【深雪サイド】 父娘の再会

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 深雪もできるなら二人をそっとしておいてあげたいが、そういう訳にはいかない。再会を喜びあう二人に水を差すようで申し訳ないが、神獄(シェンユイ)―――真澄の最期を知る者として、火矛威(かむい)に伝えなければならないことがある。 「火矛威……」  深雪が声をかけると、火矛威もすぐに気づいた。 「深雪……無事でよかったよ。火澄を……娘を助けてくれて本当にありがとな。それで……真澄は? 一緒じゃないのか?」 「真澄は……真澄は……!!」  深雪は小さく首を横に振る。真澄の最期を思い出すと涙が込み上げそうになり、ぐっと唇を噛みしめた。それでも(こら)えきれずに目元が(にじ)んでしまう。  そんな深雪の反応から火矛威もすべてを悟ったのだろう。ただ、事実を静かに受け入れるようにぽつりとつぶやく。 「そうか……」 「俺も何とか真澄を説得したかったけど……ごめん……」 「……いいんだ、深雪。あいつは自分の人生を生きたんだ。俺もお前も……誰も阻むことなんてできない。そんなこと最初から分かってた。分かっていたけど……どうしても諦めきれなかった!!」  火矛威の頬にも一筋の涙が軌跡を描いてゆく。その瞳は深い悲しみの色を(たたえ)えながらも、すべてを受け入れるような透明な気配が漂っていた。それを見た深雪は不意に思う。もしかすると火矛威は、この結末を予感していたのかもしれないと。  思えば《ウロボロス》にいた頃から、火矛威は真澄をよく見ていた。時には恋人のように、時には家族のように、陰となり日向となって真澄を支えていた。誰よりも真澄を知る火矛威だからこそ、彼女が選択するであろう未来を想像していたのだろう。  何とか真澄の選択を変えようと奔走(ほんそう)しつつも、心のどこかで彼女がそれを望んでいないことを敏感に感じ取っていたのかもしれない。  肩を小さく震わせ、悲しみに暮れる火矛威に深雪は静かに尋ねた。 「……。真澄のこと、恨んでるのか?」 「……そういう時期もあった。俺の気持ちを知りながら俺を捨てたと苦しんだ時もある。でも……今は真澄を恨んでいない。むしろ感謝しているよ。だってあいつは俺に家族をくれたから……!!」  火矛威はそう言って涙で頬を濡らしつつも笑顔を見せた。そこには未練も悔恨(かいこん)もなく、雨上がりの空のように澄みきっていた。 「お父さん……」  火澄はそんな火矛威を励ますように、ぎゅっと抱きしめた。火矛威も火澄の頭をそっと抱きよせる。失ってしまったものと、手元に残ったもの。その両方の愛しさを確かめるかのように。  深雪はそんな二人をただ黙って見守っていた。今はまだこれで良かったのかどうか分からない。けれど神獄は―――真澄は最後まで願っていた。どうか火澄と火矛威に仲直りをして欲しいと。だからきっと火矛威と火澄が親子(かぞく)でいることが、彼女の魂を慰めることにもなるだろう。  今もなお轟音を立てて炎と煙を噴き上げる紅龍芸術劇院。  そろそろ頃合いと見たのか、マリアが引率の教師のようにぺちぺちと短い手を叩いた。 「はいはーい、しんみりしてるトコ悪いけど、そろそろ移動するわよ!」  すると雨宮が即座に口を開いた。 「先ほど街の中心部の様子を探ってきたが、混乱に拍車がかかっている。この紅龍芸術劇院だけでなく、紅家邸や紅龍大酒店(グラウンドホテル)、紅龍タワー……紅家に(ゆかり)のある建物に次々と火が放たれ、あちこちで大規模な火災が起きている。デモのために集結していた群衆もパニックになって逃げ惑っているようだ」  深雪と火澄が倒れている間に、雨宮は《東京中華街》の中心部まで行ってきたのか。さほど広い街ではないから不可能ではないにしても、それにしたって雨宮(マコト)の体力と行動力には驚くばかりだ。 「いずれ劇場の異変も察知される。そうなれば《レッド=ドラゴン》の構成員が駆けつけるのも時間の問題だ。