不快な依頼人

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 それくらい元警察官に訊かなくても調べられるだろうと腹を立てた俺は、心が狭いだろうか。俺は波田から逃げるために、奴に求められた答えを奴に向かって手早く放り投げたんだ。 「十年だ。事件が終わった時から十年だ」  その親切が仇になった。相手の都合も尋ねず、波田が話を続ける。普通、こういう時は、『今、時間を割いてもらっていいか』か『ちょっと聞いてほしいことがあるんだが』だろ。残念ながら波田は、半世紀前と変わらず普通じゃなかった。 「僕の娘が十年前、家の近所の公園の階段から突き落とされて、全治一週間の怪我を負ったんだ」  全治一週間の怪我。しかも十年前。突き落とされたのが波田だったら、俺は『すまん、トイレ』で逃げていたと思う。被害者が波田当人でなかったから、俺は仏心を出して話に乗ってしまったんだ。 「命に別状になかったのなら、何よりだ。犯人が捕まっていないのか」  俺が『何よりだ』で済ませたことが不満だったらしい。波田は左のこめかみのあたりをぴくぴくさせて、事件の詳細を語り始めた。 「小さな児童公園の中にある五段くらいの石段だった。その日、娘は第一志望の大学の受験日で、会場に行くため、駅に向かう途中だったんだ。十年前の二月初旬、早朝八時頃だ。突き落とした犯人は、石段の上から、石段の下で倒れている娘に『人を呼んでくる』と言って、その場を立ち去り、そのまま戻らなかった」  波田の娘は、頭と右肩を打ち、動くことの危険性と筆記具を持てそうにないことを考えて、その日の受験を諦めた。試験当日に不慮の事故に巻き込まれても、やむを得ない事情があるなら追試験を受けられることを、事前に予備校の講師に言われていたんだそうだ。怪我は大したことがなくても、誰かに突き飛ばされた事実は、人から冷静さと集中力を奪うものだ。まして、被害者が十代の女の子では。波田の娘は、その日その場で本試験を諦め、追試験に賭けることを決めた。  事件当日、無理をして試験を受けなかったのは賢明な判断だ。波田の娘にしては、まともな判断力。半世紀が経っても波田はやっぱり気に入らないが、その娘には、俺は素直に感心した。
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