【深雪サイド】 父娘の再会

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【深雪サイド】 父娘の再会

 紅龍芸術劇院の裏手には、一面が芝生で覆われた公園が広がっていた。  高層ビルのひしめく《東京中華街》の中で数少ない開けた空間であり、広場の一角にはコンサートやイベントを催すこともできる野外ステージが設置されている。  伸び伸びとした美しい公園には樹木がほとんど植わっておらず、劇場を襲う火災もここまでは届かない。  劇場を命からがら脱出してきた深雪は、火澄(かすみ)を支えながら広場の真ん中までたどり着くと、とうとう力尽きて倒れこんでしまった。肺に酸素を取りこむのに必死で、これ以上、一歩も動けそうにない。 「はあはあ……死ぬかと思った……!」  大の字になって寝転がっていると芝生のチクチクした感触が頬や手足に突き刺さるものの、冷たい地面が熱された体を冷やしてくれるので、心地よいくらいだ。  雨宮が《天羽々斬(アメノハバキリ)》で劇場の外壁を打ち破ってくれたまでは良かったものの、突然、外気が炎の燃え盛る劇場へ流れ込んだためにバックドラフト現象が起こったのだ。  映画でしか見たことがないような巨大爆発に、深雪も「これは助からない」とあきらめかけた。しかし、爆発に呑みこまれそうになった瞬間、雨宮が《天羽々斬(アメノハバキリ)》を発動させて押し寄せる爆炎を吹き飛ばしたのだ。  それでも爆発の勢いを殺すまでは至らなかったが、今度はエニグマが実体化し、深雪たちを覆って炎の塊を防いでくれた。そうして深雪は火澄とともに九死に一生を得たのだった。  深雪は息が上がって喉もカラカラだ。煙を吸いこみすぎて頭もグラグラする。おまけに全身が(すす)だらけだ。服が焦げて穴が空いているのはもちろん、火傷もひどい。命取りになるほど重度の火傷ではないものの、あちこちの皮膚が(ただ)れ、水ぶくれができている。  ただ、空気はおいしかった。煙の混じっていない、ほどよく冷やされた夜の空気。劇場は猛烈な暑さだったから、余計に外気の冷たさが肺に染みる。 「火澄ちゃんは大丈夫?」 「う……うん、何とか……」  深雪は力を振り絞って立ち上がると、同じように倒れている火澄を助け起こした。彼女も痛々しいほどあちこち火傷をしていたが、どうにか動けるようだ。  よろよろと立ち上がった火澄は背後の劇場を振り返る。  紅龍芸術劇院のすべてが炎に包まれ、壮麗(そうれい)な姿など見る影もない。内部が崩れ落ちたのか、炎が爆ぜる音とともに地鳴りのような轟音も聞こえてくる。  燃え盛る劇場から熱気が放たれて、離れていても体がじりじりと焼かれるようだ。つい先ほどまであの中にいたのだと思うと背筋がぞっとしてしまう。全身の火傷がチリチリと痛みを発しているが、それだけで済んだのはまさに奇跡だ。  雨宮の助けがなければ、深雪たちは間違いなく炭と化していた。火澄は無表情でじっと炎に包まれた劇場を見つめていたが、やがてぽつりとつぶやいた。 「劇場……燃えちゃったね……」 「……そうだね」 「あの中に、お母さんが……」 「火澄ちゃん……」 「あたし……もっと話をすれば良かった。もっと言いたかったことも伝えたかったことも、たくさんあったのに……!」  劇場に視線を注ぎながら、火澄のほほを一筋の涙が伝う。  はじめて紅神獄と対面した時、火澄は神獄を責める言葉を口にした。けれど今は神獄を『お母さん』と呼び、彼女の死に涙を流している。それだけで深雪は救われた気がした。火澄と真澄が最後に会うことができて本当に良かったと。 「……ごめん、火澄ちゃん。俺も……何とかして真澄を助けたかった」  深雪も火澄と並んで燃え落ちる劇場を見上げた。時おり風に流されて、赤く輝く火の粉が降ってくる。深雪にはそれが真澄の魂の欠片であるように感じられてならなかった。  彼女は最後、幸せだったのだろうか。苦しくなかっただろうか。心残りは無かっただろうか。満足してその時を迎えられたのだろうか。  深雪は結局、真澄を説得することも、第三ホールから連れ出すこともできなかった。それでもせめて彼女が最期に幸せだったらいいと、そう願わずにはいられない。  深雪も火澄も互いに黙ったまま、二人寄りそうようにして赤く染まった紅龍芸術劇院を見つめ続けた。  神獄の魂が天に昇っていけるよう、ただそれだけを祈りながら。  そこへ人影が駆け寄ってくる。愛用のサーベルを手にした雨宮だ。  雨宮は大爆発(バックドラフト)を潜り抜け、深雪と火澄を救出したあとも、ただ一人、何事も無かったかのように平然としていた。そして深雪に火澄を連れて裏手の公園へ退却するよう命じると、自身はサーベルを手にいずこかへ消えていった。