澄や真澄、深雪のことが心配だったが、今はもう追いかけることもできない。行く手を塞いでいたエントランスの柱は《天羽々斬(アメノハバキリ)》によって取り除かれたものの、火の手がすぐそこまで迫っており、とても奥へ向かえるような状況ではない。  奈落やオリヴィエを追ってエントランスを後にしかけた火矛威は、一度だけ第三ホールのほうを振り返った。  ふと誰かに呼ばれたような気がしたのだ。  ひょっとして深雪や火澄たちが戻ってきたのだろうかと期待したものの、残念ながら気のせいだったらしい。  熾烈(しれつ)な戦闘が繰り広げられていたエントランスは炎の海に飲まれ、ごうごうと燃え盛る炎がすぐそこまで迫っていた。心残りは拭えなかったが、今は一刻も早く立ち去るしかない。  ただ劇場の外を目指す火矛威の胸に、わけもなく静かな予感が広がっていく。  自分はもう二度と真澄に会うことはできないのではないか―――と。
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