第三話/ その男、秘密あり

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第三話/ その男、秘密あり

 子爵夫妻とラウラは、王都のフラットに2月いっぱい滞在した。本当は1月末で領地に戻るはずだったが、舞踏会以来ラウラへのお誘いや訪問客が退きも切らず、予定を変更せざるを得なかった。  領地の方はアーチが頑張っていてくれたが、今後の事も考えてハルシュカ家を担当する家令と、事業を担当する秘書をそれぞれ一名ずつ雇うことにした。ロトス氏が適任者を推薦してくれるだろうし、面接はアーチにやってもらえば確実だ。彼はあと2年したらロトス銀行に帰ってしまうので、そろそろ後継を育てる時期に来ている。  舞踏会でラウラは、10人以上の貴族男性とダンスをした。誰もが自分を売り込もうと、血筋の良さや叙勲歴などを自慢し、中には「私たちは神に導かれたご縁です」などと囁く者もいた。しかし、生憎ラウラは神を信じていない。はにかむように微笑み、ただ受け流すだけに徹した。  セミルとも、一度だけ踊った。あくまでも儀礼的にお受けしたのだが、あからさまに熱を含む眼差しで見つめられて居たたまれなかった。すぐそこに婚約者がいるのだ、愚かな行いは謹んで欲しい。二度目のダンスも申し込まれたが、リヴォフ夫人が断固として阻止した。同じ相手と何度も踊ったりテラスに出るのは、お互い結婚に前向きだと思われても仕方がない。子爵家ごときが公爵家を敵に回すわけにはいかないのだ。  さらにセミルはそれから一度、ロットレング領を訪れた。ただし、いつものように従者と二人連れではなく、婚約者とその家族を伴ってロサナリア公爵家の別荘に宿泊した。ラウラとも挨拶だけは交わしたが、隣にいる婚約者がご機嫌ななめだったので、早々にその場を辞去した。恐らく舞踏会でのセミルの態度で警戒されているのだろう。全く勘弁してほしいものだ。  その後も春にかけて、何件か縁組打診の手紙が届き、何人かの婿入り希望者もやってきた。子爵夫妻は家格や資産、親戚関係などを考慮して、どの男が最も有望か悩んでいたが、ラウラにはどれも同じように思えた。貴族の価値観などさっぱりわらないからだ。 「アーマコット伯爵家の、アレン様はどうかと思っている」  義父がラウラを執務室に呼び、結婚相手の候補を伝えた。その男性のことは覚えている。舞踏会でダンスをし、この家にも従者を伴ってやってきた。義父や親戚とフィールドボールをして、スパに泊まって帰った。焦げ茶の髪で顎の張った顔つき。見た感じ、子爵と変わらない年ごろの男だ。 「お義父さまがお決めになったのでしたら」  ラウラは特に感慨もなくそう答えた。結婚相手については、リヴォフ夫人を交えて舞踏会の前に家族会議をしていた。通常なら親が決めた相手に娘は口出しできないが、ハルシュカ家の場合は秘密保持や領地の事業など、ラウラの意思決定が必要な事案が多いためである。  その結果、ラウラが養女である秘密については漏らさないことに決まった。また、事業が実際はラウラの主導で行われていることも、基本的には黙っておく。それで都合が悪くなれば追々子爵の方から説明を行う、という結果になった。 「正直、難しいと思いますわ。男性は名誉を求めますでしょう。私と結婚することで経営権が手に入ると思われるかもしれませんが、いきなりロットレング領を切り盛りするのは大変なことです」  ラウラは、事業に関しては最初から実情を打ち明けた方がいいと言ったが、子爵がどうしても反対した。黙っていればわからないと言うのだ。 「心配には及ばんよ。もう私も家令たちの手伝いがあれば、軌道に乗った事業を動かすことくらいはできる。通常の結婚と同じように、私の事業を娘婿が継承する形でよいではないか。ラウラも結婚を機会に、主婦に専念すべきだと思うがね」  要するに、ハルシュカ子爵は世間体を守りたいのだ。娘婿とはいえ、事業は娘の手柄であると打ち明け、がっかりされるのが怖かったのだろう。そこへ、リヴォフ夫人の歯に衣着せぬ物言いが飛んできた。 「どうでしょうね、ラウラと同じくらい知恵が回る婿なら結構ですが。まあ、それならそれで、付け焼刃の経営など見抜かれてしまうでしょうね」  これには子爵も返す言葉がなかったが、やはり自分の見栄が勝った。ラウラには事業から手を引かせ、出来る限り優秀な婿を探すことで決着した。その上での決定であるからには、ラウラは異議を唱える理由がない。 「そうか、お前が受けてくれるなら有り難いが。実は、アレン様は結婚が二度目だ。前の奥さまはお亡くなりになって、子どもが三人おられる」  アーマコット伯爵家の三男、アレン・スコティエは39歳。