不快な依頼人

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 波田の話を要約すれば。  奴は某国立大学を卒業後(波田は大学名は言わなかった)、総資産十兆円規模の大手生命保険会社に就職したらしい。そこのIT部門でシステム管理の仕事をし、部長職に手が届きかけたところで役職定年。決裁権無しの課長として六十歳の定年を迎え、更に五年間、再雇用制度を利用して働き続けた。三十代半ばで結婚、数年後に娘が生まれ、東京の立川市に一軒家を構えた。現在は、一人娘は独立、細君と二人暮らし。散歩と図書館通いで時間潰しをしている。細君は地域ボランティア活動に夢中とのこと。  境遇としては、今の俺と似たり寄ったりだ。まあ、俺は図書館には通わず、ご近所の老人の見守りをしがてら、ウォーキングをしているが。 「髪があって、腹が出てないなら、それだけで立派なもんだ」  日本人ならその名を知らない者はいない大企業で部長職手前まで行った自分は、生涯交番勤務だった同窓生より上。そう考えている男に、見下されている側の俺が、他にどんなコメントを付せるだろう。俺は、大人の振舞いとして、奴の髪と腹を褒めて、適当にお茶を濁した。そして、波田から逃げるために料理の並んでるテーブルの方に移動しようとした。そのために体の向きを変えた俺の腕を、波田が乱暴に(ソフトではないという意味で“乱暴に”)掴む。そのまま、奴は俺を会場の外に連れ出した。  他の出席者は皆、楽しいご歓談に勤しんでいるらしい。廊下にはホテルの従業員以外の姿はなかった。  こいつは今になって半世紀前のシカトに気付き、俺に謝罪でも要求する気なんだろうか。混乱しつつ、そんなことを考えていた俺に、波田は、 「傷害事件にも時効というのはあるのか」 と訊いてきた。
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