【深雪サイド】 ぎりぎりの脱出②

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【深雪サイド】 ぎりぎりの脱出②

 その頃、深雪と火澄は第三ホールを脱出して劇場のエントランスに向かおうとしていた。ところがホールの外に出ると、劇場の通路は中とはくらべようもないほど激しい炎に包まれていた。 (くっ……思った以上に火の勢いが強い! もっと早くにホールを脱出すれば良かったけど……)  しかし、深雪は真澄を諦めることができなかった。大切な親友を置き去りにしていくことに激しい抵抗があった。正直なところ、今でも後悔しているくらいだ。本当は真澄も―――神獄も連れて来るべきだったと。  あの時どうすれば良かったのか。今でも『正解』は分からない。ただ、神獄(シェンユイ)は自分の意思でホールに残ることを選択をした。深雪は彼女の選択を受け入れるしかなかったのだ。 (とにかく今はこの劇場から脱出するのが先だ!)  深雪は火澄のほうを振り返ると、その小さな手を離さぬよう強く握りしめた。 「火澄ちゃん、エントランスまで一気に走るよ!」 「う…うん」    深雪は火澄の手を握ったまま、炎に包まれた劇場の通路を走り出す。ところが十メートルも進まないうちに何かが割れるような音がしたかと思うと、天井が崩れて二人の頭上にガラガラと降り注いでくるのだった。 「きゃああっ!」 「しまった!」  天井が倒壊する音と噴きあがる炎に驚いたのだろう。火澄は首を縮めて悲鳴を上げる。深雪はとっさに火澄を抱えて後ろに飛び退った。 「火澄ちゃん、大丈夫!?」 「う、うん……でもあたし達、閉じ込められちゃったね」  火澄の言う通り、目の前の通路は天井から崩れてきた瓦礫で(ふさ)がれてしまい、背後からはじわじわと火の手が迫っている。まさに八方塞がりだ。しかし、絶望に捕らわれているような時間は残されていない。何もしなければ二人が助かる確率は下がっていくだけだ。 (《ランドマイン》を使えば瓦礫もろとも炎を吹き飛ばせるか……?)  ただ、手持ちのビー玉は使い果たしてひとつも残っていない。深雪は足元に落ちていた瓦礫の欠片を拾い上げると、《ランドマイン》を付着させるためぎゅっと握りしめた。 「火澄ちゃん、下がってて」  そう言って深雪は石つぶてを目の間に立ちはだかる瓦礫の山へと投げつける。《ランドマイン》が瓦礫を吹き飛ばしたかに思われた次の瞬間、爆破の衝撃によって(もろ)くなっていた天井が再び崩れ、たちまち元のように爆破で吹き飛ばした箇所を埋めてしまった。 (くそっ……これ以上、爆破するるとさらなる崩壊を引き起こす可能性もある。いったいどうすればいいんだ……!)  ただでさえ劇場は激しい炎に巻かれ、コンクリートの壁や鉄骨までが崩れ落ちているような状況だ。そこに《ランドマイン》で衝撃を加えると、さらなる崩壊を引き起こしてしまい、下手をすれば瓦礫の下敷きになって逃げるどころではなくなってしまう。  火澄も気丈に振舞っているものの、ずっと口元に手を当てて苦しそうに(せき)をしている。顔を苦しそうに歪めており、限界が近づいているのは間違いない。  深雪も服の袖で口元を覆うものの、煙が喉を刺激して呼吸も満足にできない。このままでは焼け死ぬ前に呼吸困難で倒れてしまう。  しかも炎に囲まれているせいで灼熱地獄のような暑さだ。全身から噴き出るように汗が出るが、それすらも炎の熱で干上がってしまう。  それとは反対に、深雪の心は冷水に浸かったように温度を失っていく。身に迫る炎の勢いが増すほどに、ひたひたと死の足音が近づいてくるからだ。  このままでは本当にやばい―――危機感が押し寄せてくるものの、視界が(かす)んで足元がふらふらし、平衡(へいこう)感覚までおかしくなりはじめる。おぼろげになってゆく意識の中で深雪は必死で抵抗していた。火澄は―――せめて火澄だけは助けなければ。真澄に「火澄をよろしく」と頼まれたのだから。  その時、火澄が不意に声を上げる。 「雨宮さん、誰か来るよ!」 「え?」   どうにか気力を振り絞って周囲を見回すものの、視界に入るのは燃え盛る紅蓮の炎と黒々とした煙ばかりだ。深雪は火澄を振り返って尋ねる。 「誰かって……誰?」 「分からない……でも、こっちに近づいてくる。すぐそこにいるよ!」  火澄が行く手を塞がれた通路を指差して叫ぶと、それに呼応するかのように瓦礫の向こうから声が聞こえてくる。 「おい、そこにいるのか!? いたら返事をしろ!!」 (この声は……!)  自分によく似た青年の声。第七陸軍特殊武装戦術群の雨宮実由紀(あまみやみゆき)が救援に駆けつけてくれたのだ。深雪もすぐさま声を張り上げる。 「マコト! 俺はここにいる!! 火澄ちゃんも一緒だ!!」 「瓦礫を破壊する! 下がっていろ!!」  深雪たちが指示された通りに動くと、雨宮は《天羽々斬(アメノハバキリ)》を発動させて、通路を塞いでいた瓦礫と炎を真っ二つにしてしまう。 