雪女の郷で

2/13
前へ
/86ページ
次へ
雪で覆われた郷の気候は、人間の華乃子には少し寒いが、半分が雪女だからなのか、思ったほど堪えていない。むしろ荷物に紛れて一緒に来た太助と白飛がぶるぶると震えていた。 『さ……っむい! 身体が凍る!』 『足が冷たい!』 「煩いなあ、雪女の郷だって言っておいたじゃない。それを勝手についてきたのはあなたたちよ?」 用意してもらった部屋に通されて二人が荷物から顔を出すと、華乃子はあきれたように言った。 『現世からはるか離れるんだから、俺らが見守ってなくてどうするんだよ!』 『華乃子は危機意識が薄いから困りもんだな』 などとぶつぶつ言う。見守るも何も、雪月の郷なのだし、雪月が一緒だったら心配要らないというのに、この言いよう。どうしても華乃子にまとわりつきたいらしい二人を、はいはい、とあしらって、華乃子は部屋に迎えに来た雪月と部屋を出た。……叶うなら、会いたい人が居る。 雪月にそれを頼むと少し渋られたが、結局はその人のところへ案内してくれた。雪月に連れてきてもらった場所は、屋敷の離れにある牢だった。中に居る雪女は後ろ手に手を縛られ、うずくまって顔を俯けている。 「……お母さま……」 華乃子は格子越しに彼女を呼んだ。ぴくりと雪女の肩が動き、ゆうるりとその顔が持ち上がる。ぼんやりとした目に華乃子が映ると、みるみる彼女――千雪(ちゆき)――は顔に生気を宿らせた。 「華乃子……。愛しい子……」 か弱い声が、華乃子を呼んだ。この声を、どんなに切望しただろう。現世では得られなかったこの声。華乃子を受け入れ、愛してくれるこの声の主に、どうしても問いたいことがあった。 「お母さま……。……どうして連れ去られようとしたとき、どうして私を連れて来てくださらなかったのですか……? 貴女が一緒に居てさえくれれば、私は何処に居ても独りぼっちじゃなかったのに……」 此処への道すがら、雪月に千雪が幼い華乃子を独り残し、幽世に戻ったことを教えられていた。自らの意思ではなかったと聞いたが、だったらせめて華乃子を連れて戻れなかったのだろうか。絞りだすような華乃子の声に、千雪も悲しそうに涙を流した。 「愛しい子……。悲しい思いをさせてしまって、ごめんなさい……。あの時私は、光雪(みつゆき)様に請われて彼の許に嫁ぎました……、それでも現世への……、雲の狭間から見た一夜様への憧れが忘れられないで居た……。貴方を現世で生み落としてそのまま郷に引き戻された私は、光雪さまを裏切った罰としてこうして牢に繋がれていますが、一夜様への想いは今も胸の中にあります。華乃子、どうか一夜様も光雪さまも恨まないで……。恨むなら身勝手な母を恨んで……」 ほろほろと泣きながら訴える本当の母親から聞かされた彼女の事情を、華乃子は静かに聞いた。 「……お母さま……。貴女とお父さまは愛し合って貴女の心にはお父さまが居たかもしれませんが、私の心の中には誰も居なかった……。疎まれ続けて十年以上生きてきた……。私が貴女を恨んでも仕方ないですよね……?」 華乃子の言葉に、千雪は悲しそうに頷いた。 「……でも、私を生み落としてくださったご恩は忘れません……。私を現世に生み落とし、鷹村の家で少しの間でも育てさせてくれたご恩、それは忘れません……」 だって、雪女の血が流れていなかったら、あの場所で雪月を見つけることは出来なかった。雪月に会えなかったら、雪月に愛してもらうことも、今こうして千雪と会話をすることも叶わなかった。千雪と話すことが出来なければ、彼女が華乃子を愛していてくれたことも知ることも永遠に出来なかったのだ。 「だから恨みません。……私を貴女の娘として生み落としてくださって、ありがとうございました」 彼女の娘として生まれたからこそ、雪月の傍に居られると改めて分かった。それ以上に、今、求めることはない。 華乃子は千雪に深々と頭を下げて、牢の前から辞した。
/86ページ

最初のコメントを投稿しよう!

420人が本棚に入れています
本棚に追加