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 近くにあったバーのカウンターに腰かけ、わたしはうるさい心臓を宥めようと試みた。そんなわたしをよそに、ゴッホはカウンターの上を紳士らしい姿勢で闊歩している。 「この世界は透明人間であふれています。一般人ほどではないにしろ、街を一時間ほど歩けば、一人や二人見かけるでしょう。ほら、もうひとりのマスターがいらっしゃいました」 「お客様、二名様ですね。お代はけっこう」  白い髭を蓄えた男はおおよそ還暦のようだが、がっしりとした体つきをしている。マスターは若い女性だから、まるで二人は親子のように見えた。 「ゴッホさん、彼らはどうして透明人間になったのですか」 「理由はあなたと同じです」ゴッホはわたしの目の前で座り、マスターが用意した小さなグラスに鼻を近づけた。「いい香りです。感じるでしょう、生の喜びを。みな浸っているのですよ。魂が救われれば、先に進めます……」 「いいんです。わたしは透明人間になってまだ時間が経っていません。今頃ほかの透明人間の目を気にしても仕方ありませんから、今はただこの機会を楽しみたいです」  ゴッホの横にワイングラスが置かれた。かぎりなく黒に近い色をしている。酒は嗜まないけれど、赤ワインだと思う。 「梅井透子です。これからどれだけ時間を一緒に過ごすかはわかりませんが、よろしくお願いします」 「ええ。短い間ですが、こちらこそ……」
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