「おい、無事か!?」 「ああ、助かったよ!」 「ここはもうじき崩れる。すぐに脱出するぞ!」  雨宮の存在がこんなにも心強く感じられるとは。見ると彼の右腕のチャイナ服は焼け落ちており、その下にある機械義手(マニピュレーター)の金属フレームがあらわなっている。  雨宮の右腕はかつて奈落と交戦した際に《ジ・アビス》に喰われてしまった。その代わりとして機械製(マシナリー)の義手を装着しているのだろう。  その右腕が故障する危険を冒してでも助けにきてくれた雨宮に、深雪は感謝の念を抱かずにはいられない。彼の目的が深雪ではなく、《レナトゥス》にあるのだと分かっていても。 (そういえば……マコトも《レナトゥス》があるんだっけ。だから火澄ちゃんもマコトの気配を感じ取ったのかもしれない。俺の《レナトゥス》と共鳴反応を起こしたように)  しかし、エントランスの方角に目をやった深雪は思わず息を呑んでしまう。炎が通路を覆いつくし、すべてを燃やし尽くさんと真っ赤な口を開けて待ち構えているのだ。 「走れるか? 俺が先導するからついて来い!」  そう言って駆け出そうとするマコトだが、深雪と火澄は思わず足がすくんでしまう。 (本当にこの中を突っ切って大丈夫なのか……!? これだけ火の勢いが強いと、まさに一か八かの賭けじゃないか!)  腹を決めねばならないと分かっていても、かなりの勇気を要してしまう光景だ。それに深雪と雨宮だけならまだしも、火澄を連れて炎の中を駆け抜けるのは不安がある。  壁や天井が崩れ、瓦礫があちこちで積み重なり、足場もかなり悪い。一瞬でも足を止めたら、あっという間に炎に呑み込まれてしまうだろう。躊躇(ちゅうちょ)する深雪の頭の中でエニグマが話しかけてきた。 『雨宮さん。この劇場から脱出なさりたいのであれば、エントランスに戻るより、真逆の方向へ進んだほうがよろしいかと思いますよ』 「真逆に……? それで大丈夫なのか?」   この先は確か楽屋や舞台裏の設備があったはずだが。深雪はエントランスの逆方向へ視線を向けつつ劇場の見取り図を思い出していると、エニグマはこの深刻な状況などお構いなしの、のん気な口調で説明を続ける。 『その先は劇場の裏手に通じています。楽屋や機材の搬入路の先に東側非常口があるのです。炎に包まれて非常口がどこなのか判別しにくいかもしれませんが……なに、もう一人の雨宮さんのアニムスでまとめてぶち抜けば良いのですから、この際、大した問題ではありませんよ』  深雪も劇場の見取り図はざっくりと把握していたが、非常口の位置までは確認していなかった。 (確かに……今は少しでも生き残る可能性が高いほうに賭けるしかない!)  深雪はさっそく雨宮の腕を掴んで引き留める。 「マコト、そっちじゃない! こっちだ!」 「……何!?」 「この通路を進んだ先に搬入路や非常口がある! そっちのほうが出口に近い!」  「本当か!?」 「ああ! 前に一度、この劇場に来たことがあるから間違いない!!」  深雪はエニグマに教えてもらったばかりの情報を雨宮に伝える。雨宮の判断は早く、聞き終えるなり、すぐに指示を出す。 「……よし、お前の記憶を信じる! 下がっていろ!!」 「分かった! 火澄ちゃん……あともう少しだ! 頑張ろう!!」 「うん!」  雨宮は深雪の指した方向―――東側非常口をめがけてサーベルを大きく振るい、《天羽々斬(アメノハバキリ)》を放った。  分厚い劇場の壁は高熱にさらされて(もろ)くなっていたらしく、《天羽々斬(アメノハバキリ)》の剣圧に吹き飛ばされ、あっけなく崩壊していった。おまけに倒壊した瓦礫や資材なども一掃(いっそう)されて、どうにか進むことができそうだ。  燃え盛る炎の中、雨宮の先導するあとから深雪と火澄が続く。幾度も炎や崩れた瓦礫などが深雪たちに降り注いできたが、そのたびに雨宮は《天羽々斬(アメノハバキリ)》を発動させ、行く手を(さえぎ)るものをことごとく薙ぎ払っていく。それでも息ひとつ乱さないのだから、流石(さすが)としか言いようがない。  やがて深雪たちはひときわ巨大な壁の前に到達した。 「……これが劇場の外壁だな」  そう言って雨宮は特大の《天羽々斬(アメノハバキリ)》を放つと、頑丈な壁は轟音とともに崩れ落ち、同時に冷たい外気が吹き込んできた。ようやく劇場の外に達したのだ。 (やった! これで外に出られるぞ!!)  ところが喜んだのも束の間。次の瞬間、凄まじい大爆発が深雪たちを襲った。突然、外の空気が劇場内へと流れ込んできたのでバックドラフト現象を起こしたのだ。 「きゃああああああ!」 「火澄ちゃん!!」  深雪はとっさに火澄をかばう。その深雪たちを守ろうとして雨宮は最大出力の《天羽々斬(アメノハバキリ)》を放つ。  だが、爆発による炎の勢いがあまりにも強すぎる。抵抗も虚しく、三人の姿はあっという間に巨大な炎に呑み込まれてしまうのだった。
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