ただちに動かなければ脱出は困難になる」 「でも……《東京中華街》は厳重に封鎖されているだろ? 潜入するのもあれだけ苦労したのに、そう簡単に脱出できるのか?」  深雪が疑問を口にすると今度は碓氷(うすい)がフンと鼻を鳴らし、肩を竦める。 「だからこそ今がチャンスなんじゃねーか。《東京中華街》の混乱に拍車がかかっている状況を逆手に取って、封鎖が緩んだ隙を突けば、《中立地帯》に戻れるかもしれねえ。パニックが収まれば封鎖は再び厳重になっちまう。だから動くなら今しかねえんだ」 「なるほど……確かにそうだな」  何故、(ホン)家に縁のある施設が一斉に火の手を上げたのだろう。しかも、紅神獄(ホン・シェンユイ)黄鋼炎(ホワン・ガイエン)がこの世を去ったのと時を同じくして。あまりにもタイミングが良すぎる。ただの偶然とは思えない。  しかし、事の真相を詮索(せんさく)している余裕は無い。今の深雪たちにできることと言えば、混乱に乗じて《東京中華街》を脱出することだけだ。 「それにしたって……この人数で移動するのか?」  さすがにこの大人数では隠密行動はできないし、敵に見つかる危険(リスク)も高くなる。みな大なり小なりダメージを負っているうえ、池袋から新宿までそれなりに距離もある。《東京中華街》を脱出できたとしても、《中立地帯》まで歩いて戻る体力があるだろうか。  深雪の心配を見透かしたように、奈落が軍服のコートから車のキーを取り出して見せる。 「俺たちが《東京中華街》に潜入する際に使ったステーションワゴンが近くに停めてある」  火矛威もそれを思い出したらしく、嬉しそうに頷く。 「この大人数でもワゴンなら全員、乗れるかもしれませんね」 「分かった、それじゃ案内を頼むよ」  さっそく移動をはじめた深雪たちを突然、碓氷が呼び止める。 「おい、その車のキーをこっちに寄越せ」  その声は攻撃的で警戒心に満ちており、どちらかと言うと敵兵に対する牽制に近い。碓氷に続いて雨宮も足を止め、剣呑(けんのん)な視線を向けている。  奈落も売られた喧嘩は買うとばかりに、ドスの効いた声で振り返る。 「……ああ?」   「てめえら犯罪者(テロリスト)まがいの連中に手綱(たづな)を握らせるわけにはいかねえんだよ。大人しく言うことを聞け。……それともここで決着をつけるか? 俺たちは別に構わないぜ? 見たところお前、アニムスが使えないんだろう? 相棒の神父も満身創痍(まんしんそうい)だ。どう振舞うのが賢いか、分からねえわけじゃねえよな?」 「……」  奈落は殺気を込めて、すっと隻眼を(すが)める。《中立地帯》の《ストリート=ダスト》や《レッド=ドラゴン》の下部構成員であれば、その一瞥(いちべつ)を浴びただけで震え上がり、たちまち逃げ出してしまうだろう。  だが、碓氷と雨宮は(がん)として譲らない。雨宮にいたってはサーベルの柄に手をかけている。まさに一触即発(いっしょくそくはつ)―――ヒリヒリとした空気が張りつめる。あまりの険悪さに深雪は慌てて両者の間に割って入った。 「べ……別に車のキーなんて、どっちが持ってても同じだろ!」 「……お前は黙ってろ」  だが、雨宮の返答はにべもない。奈落もまったく退く気配を見せず、互いに火花を散らして睨み合っている。いつ戦闘が始まってもおかしくない雰囲気に、深雪と火矛威はハラハラしながら見守る。  感情的になって攻撃するほど短絡的(たんらくてき)ではないと思うが、互いに因縁(いんねん)を抱えている以上、冷静になるのも難しいだろう。  だが、どちらに()があるかは言わずもがなだ。碓氷(うすい)の指摘した通り、まだ余力を残している陸軍特殊武装戦術群の二人に対し、奈落やオリヴィエは限界に近い。  さすがの奈落も自らの不利を認めざるを得なかったらしく、聞こえよがせに「ちっ」と大きな舌打ちをすると、碓氷に車のキーを放り投げた。  碓氷がそれを片手でキャッチしたのを確認して、雨宮はようやく警戒を緩めたのだった。 「よし、行くぞ。……すまないが案内を頼む」 「あ、はい。