第二話/ デビュタント・ボール

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第二話/ デビュタント・ボール

 年が明け、ラウラは数えで15歳を迎えた。ロットレング子爵令嬢になって、約3年。その間に横領の摘発、領地改革と、子爵になりかわり目覚ましい活躍をしてきた。そのお陰で、一年目に赤字が黒字に転じ、「ロットレング・スパ」が開業した2年目は返済を差し引いても2割の収益向上、三年目に入って改革初年度の6倍もの黒字を叩き出した。  そのため、いままで中央貴族界では無名であったハルシュカ家が、一躍脚光を浴びるようになった。「大事業を成功させた辣腕の子爵」「貴族の楽園ロットレング・スパ」など、様々な賞賛がハルシュカ卿に捧げられ、彼とお近づきになりたい貴族が続出したのだ。  同時に、そのハルシュカ子爵に美貌の娘がいることも噂になった。そろそろ大人の年齢であり、あまつさえ跡取り娘である。美しい妻と日の出の勢いの事業を諸手に掴むのは、どこの幸運な男かと誰もが噂した。貴族と言っても、いや貴族だからこそ、みんな金には貪欲なのだ。 「カラバフ公爵家のセミル様が、ご婚約なさったようね」  場所は王都のフラット。収入が増えたハルシュカ家は、とうとう憧れの王都の邸宅を手に入れた。邸宅と言っても集合住宅の一室であるが、貧乏に喘いでいた頃から比べると雲泥の差である。  このフラットは、ラウラが見つけた。場所は目抜き通りに面している。内部は二階建ての造りになっており、家族の部屋以外に客間も2室ある。貴族の社交シーズン用の住まいとしては、中流といえる間取りであった。その居間で子爵夫人のエルカが、昨日仕入れた噂話を披露している。 「お相手は、ロサナリア公爵家の三女、グレーテ様ですって。武勲のロサナリア、血統のカラバフ。まさに上流の組み合わせだわ」 「しかし、グレーテ様では年が近すぎやせんか。すぐにでも結婚せねばならん年ごろだろう?」  夫のユーリが横槍を入れる。この国の貴族は、女性より男性の方が10歳以上年上という夫婦が多い。男性がある程度の財を成してから、多くの子を成すため若い妻を娶る慣習が根付いているからだ。しかしセミルは20歳、グレーテは17歳である。 「グレーテ様が、セミル様との結婚を熱望されたらしいわ。お二人は幼なじみですもの。きっと幼いころから想いを温めていらしたのよ」  エルカがうっとりと目を閉じる。彼女は三文恋愛小説の愛読者である。しかし、確かに今回の婚約はロサナリア家が押し切った感がある。セミルには3人の兄がおり、長男こそ妻帯者だが、次男と三男はまだ独身である。しかしグレーテは17歳で女性の結婚適齢期に差し掛かっているため、もしかするとセミルの婚姻は兄たちに先立って行われるかもしれない。 「セミル様も、もう少し自由でいたかっただろうにね」  子爵がぽつりと零した。彼自身、エルカと結婚したのは30歳の時である。しかし、ユーリを含め、この婚約の報せに沸く人々は知らない。その噂の的であるセミルが、ひっそりと庭師に命じて特別な薔薇を育てていたことを。その名も「ミス・ラウラ」。鮮やかな赤銅色の花弁を持つ、大輪の薔薇である。彼はまだ、ラウラを諦めたわけではなかった。  ラウラにも今年は、華々しい報せが届いた。年末に王宮で開催される舞踏会への招待である。これは田舎の子爵令嬢としては、異例のことだ。この舞踏会は、王家が主催して毎年大晦日に王宮のダンスホールで催されるもので、国で最も格式の高いパーティーと言われている。  毎回、選ばれたデビュタントが社交界にお目見えする場でもあるが、その多くは高位貴族の子女であり、女性の場合は通常16歳以上である。今回15歳の子爵令嬢ラウラが招待されたのには、いくつかの理由がある。ひとつはリヴォフ夫人が後見に付いていることだ。 「ええ、王家から問い合わせがございました。とても教養があり、国王に謁見するに相応しい、素晴らしいご令嬢だと申し上げました」  リヴォフ夫人は、とんでもなくラウラを持ち上げて報告したようである。