恋人の振りと婚約者

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恋人の振りと婚約者

軽井沢から帝都に戻った雪月は、あやかしが視えるモダンガールの執筆を引き続き続けていた。雪月の筆は順調に進んでおり、その隣で雪月を支えることが出来ることに、華乃子はささやかな幸せを感じていた。 太助と白飛とは相変わらずだ。帝都に戻ったから、雪月の長屋通いが再開して、それについては良い顔をしない。嫁入り前の娘なのに、なのだそうだ。 「嫁入り前も何も。先生は私の事、そう言う風にご覧になってらっしゃらないわ……」 梅の声に途切れた言葉。あの時の言葉がもう一度あれば……、いや、もしあの先の言葉があれば、それを信じられると思うが、帝都に戻ってからそれっぽい雰囲気すらもない。きっと、華乃子が受け取り間違えたのだろう。だが、二人とも譲らない。あいつは駄目だというばかりだ。 「駄目だ駄目だってそればっかり。何がどう、駄目なの?」 『あいつは華乃子を失望させる。だから駄目だって言ってるんだ』 「失望させる、ってなに? 先生は先生のお仕事を十分されているわ」 そう言うやり取りを何度もしている。彼らは雪月のことが頑なに認めようとしない。何が気に障るんだろと思う。 『あいつは軽井沢で華乃子の気持ちを蔑ろにしただろう。忘れたのか』 「……蔑ろに、されたわけでは、ないわ……。私は……何も言ってないもの……」 そう。何も言葉にしていない。言葉にしなければ、雪月が華乃子のことを分かる訳はない。雪月が華乃子のことで知っているのは、あやかしに係わった経験があると言うことと、ヒロインのモデルである華乃子が望む恋愛の形だけ。執筆に必要ないことは、雪月が知る必要はない。それでいいではないか。 『そんなにあいつが良いのか』 太助が目を尖らせて華乃子に問う。太助の問いに一瞬声を詰まらせて、それから華乃子は弱々しく応えた。 「良い……、とかの話ではないわ……。私は誰にも必要とされない人間だもの……」 これまでのことを思い出して華乃子が俯くと、白飛が華乃子の周りをくるりと回り、華乃子の顔を覗き込んだ。 『それでも、最近華乃子は元気になったと思う。前は何処か世間に対して自信なさそうなところがあったが、あいつといると華乃子が生き生きとしているのが分かる。だから余計に俺たちは心配なんだ』 太助と白飛からの心配と慈愛の言葉を受けて、二人が心底華乃子を心配してくれていることが分かった。ずっと華乃子の傍に居たからこそ分かる華乃子の変化を、二人は見逃さなかったのだ。 ……そう、……かもしれない。雪月に辛かった過去を受け入れてもらって、華乃子は随分と楽に息が出来るようになった。自分を認めてくれた人を、人は大切にする。そう言う意味で、雪月は華乃子の恩人なのだ。 「大丈夫よ……。二人が思うような気持ちじゃないわ……。ただ、雪月先生は私を救ってくれた人なのよ。それで、恩を感じているの。それだけよ」 二人に対して誤魔化そうとしたが、言葉にしただけ、自分の中で雪月がどんな存在であるか逆に認識してしまって、華乃子はやっぱり俯いた。太助と白飛がそれをじっと見つめていた。
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