おそらく周囲の状況を確認しに行ったのだろう。  いくら軍の特殊訓練を受けているとはいえ、彼の体力や精神力には脱帽(だつぼう)するばかりだ。雨宮は深雪に近づくと、さっそく安否を確認をする。 「おい、無事か!?」 「ああ、あちこち火傷はしてるけど……どうにか動けるよ」  次に雨宮は火澄へと視線を向ける。 「……その娘か? 例の《雨宮=シリーズ》と同じ遺伝子を持つという……」 「……!」  雨宮は火澄に興味を抱いているらしく、何かを観察するような―――あるいは何かを探るような視線を彼女に向けている。  基本的に雨宮や碓氷(うすい)は、彼らが《自然体(ネイチャー)》と呼ぶ人々にあまり関心を見せない。決して《自然体(ネイチャー)》を軽んじているわけではないが、陸軍特殊武装戦術群そのものが秘匿性(ひとくせい)の高い組織であるため、彼らと関わる機会そのものが少ないのだろう。  雨宮や碓氷にとって《自然体(ネイチャー)》はあくまで『自分たちとは違う世界の人々』なのだ。  深雪には異常なほどの執着を見せるが、それは《レナトゥス》が目的であって、深雪個人の人格や考えにさほど関心があるわけではない。それを考えると雨宮が火澄に強い関心を示すのは異例のことだ。 (それも当然か。雨宮たちが火澄ちゃんに興味を持つよう俺が()きつけたんだから……!)  しかし、今ここで雨宮に火澄の《レナトゥス》の存在を知られるのはマズい。知ってしまったら雨宮たちは絶対に火澄を放っておかないし、彼女を連れ去るくらいはするだろう。そうなれば深雪が強いられる予定だった『実験動物扱い』を火澄が受けることになってしまう。  かといって火澄の存在をちらつかせて雨宮たちに協力させた以上、何の説明もなく済ませるわけにもいかない。 (困ったことになったな……!)  深雪はさり気なく雨宮と火澄の間に体を割り込ませた。万が一、雨宮が火澄に『実力行使』することが無いように。  一方、当の火澄は深雪の後ろでボロボロと涙を零してすすり泣いていた。 「お母さん……お母さん……!」 「……」  それを見た雨宮は小さく溜め息をつくと、火澄から視線を()らせた。親を亡くしたばかりで精神的ショックを受けて泣いている十代の少女に、あれこれと問い詰めるのはさすがに酷だと判断したらしい。  決して諦めたわけではないが、火澄の秘密を解き明かすのは、少なくとも彼女が立ち直るまで持ち越すことにしたのだろう。  深雪は内心で安堵しつつ話題の矛先を変える。 「そういえば……よく俺が劇場にいるって分かったな? (ラン)家の近くで別れてから連絡がまったく取れなかったのに」 「……お前の仲間から接触があった」 「仲間……? 奈落やオリヴィエか?」  すると雨宮が腕に嵌めている携帯端末からウサギのマスコットが飛び出してきた。立体映像の三等身ウサギ―――マリアは「えへん」と胸を反らせる。 「違うわよ、あたしよあたし! あたしが深雪っちの居所を割り出して、こいつらに教えてやったの! だから深雪っちがめでたく合流できたってワケ!」 「マリア! ネット回線のサイバー攻撃は収まったのか!?」  あれほど連絡が取れなくて苦労したのに。深雪が驚くとマリアは上機嫌で説明しはじめる。 「収まったっつーか、力尽くで収めてやったのよ! どうせ混乱してるなら、こっちが主導権を握ってるほうがマシでしょ? だからウイルスやマルウェアをばら撒いてやったのよ!!」  「え……?」 「もちろん(ヘイ)家一味を徹底的に狙ったから、今頃ウサちゃんたちのカチコミ食らって連中は大わらわでしょうねえ~! その余波で《収管庁》や《アラハバキ》にもちょ~っち影響出るかもだけど……ま、たまにはそんな事もあるよね!」 「……それはいわゆるサイバーテロと言うのでは……?」  深雪は思わず突っ込んだ。それを聞いたマリアは途端にムッとする。 「ちょっと……テロとか人聞きが悪すぎなんですけど? 別にインフラとか行政機関とか狙ったわけじゃないし? そもそも仕掛けてきたのは黒家の奴らだし、被害があったとしても、ちょっとしたもらい事故みたいなもんだしー? テロとかちょい大袈裟(おおげさ)すぎって言うか~」 「いや、どんな理由があってもテロはテロでしょ」 「う、うっさいわねー!! ああ、そーですよ。テロですよテロ! だから何!? こっちはやられたからやり返しただけなんですけど!? 非常時だったし、一刻の猶予も無かったし、結果オーライでしょ、ざっくり言っても!! それにウイルスやマルウェアはある程度コントロール効くから、後から何とでもなるなる!」  なおも白い目を向ける深雪に、マリアはどこか得意げに腰に手を当てる。 