不快な依頼人

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 俺たちの小学校は、給食後に掃除の時間、その後に昼休みが設定されていた。掃除の時間と昼休みの境界は曖昧で、掃除の時間は、元気を持て余した俺たちにとっては既に昼休み。丸めた雑巾をボール、モップの柄をバットにして騒ぐのが慣例になっていた。  教室で腕白共が騒いでいる。そこに先生がやってきて、『掃除もせずに、騒いでいたのは誰だ』と訊く。教室にいた者たちは皆、黙ってる。騒いでいた奴も、騒いでいなかった奴も。  六年の時の担任教師は、答える奴がいないと、いつも波田に訊いた。クラス委員でも日直でもない波田に。  先生に訊かれると、波田は躊躇う様子もなく、 「川崎くんと藤沢くんです」 と答えて、俺たちは先生に叱られる。そういうことが、月に一度はあった。 「告げ口するなんて卑怯だぞ」 と俺たちが絡んでいくと、 「騒いでない人の名前を言うわけにはいかないから」  なんて妙な理屈で、自分の行為を正当化するんだ。まあ、正当化しなくても波田の行為は正しいんだが、当時の俺たちの流儀は、 「『見てませんでした』でいいんだよ!」 だったんだ。  先生も波田の告げ口の体質をわかっていて、訊いていたと思う。そんなことが幾度かあって、俺たちは、波田と一緒に遊ばなくなった。意識して無視するシカトじゃない。いじめじゃない。気が合わない奴と一緒にいても楽しくないから、声を掛けなくなっただけ。ただの敬遠ってやつ。女子も、そのあたりの態度は男共と変わらなかった。  波田も俺たちに『遊ぼう』と言ってくることはなかったし、奴自身にも自分がいじめられているという意識はなかっただろう。奴は勉強だけはできたから、むしろ奴の方が俺たちを下に見ていたのかもしれない。
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