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カフェーで珈琲を間に挟んでテーブルに座って居る。美人――沙雪と言った――は、静かな顔でこくりとひと口珈琲に口を付け、カップを静かにソーサーに置くと華乃子の前で美しい顔をにこりと微笑みに変えた。
「失礼ですけど、貴女、雪月さまとどういうご関係かしら?」
「ゆ、雪月先生とは、お仕事をご一緒させて頂いております……」
美人が笑うとこんなにも迫る迫力があるものなのか。華乃子は縮こまりながら答えてそう思った。
「お仕事を? ああ、小説の」
「は、はい……。あの、それがなにか……」
おどおどと答える華乃子に、沙雪はああごめんなさい、と口元を手で覆い隠しながらこう言った。
「わたくし、雪月さまの婚約者ですの」
「え……っ」
こん……、やくしゃ……。
沙雪から聞いた言葉はそれ一回だけなのに、華乃子の鼓膜の中ではその言葉が何回も反響して聞こえた。
(こ、婚約者……。婚約者って……、でも雪月先生はご自分でお相手を見つけるつもりで……)
確かに雪月からはそう聞いた。しかし目の前にいる沙雪が凛とした眼で華乃子を見つめ、心に抱いた雪月への淡い想いを打ち砕く。
「雪月さまは何時までも此処で遊び続けるわけにはいかないのです。いずれ家に戻って頂き、家を継ぐという使命が彼にはあります。その時に、此処での暮らしでの余計ないざこざを持ち込んで頂きたくないのです。私は家同士に認められた唯一の伴侶になりますので、もし貴女が雪月さまに想うところがあっても、無駄というものだということを、今はっきりとここで申し上げておきたいと思います」
雪月があれ程情熱を傾ける執筆のことを『遊び』と言った沙雪に腹が立った。だが、雪月の私生活にまで口を出すわけにもいかず、華乃子は口を噤んだ。それに沙雪は『もし』なんてやさしい言葉で形容したが、ありありと華乃子の淡い気持ちは知られてしまっていたことが分かる。
(……そりゃあ、婚約者から見たら、仕事とはいえ女性が頻繁に自分の婚約者と家で会っているというのは、許しがたいでしょうね……)
もし反対の立場だったら同じことをしたかもしれない。そう思うと沙雪になんの口ごたえも出来なかった。
「そんなわけですので」
がたんと沙雪が席を立つ。
「貴女は早くお仕事を変えられたら宜しいかと思います」
沙雪が華乃子を見下した。圧倒的に立場が悪いのは、華乃子の方だった。
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