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向島のねこまんま
私は小さい頃、向島のおばあちゃんの家へ年に数回家族みんなで遊びに行っていた。
そこには外飼いの猫が何匹も居て、私とそう大きさが変わらない猫を撫でたり、抱っこしたりするのが楽しかった。猫のことを大好きになるのに、そう時間はかからなかった。
猫たちはいつも、おばあちゃんが作ったねこまんまを食べていた。ねこまんまは、おばあちゃんの息子である、私にとってのおじさんが毎日もらってくるパンの耳と、大袋のいりこを合わせて炊いたものだった。
私はそれを猫が口を横にして、にっちゃにっちゃと食べるのを見るのが好きだった。みんな、いかにもおいしそうに食べるからだ。
夕方6時、猫が汚いお皿にねこまんまをもらっているのを見て、私はついにひとつパンの耳をつまんで、口に入れてみた。
いりこの出汁が染み込んだ、なんとも深い味わいが、口いっぱいに広がった。
ねこまんまは、私たち人間が創意工夫を凝らして料理した、いかなる食べ物よりも、美味しいと思った。
私がねこまんまをつまむ姿は何度も大人たちに目撃されて、
「あんまり食べると猫の分がなくなるよ」と注意された。
それでもあまりのおいしさに食べるのをやめられなくなっていると、おばあちゃんはついに、私という人間用に同じレシピでねこまんまを作ってくれるというのだった。
たくさんねこまんまを食べられると、わくわくしている私の前に出されたねこまんまは、綺麗な器によそわれて、少々いつもより汁が多めに見えた。
楽しみに口に頬張ると、確かにあのねこまんまであるはずなんだけど、何かがちがう。なにか上品で、同じであって別物なのだ。
私はこれはおいしくない、と思った。
でもせっかくおばあちゃんが見かねて、わざわざ私用にだけ別メニューで作ってくれたので、おいしくないと子供ながらにも言うわけにいかず、「なんかちがう」というのが精一杯だった。
それからはねこまんまを盗み食いするのは、控えるようになった。おばあちゃんは私のためではなく、猫のために、猫の取り分が減らないようにねこまんまを私に作ってくれたのだから、その後も猫用ねこまんまを盗りつづけたら、おばあちゃんがせっかく守ろうとしている猫がかわいそうだと思ったからだ。
私用にねこまんまを作って、ということもなかった。全然おいしくないそれを食べる必要はいっさいなかったからだ。
もう少しだけそれが雑な調理をされていれば、という願いはついぞだれにも語られることはなかった。
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