こちらです」  雨宮に案内を任された火矛威は、戸惑いつつもみなを先導して歩きはじめた。  雨宮も碓氷も、奈落やオリヴィエを極端に避けている。はっきり言って無視していると言っても過言ではない。できるなら視界にすら入れたくない―――そんな本音さえ透けて見えるようだ。奈落やオリヴィエに頼むくらいなら、《自然体(ネイチャー)》である火矛威に頼んだほうがマシだ―――と雨宮は判断したのだろう。 「そんなに警戒しなくてもいいのに……」  深雪がつぶやくと、マリアが頭の後ろで両手を組み、半眼になって答える。 「まあいろいろあったからね~。こっちだって今さら馴れ馴れしくされても困るってカンジだし? 控えめに言ってもこんなもんでしょ」 「そりゃマリアはギスギスした空気が気にならないのかもしれないけど……俺はもう少し打ち解けてくれてもいいのにって思うよ」 「はあ? 言っとくけど、あいつらはあたしたちの敵なのよ、敵! それなのに打ち解けるとかワケ分かんないんだけど!? そもそもあいつらがウチの事務所に粘着してんのは深雪っちのせいなのよ!? マジで自覚してんの!?」 「わ、分かってるって! でも……立場の違いにこだわって、いつまでも対立しても虚しいだけだ」  対立や争いが起きるのはある程度、仕方のないことだ。みなそれぞれの事情や立場がある。それぞれに守りたいものがあって、それぞれが果たさなければならない使命や役割を負っていて、だからこそぶつかり合う時もある。  しかし、どんな事情を抱えていても、力を合わせるべき時に力を合わせないと大きなものを失うことになるのではないか。そう―――ちょうど今の《東京中華街》のように。  《東京中華街》で深雪は様々な人たちに会った。怒り狂い、憎しみ合い、平然と略奪する者もいるかと思えば、自らの生き方を貫かんとするが故に身動きの取れない者。清廉潔白(せいれんけっぱく)で気高い理想を掲げるが故に退けなくなっている者。嘘でみなを(あざむ)いてしまった者。それを知りながらも支えた者。悪魔のような甘言に(そそのか)された者。自分の都合や私欲を優先してしまった者。  みなそれぞれ弱さを抱えていて、けれど決してそれが全てではなかった。みな自分の為だけに行動したわけでもなければ、自分さえ良ければいいと考えたわけでもない。  誰もが家族や仲間を思い、街の未来を願い、幸せや理想を掴もうと必死で足掻(あが)いていた。どうにかして崩れゆく街を食い止め、人々の結束を取り戻そうと脇目(わきめ)もふらず走り続けた。  それでも《六華主人》という精神的な支柱が揺らいでしまったが故に、人々は一致団結することができず、結果として歯車が少しずつ狂ってしまったのだ。  どうすれば街の崩壊を止めることができたのか。どこで判断を、選択を誤ってしまったのか深雪には分からない。しかし、崩壊を未然に防ぐ手段はどこかにあったのではないか。そう思わずにはいられない。  ところがマリアは半眼で呆れ返ってしまう。 「あいっかわらず脳ミソお花畑ねー、深雪っちは。世の中、そんなに単純じゃないのよ! ほんと、ナントカは死んでも治らないわね!」  そう悪態(あくたい)をつくとマリアはふっと消えてしまった。ちっとも素直じゃないマリアの態度に深雪はつい苦笑してしまう。  マリアも雨宮や碓氷には旧国立競技場跡地でさんざんな目に遭わされたから、彼らと協力するなんて「天地がひっくり返ってもお断り」だろう。それでもマリアは深雪のために大嫌いな雨宮と碓氷に連絡を取ってくれた。おかげで雨宮と碓氷は深雪が紅龍芸術劇院にいることを知って助けに来てくれたのだ。  東雲探偵事務所の《死刑執行人(リーパー)》と陸軍特殊武装戦術群の二人は蛇蝎(だかつ)のごとく嫌い合いながらも、必要な場面では互いに妥協(だきょう)し、協力し合っている。  それぞれ考えが違っても、互いの主張が合わなくても、それが何より大切なことだと深雪は思うのだ。
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