舞踏会に出席するには、まず国王に謁見して挨拶することが前提だ。ラウラの身が引き締まった。リヴォフ夫人に恥をかかせるわけにはいかない。 「事業で大成功を収めた領地の跡取り娘ですからね。ハゲタカのような貴族たちが、お披露目を急かしたのも招待の理由ですよ。きっと我先に唾を付けようと、次男や三男が群がって来るでしょう。より取り見取りでよかったじゃありませんか」  リヴォフ夫人の毒舌が炸裂する。しかし、まさにそれは事実であった。昨年から、縁談の根回しがひっきりなしに来るようになった。多くはひとつ格上の伯爵、中には財政難の侯爵家からの申し出もあり、だんだんと子爵夫妻に欲が出てきた。なるべく好条件の相手を吟味したくなったのである。 「ラウラは美しさも格別なのだから、皆さんに見ていただければ、さらに高い値打ちがつくわ」  そう考えた子爵夫人は王都に家を買い、お披露目を急いだ。そこへ王宮舞踏会の招待状が来て、飛び上がって喜んでいるのだ。今、彼女の頭の中にはラウラに着せるドレスの事しかない。しかし、エルカに選ばせたら大変なことになるので、リヴォフ夫人御用達の店で上品なドレスをオーダーした。  今年デビューする令嬢は、ラウラを含めて7名。その中にはセミルの婚約者であるグレーテも含まれる。おそらくはセミルがエスコートして参加するだろう。薔薇を贈りつけてきたときは困ったが、彼も正式に婚約が調ったことだ。もう突っ走った行いは控えるはずである。  やがて、懸念だった国王との謁見もなんとか恙なく終わり、大晦日がやってきた。いよいよ王宮舞踏会の当日である。ラウラは不文律としてデビュタントの色とされる白のドレスを身にまとった。ユマ国産の最上級の絹に、わずかに銀の入った糸で刺繍が施されている。子爵の身分であるため、華美な装飾は避けて生地の良さにこだわったが、それが持ち前の美しさをさらに際立たせた。 「とても立派ですよ。堂々としていなさい」  ラウラは独身女性の単身参加なので、シャペロン(付添人)としてリヴォフ夫人が同行している。それだけでラウラは何も怖くなかった。あとは、良い方に見初めてもらうことを祈るばかりだ。  舞踏会が始まった。デビュタントは最初に壇上に上がり、司会者に紹介されて礼をする。その時点で、ラウラの一人勝ちは明らかだった。どの令嬢も白のドレスであったが、そこだけ光が当たっているように、ラウラの美貌は抜きん出ていた。  フロアに降りると、独身男性だけでなく既婚の男たちも、ラウラに自己紹介するために彼女の傍に群がった。そしてそれぞれにダンスを申し込むので、リヴォフ夫人が順番を割り振って、何とか一人ずつ相手をした。しかし、それが周囲の女性客には印象が悪かったようだ。  その中でも、最もラウラに悪印象を持ったのが、セミルの婚約者であるグレーテだ。貴族なので顔には出さなかったが、彼女は内心はらわたが煮えくり返っていた。その理由は、自分の婚約者が胸に刺している薔薇の花にある。 「セミル様、その薔薇をお付けになるのですか」 「ああ、今夜はこれがいいんだ」  その日、自分を迎えに来た婚約者の胸に飾られた、赤胴色の薔薇を見てグレーテは不思議に思った。普通は家に纏わる色や、エスコートする相手のドレスに合わせた色を選ぶはずなのだ。そしてその謎は、自分と同じく今夜の舞踏会でデビューする女性を見て解けた。 「初めてお目にかかります。ロットレング子爵家の、アリエタ・ハルシュカでございます」  セミルが会場で紹介してくれた絶世の美女は、彼の胸にある薔薇と同じ色の髪をしていた。そして、仲良しの令嬢たちとのお喋りの中で知った真実に、グレーテは強い衝撃を受けた。 「あの方、貴族名はアリエタ様ですけど、ご病気で改名されて、いつもはラウラ様と呼ばれておられますわね」 「ミス・ラウラ」。それはグレーテの婚約者が丹精込めて育て、今夜の晴れ舞台で身に着けた、薔薇の名前と同じであった。
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