アーマコット領は辺境伯として絶大なる力を持つ家柄であり、現当主のスコティエ卿は先の戦争で数々の勲章を賜った武人としても知られている。子爵夫妻は、その家名の値打ちに魅力を感じたと思われる。人間、ある程度の金が手に入れば、あとは名誉が欲しくなるものだ。  一方、スコティエ家ではアレンの処遇に悩んでいた。当主のアーマコット卿は70歳を過ぎてなお矍鑠たるもので、生涯現役の意向がある。つまり息子たちに代が移るのはまだ先で、三男ともなれば儀礼爵位があるだけで、貴族院への参加資格もなく、官職にようやく就いている有様だ。  さらには、領地分配も望めないため他の侯爵家に婿入りしたのだが、妻が早逝して独身となり、子どもたちを婚家に置いて実家に出戻った。年齢的にも、四十路に手が届くやもめである。早くどこかに片づけたいというのが、スコティエ家の本音だろう。 「何しろ、アーマコット伯爵家だからな。家格に箔がつく。前妻の実家に子がいるのなら、お前が生んだ子と結婚させることもできるだろう」  あくまでも家名と濃い血にこだわるバクリアニ貴族の思考である。同じ父親の子なら兄や姉ではないか。しかし、この国の貴族は家門が異なれば平気で結婚させる。正気の沙汰ではない。ラウラは聞かなかったことにした。 「私もいいと思いますわ。アレン様はとっても気前がいいのよ。うちにお見えになった時だって、王宮でふるまわれる特級のクラレットを、1ダースも持ってきてくださったのよ」  義母は高級なワインで懐柔されたらしい。そのクラレットの金が、今後は子爵家の財布から出て余所へ流れることは考えもしないのだろう。取りあえず、両家の間で決まったことは仕方がない。領地の経営のことだけは気がかりであったが、有能なアーチと新しい家令たちが何とかしてくれるはずだ。その時のラウラは楽観的に考えていた。  こうして正式に婚約が結ばれ、ラウラはやにわに忙しくなった。ようやく16歳になったばかりであったが、スコティエ家の意向で年内にも結婚式を行う予定になった。その間にロットレング領でやり残している事業の引継ぎや、事業計画書の練り直し、シャオ家で進んでいる医学校の進捗確認など、ラウラは馬車を飛ばしながら目の回るような日々を過ごした。  なお、夫になるアレンは官職に就いているため、ラウラたち夫婦は王都で暮らすことになる。結婚が決まって子爵家を訪れたアレンは、図々しくもこう宣った。 「せっかく新生活が始まるのですから、家を購入していただけませんか。ハルシュカ家は事業で大成功を収めたのですから、それにふさわしい構えが必要です」  ラウラとしては無駄を省くため、今のフラットで十分だと思っていたが、子爵夫妻がそれに応じてしまった。アレンはもう目星を付けていたようで、貴族街の一等地の家を指定してきた。広くはないが、場所が場所だけに目玉が飛び出るような値段である。  ラウラの頭の中で警戒信号が鳴る。上流の育ちなので、ある程度の贅沢は仕方がないと思っていたが、それだけではない、強い虚栄心を感じてならない。この男の行動から目を離すべきではないだろう。 「あらまあ、ずいぶん贅沢ですのね」  ラウラは年若く従順そうな婚約者を演じて微笑んだ。もしも勝手が過ぎるようなら、遠慮なく本性を出させてもらうつもりだ。  そんなある日、ドロテがラウラ宛の封書を持ってきた。差出人は、ミス・セヴティティル。黒蝶館のマダムが秘密の手紙を送ってくるときの名だ。ラウラは黒いヴェールをつけ、王都郊外の墓所を訪れた。傍目には誰かの墓を弔う貴婦人に見えるだろう。実際そうなのだ。その墓が娼館の用心棒のものでなければ。 「ここは秘密の待ち合わせに、もってこいの場所ですね」 「久しぶりだね。お前、結婚相手が決まったそうじゃないか」 「耳が速いわね、お陰さまで。だけど、ろくな相手じゃないかもしれませんわ」  ラウラがそう言うと、マダムが口の端でにやりと笑った。だいぶん年は取ったが、まだまだ美貌は健在である。 「その通りだよ。アレン・スコティエ卿は、男色の気がある。女とも子を成せるが、裏の世界ではそっちで知られている」  ラウラは、ゆっくりとマダムの方を見た。ヴェールごしであっても、美しい顔に陰りが浮かぶのが感じられた。 「そうなのね、まあ仕方ないでしょう」 「いいのかい、それで」 「いいも悪いも、もう決まった事ですから。貴族の結婚は、家同士の契約だもの。子どもが作れないなら大問題ですけど。まあ、私だって秘密だらけよ。ある意味、お似合いの夫婦かもしれないわ」  ヴェールの下の顔が、今度は自虐的な笑みを湛えた。もとより結婚には、露ほども期待していない。家庭も知らなければ、恋さえも知らない。ラウラには想像のしようがないのだ。
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