「まあ、あたしもJKの頃は武勇伝的なあれこれやらかしてるし? マルウェア仕込むとかウイルスばら撒くとかさー、ぶっちゃけ情報屋の仕事より得意っていうか、むしろ十八番(おはこ)っていうか? いやー、やっぱサイバーテロって楽し……」 (あ、開き直った)  笑い声を上げかけたマリアは、しかし突然、むぎゅっと石でも呑みこんだかのような顔をする。じろりと無言で(にら)みを利かせる雨宮と視線が合ってしまったのだ。  雨宮の殺気にも等しい圧力に気づいたマリアは頬をひきつらせると、慌ててわざとらしい咳払(せきばら)いをするのだった。 「と……とにかく! そんなワケで、ようやく通信できるようになったってワケよ!」 「そ……そう。おかげで雨宮マコトと合流できて助かったよ」 「碓氷(うすい)は他の《死刑執行人(リーパー)》たちと一緒だ。ついさっき劇場の裏手で無事を確認した。今、こちらに向かっているところだ」  雨宮が告げてからほどなくして四人が公園に現れた。まず最初に近寄ってきたのは奈落とオリヴィエの二人だ。それから少し遅れて碓氷が続く。深雪はさっそくオリヴィエと奈落に声をかけた。 「みんな、お疲れ。そっちは大丈夫だった?」 「……ええ。正直、かなり厳しい戦いでしたが……」  その言葉通り、オリヴィエはかなり憔悴(しょうすい)していた。目立った怪我はないものの、顔色はかなり悪い。またしても自分のせいで無理をさせてしまったと思うと、感謝と同時に申し訳なさがこみ上げてくる。 「黄雷龍(ホワン・レイロン)黄影剣(ホワン・インチェン)の二人は……?」  深雪が尋ねると今度は奈落が口を開いた。 「撤退(てったい)した。劇場がこの有り様だからな。退かざるを得なかったんだろう」  奈落はオリヴィエほど疲れた様子は無いものの、《進化兵》との戦闘で凄まじい怪我を負ったことを考えると、見かけほど余裕があるわけではないのだろう。  それでも、みなが力を貸してくれたから火澄を取り戻すこともできたし、危機を乗り越えることもできた。深雪は深々と頭を下げる。 「そうか……手伝ってくれてありがとう。助かったよ。雨宮マコトと碓氷もありがとな」 「……」 「別にお前のためじゃない。俺はただ上官の命令に従っただけだ」  無反応な雨宮はまだしも、碓氷にいたっては迷惑そうに顔をしかめ、素っ気なく答えるばかりだ。馴れ馴れしくするな、鬱陶(うっとお)しい―――それが一貫した碓氷の考えなのだろう。  それでも深雪は雨宮と碓氷に感謝している。深雪一人では混迷を極める《東京中華街》の中で火澄を見つけ出すことなど絶対にできなかったから。  そんな会話をしていると最後に火矛威(かむい)が姿を現した。全身が煤で汚れ、足取りもフラフラしているものの、無事であるようだ。  火矛威は深雪の隣にいる火澄に気づいてハッとすると、歓喜を浮かべて駆け寄ってきた。 「火澄! 火澄!!」 「お父さん!」  名前を呼ばれて火澄も弾かれたように顔を上げる。そして走ってくる父親を目にして、自分から駆け寄って抱きついたのだった。  まさか火澄がそのような行動に出るとは思わなかったのだろう。一瞬、驚いたような顔をしたものの、すぐに火矛威も火澄を両腕で抱きしめた。 「ああ良かった……! 無事で本当に良かった!!」  声を、そして全身を震わせる火矛威から喜びが伝わったのだろう。火澄もくしゃっと顔を歪める。 「お父さん、ごめんなさい……。あたし、お父さんに酷いことを言っちゃった……」 「……いいんだ。火澄にちゃんと話をしなかった父さんにも悪いところがある。火澄が無事に戻ってきてくれて、父さんはそれだけで十分だよ……!!」  火澄は瞳を(うる)ませると、火矛威の胸に顔を埋めたまま肩を震わせて泣きじゃくった。それは後悔と悲しみの涙ではない。安堵と喜びが結晶となってできた温かい雫だ。 「血の繋がりがあるとか無いとか……そんなの関係ない! どんな秘密があっても、お父さんはあたしのお父さんだもん! 迎えに来てくれて……探しに来てくれてありがとう。お父さん、ただいま!!」 「お帰り、火澄。一緒に家へ戻ろう」 「うん……!」  巨大な火柱を上げる紅龍芸術劇院を背景にして、火矛威と火澄は抱きしめ合った。二人の身に降りかかった困難や苦難の数々を思うと、深雪は心から同情を禁じえない。  血の繋がった親子ではないという『真実』を関係のない第三者に暴露(ばくろ)され、親子の仲を引き裂かれてしまった。怖い思いも悔しい思いもたくさんしたことだろう。  それでも火澄と火矛威は互いに『親子』であることを選んだのだ。どんな悪意も、無責任で無神経な好奇心も、二人の(きずな)を引き裂くことはできなかったのだ。
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